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認知症になっても地域で暮らす

コラム町永 俊雄

「認知症になっても住み慣れた地域で安心して暮らす」というのが、認知症の地域ケアの大きな狙いである。でもね、そのためには何をすればいいのか。地域の担当者は悩む。そりゃそうだ。地域で暮らす認知症の人には一人暮らしも目立つ。
「知らない人が家に入ってきてスカートを盗っていく」と訴える認知症の高齢者。一人暮らしの不安からか、もの盗られの妄想は多い。食卓に食べ物が残っているので、担当者が「これいつ食べたの?」と聞けば「さあ、いつのだろう」という答え。たちまち健康被害にも結びつきそうだ。
在宅の認知症の人、とりわけ一人暮らしの支援体制を創るのは容易ではない。制度はあってもそれが実際に機能するかどうかは別問題なのだ。そもそも「制度」というのは、どこかに支援の線引きをするわけだから、当然、その線からはみ出したり、切り捨てられる人が出る。制度の枠組みというのはそういうものである。
ところが地域で生活するというのは、その制度の枠組みに縛られず、枠組みを出たり入ったりする。それが「住み慣れた地域で自分らしく暮らす」ということなのだ。施設介護とは、そこが決定的に違う。

山形県湯沢市の社会福祉協議会の赤平一夫さんは、まずは担当の訪問員と戸別訪問をする。家に上がり込んでも、すぐに支援制度の説明をすることはない。ジックリと暮らしぶりを聴く。もの盗られの妄想も聴く。飲んでいる薬も尋ねる。とりあえず老人ホームへの入居を勧めてみるが、「イヤだ。あそこに行くともう町に出てくるのが大変だ。ここがいい」その高齢者は答える。そうかそうか。赤平さん、アゴを撫でるばかりである。話がトンチンカンになったりするから、最後にはメモに「これまでの話し合いで落ち着きましたか」とわざわざ書き記して確認すると、そのおばあさん、即座に答えた。「うんにゃ」
赤平さん、アッチャーである。が、その後すぐ、おばあさんが笑顔で顔をくしゃくしゃにしてこう言った。「でもね、あんたたちが来てくれて、こんなに話を出来てとても嬉しかったさ」

「制度」が時に冷たく、機能しないのは、そこに思いがのっていないからだ。訪問終えて、外に出た赤平さんは深く息をついて柔らかな山形弁で言う。(再現、多分違ってます)
「話コ出来て良かったな、喜んでもらえたべ。一人ひとり抱えている事情は違うンだ。それを一律に支援をしようとしても役には立たない。まずはよく話を聞いてそこから支援の枠組みを工夫することが大切なんでしょうね」

「地域で暮らす」ということは、良いことばかりではない。一人暮らしの認知症の人にとっては、不安定でリスクに満ちた暮らしでもある。しかも本人はそのリスクを正確には捉えられない。それでも「ここがいい」という本人の自己決定があるなら、それを尊重したい。赤平さん達湯沢市社協の取り組みは、ただ「支援」の枠に高齢者をはめ込むことではない。本人の思い、ニーズから立ち上げて「制度」と「支援体制」を創る、というものだ。
コミュニティソーシャルワーカーでもある赤平さんは今日も、一人暮らしの高齢者の家を訪問し、話を聞き、冷蔵庫の中身を確認し、お向かいの家に声をかけて見守りを頼み、ある時には成年後見も引き受ける。
「認知症になっても地域で暮らし続ける」ためには、地域のほころびを縫い合わせ、つなぎあわせ、新たな支援の仕組みをつくりあげていく丹念な作業が必要だ。それが「制度」に血を通わせることであり、「地域で暮らす」ための地域ケアだ。
言いかえれば、認知症の人の「思い」と「力」で、地域を再生させる事ができる、ということでもあるのだ。
山形の認知症フォーラムでの地域での取り組みは、その実践だった。

| 第14回 2014.7.1 |

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