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長谷川和夫さんが描く「認知症」

コラム町永 俊雄

▲ 2007年10月、NHK大阪ホールでの認知症フォーラムの様子。当時のフォーラムはまだまだ医療と介護が中心で、長谷川さんも専門医としての解説が主だったが、そこでも認知症の人と地域住民とが一緒に取り組む活動を紹介し、まちづくりへの思いを力説していた。(写真はYOMIURI ONLINEから転載)

認知症に関わる人で、長谷川和夫さんを知らない人はまずいないだろう。認知症医療の第一人者であり、ケア専門職の育成にも力を注いだ。そして去年の10月、自身も認知症であることを公表した。

長谷川和夫さんに会った人なら、それがたとえ短い時間でも強く鮮やかな印象を持つ。長谷川さんが認知症を語るとき、柔和な眼差しと穏やかな語り口ながら、聴く人はそこに揺るぎない信念を感じ取る。
それは、学識豊かな人の「お話」を聴くというのとは明らかにどこか違う。一方的な知識伝達を超えた何かを長谷川さんの存在から学ぶのだ。
長谷川さんが、絆と言い、支え合いを訴え、ぬくもりを語るとき、そのありきたりの単語それぞれが、全く違う力を持って立ち上がる。幾重にも聴く側の中で共鳴する。聴く人を揺さぶるようにして、心に直接響く。
それはなぜだろう。

長谷川和夫さんは、認知症とともにケア職育成の専門医であり、そして、現在は自身もまた認知症の当事者である。医療、ケア、当事者と、いわば認知症に関わる全ての立場の専門家が長谷川和夫さんだ。

認知症医療専門医の長谷川さんは「長谷川式簡易知能評価スケール」の発案者として知られる。今日の早期診断の大きな要因ともなった長谷川スケールだが、その現場での使い方には、いつも苦言を呈した。
9項目の質問には例えば、「歳はいくつですか」と、いきなり個人情報に踏み込むものがあったり、「100から7を引くといくつですか」と受け止めによっては子供扱いにもなりかねなかったりする場合もある。
それに対する十分な配慮が必要だとくどいほど注文をつけた。認知症の人のプライドを尊重し、本人と家族に丹念に説明し納得した上で行って欲しい、と。
そこにあったのは、認知症の人の「その人らしさ」への尊重である。

長谷川和夫さんは、その後、認知症の専門医から、ケアの人材育成に大きく関わることとなる。
1993年に聖マリアンナ医科大学学長、2002年に理事長に就任。その間2000年に介護保険が施行され、認知症ケアの人材育成のための現在の認知症介護研究・研修センターが新設されると、その東京センター長になる。

認知症の人と家族にとってのケア職の重要性を痛感していた長谷川さんは、ケアする人々に、イギリスの心理学者トム・キッドウッドの「パーソンセンタードケア」の理念を掲げた。いうまでもなく、このパーソンセンタードケアは、現在の認知症ケアの主流である。
そこでの理念とは、パーソンフッドという概念の大切さだった。これが、今日の認知症の「その人らしさ」というキーワードとなって広がっていく。
だが、長谷川さんの言うパーソンフッド(その人らしさ)は、はるかに広く深い視程を持っていた。長谷川さんはこう語っている。

「認知症の本人を中心にして対応すること、これは個人の内的体験を理解すること、そして誰も他者が代行できない個別性があること、生まれてからの独自の自分史をもっていることが、人間存在の尊厳を創っている。これが、パーソンフッド(その人らしさ)という概念である」(第56回日本心身医学会総会学術講演会より )

「その人らしさ」とは単なる外見の違いや性格といった表面的なものでなく、それぞれの個を特徴付けている精神性までも含み、それは人間の尊厳そのものなのだとしている。
ここにはすでに、のちに澎湃(ほうはい)として沸き起こる認知症の本人発信の原点(誰も他者が代行できない個別性)を言い当てているだけでなく、認知症がいかに進行しても「自分らしさ」は損なわれることのない、その人の尊厳であるという確信でもあった。
それは、認知症を通しての「人間」への深い洞察だ。

そして、現在、自身の認知症を公表した長谷川さんは週一回デイケアに通っている。かつて認知症の人や家族に、行くことを勧めていたデイケアに自分が通うようになって、今はそのスタッフから学ぶことが多いと語る。
認知症の医療とケア、そして当事者と、認知症に関わるすべての専門領域を、今は長谷川さん自身の身体を通して検証する日常を過ごしていると言えるだろう。

長谷川さんの語る「絆」「支え合い」「ぬくもり」には、その背後に長谷川さんの半世紀を越える認知症への蓄積された思想と哲学が込められ、ある必然で選びとられた覚悟の言葉として発せられている。だから、私たちの心深くにまで響いてくる。

2007年の私たちのフォーラムには、当時の家族の会代表の高見国生さんや他のメンバーとともに登壇している。そのフォーラムの最後に長谷川さんは柔らかに、しかし決意込めて、こう述べた。

「私は認知症対策の最終ゴールは、やっぱりまちづくりじゃないかと思うんです。一握りの専門家がいるとか、ある施設がいいというだけでは、認知症の人は本当に安心して暮らせない。やはり市民一人一人がちょっとした支え合いができれば、認知症になっても大丈夫な社会になると思うんです」

今から10年以上前にすでに地域の力に目を向け、認知症になっても安心のまち、「認知症とともに生きる社会」を繰り返し提言していたのだった。
パーソンセンタードケアから「パーソンセンタードソサエティ」に。
長谷川和夫先生の人生の歩みは、認知症を通した普遍の世界観をくっきりと描いている。

|第78回 2018.8.24|