▲師走の渋谷公園通り。「青の洞穴」のイルミネーションで賑わう。まちは暮らしを創り、暮らす人もまた、まちを創る。認知症のある人やあなたとともに。
2022年の「認知症とともに生きるまち大賞」が決定した。
コロナ禍の中、今年の応募団体はこれまでになく少なかった。今年の受賞は4団体だ。しかし、その応募内容を知るほどに、ここには「ともに生きる」社会への本質的な問い直しが込められている。地域とは何か。つながりとは何か。そして、認知症とは何か、と。
それでは、受賞団体それぞれの取り組みを見ていこう。
おんぶにだっこ(愛知県豊田市)
今年の「まち大賞」の特徴は、一言で言えば「支える」と「支えられる」の関係の見直しである。「おんぶにだっこ」とは、若い世代が高齢者を支えるというこの超高齢社会の行き詰まりを軽やかに組み直している。
ここにあるのは、認知症のある人や高齢者が子育て中の親子に料理を振る舞うという新しいカタチの子ども食堂である。仕組みはシンプルながら取り組みの映像は豊かな笑顔に満ちている。
子供たちが口々に美味しいと盛んな食欲を満たすさまは、提供する高齢者や認知症のある人だけではなく、隣でともに食べている親たちをも、食と心と身体の全部を満たしていく。
「子ども食堂」は、2010年代から始まったとされ、その背景には子供の貧困があった。誰もが豊かな社会と思い込んでいたこの日本に、OECD加盟国最悪とされる子供の相対的貧困率の高さは衝撃をはしらせた。
そして現在、コロナの日々の中でこの社会の貧しさは誰もに及んでいる。それは経済的貧しさだけではない。本当の貧しさは、子供達の「孤食」にあり、独居高齢者の「孤立」にあった。
「みんなで食べよう」、認知症のある人や高齢者が腕を振るった料理をほおばる子どもたち。子どもたちが満たされ、提供するお年寄りもそれに倍して満たされていく。私には役割がある、と。
誰がおんぶされ、誰がだっこするのか、それはどちらがどちらでもいい。思えば、この地域社会はそうした互いに育む力を持っていたのだ。
取り組みを紹介する映像は、子どもも親も高齢者も認知症のある人も一緒に笑い言葉を交わし、どこかなつかしい。私たちの目指すのは、そんな「なつかしい未来」だ。
希望をかなえるヘルプカード (北海道北見市)
認知症になっても、行きたいところに自由に行き、安心して外出できたらどんなにいいだろう。しかしどうしても周囲は、危ないのではないか、できないのではないか、と思ってしまう。そこで作られたのが「希望をかなえるカード(希望のカード)」だ。
実はこうしたヘルプカードは類似のものは各地にある。
選考委員の一人、丹野智文さんは8年前から自分で工夫したヘルプカードを使っている。
勤務先までの道順がわからなくなる時に、「私は若年性アルツハイマーです」と記したカードを示して助けを求めた。それは丹野さんの暮らしを支えるともに、地域に認知症のある人の存在を示すことで地域を変え、当事者発信の起点ともなった。
北見市の希望のカードの特色は、そうしたヘルプカードに地域特性を反映させている。
それはカードに自分の希望を書き込む欄がついていることだ。
自分なりの小さな希望があっても、それをうまく伝えられない。そのことで暮らしの多くの場面を諦めてしまう。
それなら、希望を書き込む欄を作ろう。買い物に行った時に「支払いに助けが必要です」「降りる停留所に近づいたら教えて」、などなど。
これは小さな希望かもしれないが、実は大きな意味と役割がある。それは認知症のある人の主体的な意思決定を促し、自分の「やりたいこと」の発見につながる。
認知症のある人への支援の多くは、「できないこと」へ向けられる。しかし、本人の暮らしが前を向くためには「やりたいこと」への歩み出しが必要なのである。
買い物に行きたい。美味しいケーキを食べに行きたい。あの人に会いたい。縮こまっていた自分の暮らしがいろどりに満ち、「できないこと」から「やりたいこと」へと自分らしい人生を、一枚のカードが拓く。
「あなたの希望はなあに?」
カードを真ん中に置いて、家族や友人、支援する人たちが認知症のある人とともに、あなたはどう暮らしたいのか、どんな困難を持っているのかなどを対話する。
そこで認知症のある人は自分のやりたいことを探り当て、また、周囲の人々も認知症のある人のその思いを共有する。
