認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム

    「ともに」

    コラム町永 俊雄

    ▲ 季節の移ろいに連動する天体の周回軌道に、私たちは毎日のつつがない暮らしを重ね合わせる。「変えない」ために「変わる」私たち。

    「認知症になっても住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けることができる社会」の実現。これが国の認知症施策の目標であり、私たちの合意である。ここに向かって、私たちも各省庁もギリギリと巨石を引き動かすようにして社会の変革を目指している。
    ん? ちょっと待てよ。ここには二つの背反する要素が潜んではいないか。つまり「住み慣れた地域で暮らし続ける」社会の実現のために、この社会システムを変えていこう、という二つの文節に。

    福祉の心情原理としては「変化を望まない」ということがある。今日の暮らしが明日も続く、そのまた明日もまた同じように続くことが安寧であると考える。
    夕焼けにおテント様を見送り、日の出の一閃に手を合わせる暮らしのかけがえのなさが私たちの福祉原理の誕生だった。遥か太古の狩猟民としての暮らしは、獲物を求めて原野、氷原を家族もろともさまよい、飢えに怯えながら幾時代かをくぐり抜け、ようやく半島から伝来した稲作によって農耕民として定住できた時、私たちの先祖はいかほどの安堵を覚えただろう。
    変わらないことが安心であり、変わることは波乱であるとする心情はそのまま「福祉」に注ぎ込まれた。しかし、この国の社会保障と財源と政治は複雑に入り組み、ニッチもサッチもに行かず、社会システムそのものを根本的に変えなくてはならないところまでに追い詰められた。それは、「変えない」ためには、「変わらなくてはならない」ということだ。福祉の変革の難しさはそこにある。
    いつもと変わらない暮らしが連綿と続くことを願う心情から生まれた「福祉」そのものが変わらなくては、「変わらない暮らし」が脅かされる。二律背反の課題の前に「福祉」はある。それはまるでメビウスの輪を辿るようなものである。しかし、ここにある矛盾律と見えることこそ、新たな「福祉」の跳躍を生む。この結節点に変革を生む私たちの力が潜む。
    それは、痛みを伴う変革だ。私たちは「変えない」ことを、ただ「変わらなくていい」として、錯覚と怠惰で見過ごしてきたに過ぎない。誰かが変えてくれるのではなく、自身が変わらなければ「変わらない暮らし」は手に入らない。
    道元禅師は説いた。「放てば手に満てり」(手一杯のものを放してこそ、真実を手にすることができる・正法眼蔵)。
    政治システムに保障された福祉の発想から脱却し、生活者一人ひとりが、ほんのわずかでも繋がりを求めたら、それだけで大変革につながる。一人ひとりが小さく踏み出したら、それだけで地域社会が動き始める。「変わらない暮らし」を守るために、それまでの飽和した自身を放ち、変わることができるのか。

    そのことを訴え続けてきた人たちがいる。認知症当事者の人たちだ。当事者の人たちは、喪失と絶望から、認知症と共に新たな自身へと踏み出した。彼ら彼女達はかつての自身を涙を振り払うようにして放ち、その心と手に「共に」という思いをいっぱいに満たして新たな自分に踏み出した。
    「ともに」 それは誰もの変わらない暮らしを続けるための、変わるべき私たちが手にした新たな社会の姿だ。ただ一つの言葉、「ともに」で社会を満たしたい。
    放てば手に満てり。

    |第56回 2017.10.27|