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岩手八幡平の農場の真ん中で「福祉」を聞いてきた 〜高橋和人が語るいのちの循環〜

コラム町永 俊雄

▲南部富士とされる秀峰、岩手山の麓に広がる高橋さんの農場と下段にNPO法人「里・つむぎ八幡平」代表の高橋和人さん。

先日、岩手県八幡平で認知症シンポジウムに参加してきた。

東北も暑かった。「会場の八幡平の体育館には冷房がないのです」と、主催の市の担当者や地域包括の人が恐縮しながらあちこちに大きな業務用の扇風機を備え、至る所に飲み物のペットボトルが置かれて、そうしてシンポジウムが開催された。
主催の人々それぞれが想い込めて汗かいての、こういう形の開催自体が、実は私たちの社会の底力なのだろう。

地域にはこうした人々の思いが潜在する福祉の力、いわば福祉ストックがある。
それは実は、日常に行き来する生き生きとした交流で育まれている。私は東京生まれの東京育ちなのだが、地域の人々の会話の断片がひどく羨ましい。すごいなあ、かなわないなあという思いがしてならない。

このシンポジウムの参加者の一人が、地元八幡平で「半農半介護」という農業と介護を連携させたユニークな活動をしている高橋和人さんだったのだが、その取り組みもさることながら、地域の人々との会話の端々に、「あ、あの人、私と同級だから」とか、「アイツさ、私と何年違いだから」とか、高校の同級であることや年次の違いがまず最初に来る。もうそれだけで無条件に仲間なのである。地域を共にしているのである。

東京育ちにはそうした地域アイデンティティの共有はない。高校出て、大学にでも行ったら、もうその時点で人生の道筋はバラバラになり、その後の互いの人生に地域の交点が錯綜する共同体は掻き消える。

とりわけ、今年の八幡平の高橋さんの夏はアツかった。盛岡三校野球部、あと一歩で甲子園だったのである。高橋和人さんにとっては出身校でありまた、自身も野球部だったからそれはもう、「惜しかったなあ」なのである。で、その話題で、誰もがシンポジウムそっちのけで盛り上がる。打ち合わせ、しなくていいのか。

「惜しかったあ」「オレ、甲子園に行く準備していたのになあ」
聞けば、岩手大会の決勝まで盛岡三の快進撃だったのである。が、県大会決勝では、あの花巻東に屈した。

甲子園を賭けた決勝戦、制したのは大谷翔平、菊池雄星を輩出した花巻東だった。
それは惜しかったですね。で、点差は? 「10対0…」と、そっと答えてくれた。
それって、それほど惜しいという点差ではないような気もしたが、それを言ったらおしまいよ、シンポジウムが成り立たなくなりそうだった。

「決勝まで進んで花巻東と闘ったのはとにかくすごい。惜しかったですねえ」「そうそう」「うんうん」、ここぞとばかり、みんながあいづち打ってシンポジウムは成立した。

今、実は地域の現実は厳しい。地域の暮らしには苦しいことも多い。失政の皺寄せは地域にばかり押し寄せる。だからこそ、誰かの楽しいことや嬉しいことは、誰もが何倍にも共鳴させて空に響かせ、肩叩き合い笑いあう。
シンポジウムの開かれた日、夏空に終日クッキリと岩手山がその山容を見せていた。楽しい時は、とことん楽しめ。苦しい時は、岩手山のように、きっと誰かが見守る。

あの石川啄木は、その南部富士、岩手山にひたすらの望郷の思いを寄せながら、26年の鮮烈な人生を駆け抜けた。

ふるさとの 山に向ひて
言ふことなし 
ふるさとの山はありがたきかな

「岩手山、いいでしょう」、何人もの人がそう私に語りかけてきた。
かなわないなあ、すごいなあ、羨ましい。

岩手山に抱かれたシンポジウムには、私と丹野智文さんの講演、それに続く地元、岩手県滝沢市でスローショッピングを始めて今や全国に展開している紺野敏昭さんと、その高橋和人さんを交えてのディスカッションだった。

紺野さんのスローショッピングも高橋和人さんが代表のNPO「里・つむぎ八幡平」の取り組みも共にNHKの「認知症とともに生きるまち大賞」の特別賞を受賞している。
高橋さんの「里・つむぎ八幡平」の取り組みは、これまでも様々な角度からその意味合いがいくつものすぐれた論評に語られてきた。そこで注目されるのは、2つの法人と5つの施設を運営する中での制度横断的な取り組みである。

