▲京都在住の認知症当事者、下坂厚さん。彼は自分のSNSに、写真と短詩で、認知症とともに生きる日常を発信している。そこにあるのは、どんな風景でどんな世界なのか。そこに投影する下坂さんの思いを読み解く。(写真:NHKハートネットTV HPより)
NHK Eテレ ハートネットTVの「認知症の私に見える風景 下坂厚 49歳」を観た。
京都在住の若年性アルツハイマー型認知症と診断された下坂厚さんの日常を、彼のSNSの写真とスケッチのような、つぶやきのような短詩を交えて描いたものだ。
番組は、その下坂厚さんと妻の佳子さんの世界を描こうとしている。
タイトルに「風景」という言葉が置かれているように、この番組自体は淡々とした時間の流れに沿っている。問題を取り上げて、そこをめぐる課題と解決という構成からは、はるかな距離を置く。ナレーションでの解説や説明は最小限に抑制され、主題としては認知症なのだが、医療やケアの語り口ではなく、当事者の語りが軸になって流れている。
その当事者の語りというのも、SNSでの彼の写真の数々と、そこに添えられた短詩がより多くを語っているようだ。語るというよりは、つぶやきのはかなさに確かな心情が浮かび上がり、その全体が写真とともに本人の心象風景として描かれている。
私は、観ながらある感慨に駆られる。本来、認知症はこのように語られるものなのではないか。問題化され、医療とケアの対象とされてきた「認知症」を、ここでは、ひたすら当事者の内面の想いをたどることで描いていく。外から見る認知症ではなく、個の内面から浮き上がらせる認知症である。
前半は、彼が診断を受けて以来の苦悩からの立ち直りを、周辺の人々の関わりとともに描いていくが、私が注目したのは後半から徐々に彼の内面に潜航していくようにして描き出す、彼の喪失感とその世界である。
私は、下坂厚さんはこれまでの当事者発信の類型とは違った発信者ではないかと思っている。それは、とりわけ、番組が進むにつれて彼自身の喪失を語っているからだ。自分という存在の喪失。その想いが、彼の日常を覆い、全体の風景として底流している。
物語に満ちた写真とつぶやきの詩。その抒情に流れる厳しい切なさに、観るものはきっと自分の心の中に立ち止まる。
番組冒頭の朝のシーンは、そうした下坂さんの日常である。リュックを背負ってから上着を着ようとしたり、ドアレバーを押し下げる方式のドアノブに格闘し、その度に妻の佳子さんに注意され、あたふたと出勤していく。
こうした日常の風景を、下坂さんは自身のSNSに、
今まで当たり前だった事が
そうでは無くなり
すべてが不確かさのなかで
生きる切なさ
これも日常
とつぶやく。
ここにあるのは、これまでできていたことができなくなる悲哀を込めながら、そのことを日常とするしかない切ない決意を述べている。
これまでともすれば、認知症に対しては、前向きに立ち上がり、認知症に負けない、あきらめない新たな人生を歩み出すといったポジティブな物語が定型化していて、それはそれで大切な認知症社会の成果だと思うが、しかしその下地の深いところでは、認知症を経験する誰もが、喪失の予感に切ない決意を重ねてきたはずなのである。
下坂さんが撮った妻、佳子さんの後ろ姿の写真に、こんなつぶやきの詩を重ねる。
ねぇ 私のこと、まだ分かる?
時々、妻がさりげなく放つジャブが胸に刺さる
うん、と笑顔で返すことしかできない自分
お互いが装うさりげなさの中の悲哀。
私は、下坂さんの喪失に向き合う姿勢には、妻の佳子さんの存在が大きいのだと思う。
「私のこと、まだ分かる?」と確認を繰り返す佳子さん。そうせざるを得ない自分をそのまま、夫の厚さんにぶつける。不確かな中でも、妻の問いには必ず「うん」と返す厚さん。
夫婦の機微というのは、余人に分かるはずがない。だが、この二人はともに認め合い、揺れ動き、対話しながら密度ある暮らしを重ねている。確かに厳しさに満ちた暮らしだ。
いつか、お互いを失ってしまう。
互いに感じている喪失の予感。不安と切なさに満ちた暮らしだ。しかし、だからこそこの二人は、互いをより必要としている。
「私のこと、まだ分かる?」と言いかわせる日常というのは、強い信頼の交換なのだろう。少なくとも下坂さんにとっては、そう言ってくれる佳子さんがいる事が大きな救いになっていることは間違いない。
これまでの認知症の対応常識としては、できないこと、忘れることを指摘してはならないとされているが、この夫婦の場合は、むしろ互いに言い合うことを日常に溶け込ませている。
それは、佳子さんは認知症を見るのではなく、ひたすら夫の厚さんの存在を見つめ続けていることの強いメッセージだ。
対応マニュアルでふたりの人生を運用するのではなく、二人の想いと存在をぶつけ合い確かめ合いながら歩んでいる。そのように私には見える。ともに生きるふたり、共生社会の最小単位の結晶のようでもある。
認知症を語るときに、なぜ私たちは「喪失」を外してしまうのだろう。喪失を語ることは禁忌、タブーなのだろうか。喪失は、老いて死んでいく誰もがたどる旅路である。喪失を忌避することは、自分の未来をタブーとするに等しい。
語られないのは、認知症を、喪失する病、何もわからなくなる病としてその人の存在を否定抹消してしまうからだ。
下坂厚さんの喪失の想いは、終盤、ある地点にたどり着く。彼は妻、佳子さんとの会話でこんなふうに語る。佳子さんに語るとともに自分に言い聞かせるようにして。
「何やろ。認知症になって、やっと自分らしくなったっていうか。なんか自分というものにたどり着けたっていうかね」
「たどり着く」という辛苦と苦味をたたえた形容に実感がこもる。たどり着いた先はどこか。
下坂さんは、それを「自分というものにたどり着いた」と語っている。この言葉をどう味わうのか。
私はその自分とは、自分を規定する「認知症」というレッテルを引き剥がして見えてきた、ありのままの自分自身なのではないかと思う。
実は、下坂厚さんと制作担当の川村雄次ディレクターのインタビューが番組ホームページに掲載されていて、これを合わせ読むと彼のたどり着いた先が、より輪郭鮮やかに言語化されている。下坂さんは、自身の喪失、認知症になってできなくなる自分、わからなくなっていく自分について、こう捉え直している。
「できて当たり前という社会から見れば、あかん部分ですよね。だけど、僕からしたら、そうなっていくのが当たり前で、それが自分で、それを、自分で自分を認めないといけない」
穏やかな口調に、私たちの社会の、「できて当たり前の社会」の暴力性を告発し、そこから回復する「当たり前の自分」という深い人間肯定を、彼は獲得した。
喪失を見つめる下坂さんのネガティブへのまなざしが、本当の、自己存在へのポジティブに転換したのである。絶望から希望が芽生えるように。
もちろん、これからも下坂さん夫婦は揺れ動く。不安と切なさの中の日常の不確かさを生きていく。ただ、そこに当たり前の自分と、互いの存在を確かめ合う同伴者がいる。
最終章、不確かさの中の、ゆるぎない確かさの写真が画面に映り出される。抑制された慎ましやかなつぶやきだけにかえって、そこでの広々とした愛の風景が、観るものの心に沁みる。
一枚の写真。流れにかかる木橋に並んで座る下坂さん夫婦。
小さな川に
小さな橋がかかる
ぼくらには
これぐらいがちょうどいい
のかもしれない
参考:認知症の私がSNSで伝えたいこと 認知症当事者 下坂厚さんに聞く
(NHK福祉情報サイト ハートネット)