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2024「認知症とともに生きるまち大賞」のすすめ

コラム町永 俊雄

▲「まち大賞」は今大きな社会の変化の中の小さいが確かな流れとなっている。そして今年最も切実な「まちづくり」の現場は能登半島の被災地だろう。ともに生きる!

夏の暑さの盛りだろう。
暑中お見舞い申し上げる。暑さにぐったりなのか、歳にぐったりなのか、はたまた途切れない雑務にぐったりなのか。
こう言う時こそ、しゃんとして未来を見据えるような考察を掲げようではないか。

とは言っても毎年申し上げている「認知症とともに生きるまち大賞」応募へのお誘いなのである。「あ、まち大賞、ワタシ、関係ないもんね」と言うそこのあなた、実はものすごく関係あるんだな、これが。
素敵なカフェやブティックのあるまちももちろんいいけれど、そう、あなた自身が輝くようなまちもまた良くないかな。あなた自身が素敵になるまち、一緒に考えてみないか。つまりね、「まちづくり」って「ワタシづくり」なんだよ。だから、ちょっとお付き合いいただきたい。

言うまでもなくこの「まち大賞」は、NHKとNHK厚生文化事業団が毎年開催しているもので、今年で8回を数える。とは言ってもその歴史は古く、そして大きな意味を持つ。

この「まち大賞」の原型は今から20年前の2004年に始まった「痴呆とともに暮らす町づくり」と言うやはり表彰イベントだった。当時、まだ痴呆の人と呼ばれていた20年前にすでに「痴呆とともに暮らす町」と言う共生モデルを打ち出していたことにほとんどのけぞる。

そこには時代を切り拓こうと言うまぶしい程の高々とした理念が打ち出されていたのだ。その実行委員長があの長谷川和夫氏、選考委員長がさわやか福祉財団理事長の堀田力氏だったことからもその先駆性はあきらかだ。

さて、その後の「まち大賞」は、各地に「まちづくり」の機運を呼び起こすようして広がっていった。もちろん、そこにはさまざま試行錯誤があり、挫折や失敗や勘違いがあった。そのことを糧にして今のまちづくりは広がってきたといっていい。

まちづくりに関わる人はよく、「Fail fast」と言うんだな。ま、「どうせなら早くに失敗しよう」と言うことで、元々はシリコンバレーのやたら頭脳明晰の天才たちから生まれた言葉らしいのだが、きっと、わたしたちのほうがしっかりと受け止められると思うぞ。何しろ天才じゃないし、よく失敗するからね。

失敗したらやり直せばいい。失敗は多くのことを教えてくれる。そこから対話が生まれ、まちが生まれる。
この社会は失敗を許さない。失敗をしないようにしないようにと仕向けるのは、まちづくりを臆病で痩せたものにしてしまう。早くに失敗して語り合い、前に進む。それだけであなたのまちの輪郭が豊かに生まれてくる。
ここにすでにこの社会はどうあったらいいのかと言うことの学びがある。
失敗したら排除される社会より、失敗してもやり直せる社会のほうが、はるかにいいだろ。

以前の「まち大賞」の受賞者はこんなふうに「まちづくり」をしたと言う。
自分の畑に使わなくなった農業用ビニールハウスがあった。どうせ使わないのならとそこを地域の人々に開放した。そう考えた人は地元のケアマネジャーだったから当然、認知症の人を考えていたのだが、集まったのはそれだけではなかった。引きこもりの人、障がいのある人、学生たち、シニアの人、なぜかみんな集まってきた。

そのケアマネは岩崎典子さん、今、そのビニールハウスの活動を誰でも包摂するという意味で、「まるごーと」と名づけている。
岩崎さんは、自身の「まちづくり」をこんなふうに語っている。

「来ていい場所」を作ったら、大勢の多様な人が集まってきた。
「来ていい場所」が「来たい場所」になった。そして集まった人たち同士で色々な取り組みを勝手に始めた。「来たい場所」が「やりたいことができる場所」になった。

2018年から始めたこの「まるごーと」は今、全国から注目され、取材や視察が引きもきらない。いわば、「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」をそのまま先取りした実践だったのである。でも、岩崎さんは、この取り組みを自分ではこんなふうに評価する。

「素晴らしい活動とほめられても、戸惑うばかりね。誰かのやりたいことを聴いて、一緒にやってみようか、で始めれば誰でもできることなのに」
「こうした取り組みは、ごく当たり前のこと。特別なのではなく、こちらが普通の地域社会なのだと思う」

誰かのやりたいことを聴いて、一緒にやって見ようか、で始めたらいいのに。
ここに「認知症とともに生きるまち大賞」のヒントがあるかもしれない。
「まちづくり」とは、誰かの声を聴くことから始まるのだ。小さな声、まだ聴こえてこない声、認知症の人の声、聴くことは、自分を動かす一歩になる。自分の一歩は、一緒にやってみようという声とつながって、それがまちづくりになり、そして「ワタシづくり」にきっとなる。

小さなことでいい。まだ成果が見えなくてもいい。規模の大きさや立派な言葉で飾らなくていい。一緒にやって見ようとして始めたそれぞれのまちづくり、「ワタシづくり」を応募してほしい。「まち大賞」にずっと関わってきたみんなで心こめて、しっかり読み取り、話し合うから。

さて、今年の「認知症とともに生きるまち大賞」に関して、私はどうしても伝えたいことがある。
それは今年1月1日の能登半島地震で被災した地域と人々のことである。
とりわけ被害の大きかった石川県能登では「なりわいといとなみ」が根こそぎの被害を受けたという。
私は能登の人々が語る「なりわいといとなみ」という言葉に衝撃を受けた。
「なりわいといとなみ」とは自分たちがその手で築き上げてきた生命と暮らしのことである。
能登の美しい街並みと豊かな自然と人々のつながりが失われて、今、切実な「創造的復興」に取り組んでいる。究極の想いを込めた再びの「まちづくり」に取り組んでいる。

過疎と人口減少の中での能登半島の被災は、それまで「なりわいといとなみ」を支えていた高齢者に過酷な運命をもたらした。被災によって二次避難、広域搬送などで故郷を離れての暮らしが今も続いている。
果たして命あるうちに再び故郷へ戻れるのか。能登の復興を担う地元の人々の一番のつらさと困難はそこにある。

能登半島はその歴史からも多くの祭りや行事が盛んな土地柄だ。
しかし、この事態に果たして祭りをしている場合かと、地元で復興に取り組む人はためらわざるを得ない。と同時に地元の自分たちが笑顔になれないとしたら、離れた高齢者はもっと悲しいはずだ。だからみんなで笑顔でふるさとの祭りをしよう、そう語りながらたちまちに言葉に詰まり、目が潤む。

能登半島の「まちづくり」は、命と暮らしとふるさとを取り戻すことだ。
子どもとお年寄りの笑顔に満ちるふるさとに戻すことだ。そして、能登半島の笑顔は、私たちのこの社会の隅々が笑顔に満ちることだ。

今年の「認知症とともに生きるまち大賞」に、能登半島の人々の「なりわいといとなみ」を忘れない。


 

<参考>
*認知症とともに生きるまち大賞・応募フォームはこちらから
https://npwo.or.jp/info/29973
*これまでの受賞団体の紹介
https://npwo.or.jp/tomoniikirumachi/?t=2023年受賞

|第287回 2024.7.12|

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