認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム

    「恫喝」の認知症から「希望」の認知症へ

    コラム町永 俊雄

    ▲ 国立社会保障・人口問題研究所の日本の将来推計人口より。ここにそれぞれの1人がいる。単に「超高齢社会」と括るのではなく、図表で可視化することで、自分ごととして考えることができるだろう。

    人口ピラミッドをご存知だろうか。この社会の人口構成を図形化したもので、ピラミッドの下層に当たる子ども若年層がどっしりと厚く、高齢者は年を重ねるに従ってこの世界から退場していくのが社会の秩序だから、上層に行くほどに細くピラミッドの形になるというものだ。が、そう思って現在の日本社会の人口ピラミッドを見てみる。これはもうエジプトから、これをピラミッドと称したら怒られるのではないかという形状である。高齢者が溢れ若年人口は限りなく縮みこむ。将来推計の人口ピラミッドに至っては、棒杭がふらついているようで、小指でつついたらコテンと倒れそうな危うさだ。
    この危うさがそのまま、私たちの社会の不安だ。この先どうなるのだろう、高齢者は危ぶみ、若い世代もまた自分たちの社会保障の先行きに立ち込める暗雲を見つめるしかない。
    だが、こうした将来推計のデータを読むときは気をつけたほうがいい。ただ受け止めるだけだと不安に佇むばかりだ。そも、この人口ピラミッドは誰がもたらしたのか。もし誰かから私たちに押し付けられたのなら、こんな不安と希望薄い未来はいらないとつきかえすこともできる。しかし、この不安定な人口ピラミッドは、実は私たちの幸福の追求の結果である。焼け跡の戦後から家計経済の豊さを求め、地方から都会へ労働人口の流入があり、長時間労働と長時間通勤にあったライフスタイルとして子ども1人の核家族を選択し、それに先立つ医療の進歩は乳幼児の死亡率を激減させ、世界に類のない長寿を達成した。その結果がこの人口ピラミッドなのである。みんなが望んだ「豊かさの幸せ」の実現がこのピラミッドを築いた。文句の言える筋合いではない。この未来を所与の社会像として、私たちは世界一の成熟社会のモデルを創りあげなければならない。

    「認知症」についてもまた同じ読み解きが必要だ。将来推計はこうささやく。
    日本の高齢化率は27%で世界一。2025年にはMCI、認知症予備群を含めると認知症の人は1300万人、高齢者の4人に1人でその社会的費用14.5兆円、とか。データとしては正しいのだろう。多分。でもね、だからどうなんだ。
    私はこうしたデータの向うに「恫喝」の響きを感じ取る。この社会の壊滅的な状況を示して震え上がらせ、恐怖を煽って、どこに私たちを連れて行こうというのだろう。ここには認知症になると大変な事態を引き起こすという根深いスティグマが張り付いている。ここには「認知症になるともうおしまい」という俗にまみれた「認知症観」が前提にされている。私たちは私たちの未来を不安と怯えの中にしか描けないのか。
    私たちは、もっと違ったアプローチで「認知症」を語ろう。恫喝でなく希望の文脈で「認知症」を語ろう。認知症の人の自立と自己決定を共に支える社会を作り上げることが私たちにはできることを示す。無機のデータの羅列に暖かな思いを通わせ、希望の指数に書き換える。私たちにはそれができる。認知症の人と共に生きるということは、未来の私と共に生きるということだから。
    それはあのデータの数々が教えてくれている。

    ▲ はや、街角のあちこちでクリスマスツリー。これからの時間はまるで加速するように飛び去っていく。流されまた立ち止まり、季節は巡り人生も時を重ねる。

    |第58回 2017.11.29|

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