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アスリートの「言葉」 医療の「言葉」

コラム町永 俊雄

▲ 講演風景。2009年のイギリスの認知症国家戦略では、「アイ・ステートメント」と、認知症の人の「私」を主語にして施策を評価するとした。認知症の人を、支援の対象にするのではなく、人生の主人公として「認知症とともによく生きる事」を社会の目標とした。「私」という「言葉」の力。

平昌五輪のスピードスケート女子500と1000で、金と銀のメダルに輝いた小平奈緒選手。金メダルに届かなかったライバルの韓国の李相花(イ・サンファ)選手を抱きしめて声をかける姿は世界に感銘を与えた。
彼女は人間的にも素晴らしいし、同時に、インタビューに答える言語能力が明晰だ。この人は自分を語る言葉を持っているなと感じていたら、小平選手が金メダルを獲得したその翌日、彼女の強さの秘密について、朝日新聞が特集で報じていた。

「小平、探究心の結晶」というその記事によれば、年に一度、そのスケーティング技術を語る「技術討論会」が持たれるのだそうだ。それぞれが自分の滑りを言葉で徹底的に自己分析する。言葉で、というところが重要で、精神論ではなく「言葉」で自分の滑りを表現し、そのことで技術を理解し、自分の力とするのだそうである。百分の何秒かを競うスピードスケートの世界での、「言葉」の機能とは何か。

小平選手はこんなふうに自分の滑りを言語化する。
「怒った猫のような背中を意識し、肩をあげる」
うーむ、すごいな。あの獲物を狙うような滑りがここに生まれる。
こんな風にも自分に言い聞かせる。
「柔軟性や可動域を生かす」
訓練の成果を具体的な言葉に置き換えることで、筋肉のひと筋ひと筋、関節の微妙な感覚を覚醒させていく。
スタートする前には、腰を右手でコンコンと叩いて「右骨盤を(中に)入れる」というイメージを植え付ける。あ、これはリンク上で目撃したような気がする。
自分の身体の隅々までを「言葉」に置き換え、意識させることができるか。そのことが究極の滑りを自分のものにできているかの証明なのだろう。とかく精神論的な、「努力の人」とか「天才」で表現されがちだが、アスリートの強さとは、自分の身体の部品、動きひとつ一つを「言葉」に置き換え、確認し、意識づけしていく中で初めて生まれる。それはまるで「言葉」を工具に、精密機械を寸分の狂いなく組み立て直す熟練工のようなものかもしれない。
優れた視点の記事だったと思う。

医療の世界でも、患者と接する臨床医にとっては「言葉」の意味と役割は大きい。
「どこか痛いところはありませんか」
診察室で、縁なし眼鏡の奥の目をやさしくまたたかせて、主治医が尋ねる。日常的な診療風景である。しかし、そう問われた患者の側では、「痛いところ」という言葉が直ちにインプットされ、自身の体の痛いところを探し確認しようとする。仮に、「特にありません」と答えても、「先生があんな風に聞くからには、私の体は本来痛みがあるはずなのではないか」と、意識は痛みとつらさと病いの中に凍りつく。春の息吹の中にやってきたのに、その人は、その時点で「患者」「病人」として確定され、診察室で不安げにうつむくしかない。

何気ない診察の「言葉」を医療の側からも問い直す動きがある。診察での言葉は、患者自身の言葉を封じ込め、医療者の側があらかじめ組み立てている医療の物語に誘導しているだけではないのか、と。
そこに提示されたのが、ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM:Narrative Based Medicine)、物語にもとづく医療である。ナラティブとはその人の物語。まずは患者の側の物語に耳を傾ける。いわゆる「鑑別診断」「臨床判断」から一旦離れて、医療者が柔軟に自身を切り替える。そこで医療者と患者との間の物語が紡ぎ出され、ヒトとヒトとの「言葉」が行き交う。

アスリートが、自分の意識と身体の反応との間に「言葉」を介在させ意識化させることで、記録の向上につながるように、この医療者と患者の間の物語という新たな「言葉」のコミュニケーションは、医療効果の向上にもつながるとされる。
認知症の人の不安やつらさに耳を傾け、それぞれの立場で、丁寧に「言葉」に置き換え、共有されることで認知症ケアは成り立っている。認知症の人のふるまいもまた身体言語として捉えれば、認知症の人たちの発信は雄弁なのである。

私たちはよく「思いやり」や「支え合い」に満ちた地域を、と言う。その思いやりや支え合いという大切な力を、曖昧な「精神論」のままにしていないか。例えば、「思いやり」を、心と身体に届く「言葉」でそれをどう積み上げ、地域の力にすることができるのだろうか。「思いやり」「支え合い」を多様な「言葉」に置き換え意識化し、それぞれの人々の物語が行き交う「圧倒的に滑らかな滑り」を地域に満たしたい。

|第65回 2018.3.7|

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