例えば、「里・つむぎ」のデイサービスを利用する高齢者は介護保険のサービスだが、そこに障害のある人も来ているので、その人には障害者の支援事業のサービスとなり、デイサービスの利用者のうち11人は併設されているそれぞれの部屋の住人だから、これは老人福祉法の老人ホームとなる。
「こういうの、本当は別棟に分けないといけないらしい」と高橋さんは言いながら、そんなのおかしいでしょ、とどの施設も「まるごとケアの家」の名を冠している。

つまり福祉事業は「制度ビジネス」で最初に制度や法律といったフレームが設定されてしまっている。だが、福祉をフレームの中で考えるのではなく、まるごとそこにいる「人間」から考えるというのが、高橋さんの全ての起点である。

シンポジウムが終わって翌日、彼のもうひとつの法人で「半農半介護」の農業部門に取り組む「すばるファーム」の広大な農場を案内してもらった。
「ここがとうもろこし、あれが唐辛子、向こうが枝豆」
どれも地元特産品種で、途絶えていた銘柄の復活にも取り組み、全て有機農法の認証を受けている。人気は、「八幡平バイオレット」というニンニクで地元八幡平の在来種、栽培が難しい希少種とされるが、その濃い風味が特色で、その成分もアリシンが多く含まれていて、生を丸揚げして食べるとその甘みがとにかく絶品なのだそうだ。

「でもね、八幡平バイオレットは、球自体が大きいのでその分茎も太いし、根も深く張る。だから収穫作業はとにかく大変なんです」
高橋さんはしきりに「大変なんです」「難しい」を連発するのだが、そう語りながらなんとも楽しげ、嬉しげなのである。農業を通じての確かな手応えの実感がそういう表情になるのかもしれない。でも聞いているうちに、気づいたことがある。

そうか、彼の「半農半介護」の本質はここにある。
農場でいかにも生き生きとここで育てている野菜などの彼の話を聞きながら、彼が半農半介護の取り組みとして語ろうとしているのは、福祉とか介護といった用語のフレームを超えて、その根本を懸命に語っていたのである。
それはなんだろう。

それは土から生まれるものであり、土に育てられ、そして私たち誰もにつながるものだ。
彼の講演のレジメにはこんな一節があった。

「全てのいのちは自然の中から生まれ、自然の中で育まれてきた。
いのちと自然の存在は同質のもの」

これなんだ。高橋さんが農場を巡りながら伝えたいのは、大きな自然の中でのいのちの循環と継続なのだった。
いのちと自然は同質で緊密に繋がっている。私たちのいのちも、土から育つ野菜のいのちも互いにつながり、循環するものだ。いや、こんなふうに記すと何か観念的な物言いのように聞こえるかもしれない。でもそれは全て、高橋さんにとっては、ここの大地にしっかりと根差した具体的な体験から生まれている。

ここの施設の利用者の8割は「お百姓」と誇りにじませて自分を語るという。それは高橋さんにすれば、「土」から「いのち」を育てる人なのである。そうした人の力をお借りして「半農半介護」が成り立っているのだという。農業というのは、いのちを育て、その作物のいのちに育てられているとするなら、それは福祉での、「支えることが支えられる」という互酬性の本質であり、土からすくい上げるのは「福祉」の原石の輝きであろう。

お百姓は毎朝、田に出て稲に語りかける。おはようであったり、今朝のきげんはどうかな、といとおしげに稲穂の実りを確かめる。言われてみれば、そこにあるのは自分と自然とが同じ「いのち」であるからこそ成り立つ対話であり、それはいのちの共振、共鳴なのである。
だから、この八幡平の広々とした農場の只中で高橋さんの話を聞くと、これはすっと胸に沁みる新鮮な言葉なのである。都会のホールで聞くのとは、たぶん、大違いだろう。

介護や福祉は、どうしても政策や施策のフレームの中で語られる。そのことに意味がないとは言わないが、こうして自然の中、土の中から立ち上げ、自分自身の感覚にグッと引きつけた上で実践する福祉が、地域に根付く。いのちを育む。お年寄りのいのちを充実させ、そしてまだ見ぬいのちへの循環が、ここにはおおらかにつながっている。
向こうに岩手山、こちらの八幡平の農場にはいのちが溢れているようだった。

いいなあ。すごいなあ、かなわないなあ、羨ましい。
甲子園の高校野球、八幡平バイオレットのニンニクの素揚げを齧りながら、花巻東を応援することにする。

▲暮らしといのちをともにする「里・つむぎ八幡平」の取り組みだが、その基盤は、広大な農場で育てている「いのち」に育てられている。下段左に収穫された「八幡平バイオレット」のニンニクと高橋和人さん。

|第254回 2023.8.9|

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