そうしたケアの互酬性が地域の中にあたりまえに確かに広がって、そこに「認知症とともに生きるまち」が生まれてくる。
北見市は日本最北の10万人都市、これからマイナス25度にもなる厳しい北の大地だ。
そこでの「希望をかなえるカード」、希望という言葉に地域のぬくもりを与えるような取り組みである。
プラチナバンク事業 (秋田県藤里町)
藤里町の取り組み紹介の映像がユニークだ。地域の高齢者が集まっての何やら農作業から始まる。
それは冬山から掘り出したわらびの根を叩き、それを白神山地の冷水に根気よくさらしては、わらび粉を作る作業である。
地域の担当者は「根っこビジネス」というが、今や天然100%のわらび粉は高級食材である。まさに地域の「根っこ」である暮らしの感覚から立ち上げ、そこから大きな価値を作り出す、そんな地域創生の取り組みだ。
それが人口3000人に満たない過疎地で、高齢化率50%にもなろうとする藤里町の取り組みだ。
地域で暮らす高齢者も、認知症のある人も、障害のある人も誰もが自分らしく生涯現役を目指せる取り組みが、藤里町社会福祉協議会による「プラチナバンク事業」だ。
これは、福祉の常識を覆した。それまでの福祉とは、常に「弱者」を設定しその支援という構図だったのを覆し、誰もが地域の仲間であり力であるととらえ直したのが、生涯現役の「プラチナバンク事業」なのである。
この「まち大賞」としての受賞理由、それは「認知症のある人のため」と特化しないということだ。認知症のある人のため、というのは、ともすれば、認知症を対象化し、問題化し、負担とし、なりたくないものとしてしまう。
藤里町では既に大きな評価をされている誰もが生涯現役を目指す「プラチナバンク事業」を、これこそが、「認知症とともに生きるまち」だと応募してきた。この「まち大賞」の方が、地域から問われたのかもしれない。
地域には、認知症のある人もいれば、障害のある人、病の人、そして引きこもりの人もいる。そのそれぞれを課題とし福祉サービスを提供するような余力は、過疎地であり高齢化率の高い藤崎町にはない。むしろ、地域の人々の力を分けてもらうことで、地域の活力とするしかない。
「認知症とともに生きるまち」とは、認知症のある人「だけ」とともに生きるまちであるわけがない。それは、本来の誰もが生涯現役として役割を持ち、認められ、生き生きと安心して暮らせる社会ではないのか。藤崎町のプラチナバンク事業はそのように問いかけている。
Be Supporters!
これは本賞とは別に、これからの活動の広がりや進化に期待を込めてのニューウエーブ賞を受賞した。
福祉の発想から跳躍するような取り組みである。
今回のサッカーワールドカップには誰もが熱中しただろう。普段あまりサッカーに関心を持たない人も堂安や浅野のゴールに手を振り上げ声を上げ、森保ジャパンの戦術に堂々とコメントしたりしたはずである。
そんな幾つになってもの「ワクワク」をコンセプトにしたのが、この取り組みだ。
これまでの福祉はともすれば、その人のつらさや困難に向き合うのを本義とした。しかし、そこでは誰もが持っているワクワクする気持ち、熱中する機会という感情の動きには、なかなか関心が向かなかった。
これは健康飲料企業が、Jリーグ4クラブを中心にして各地の高齢者施設と連携した活動である。
取り組みの紹介映像には、とにかく応援に熱中する高齢者の姿が溢れている。ワクワク感の中では確かにエビデンスはないとしても、それぞれのQOLの改善が実感できるとする関係者の声にもうなずける気がする。
この取り組みのもう一つは、この社会での企業の参画である。
これまで「認知症とともに生きるまち」とは、何となく福祉の専権事項のように思いがちであるが、企業はこれまでも企業の社会貢献(CSR・Corporate Social Responsibility)を発信し、それはSDGsとつながって大きな世界の潮流となっている。
そして今、企業の取り組みが、新たな次元としての社会との共通価値の創造(CSV・Creating Shared Value)を打ち出している。
これは、誰もと共有できる新たな社会価値をともに創り上げていこうという企業活動である。我が国の場合、高齢社会適合の価値をどう作るのかが、当面の課題だろう。
これを企業の思惑だけが突出するのではなく、社会全体とどう協働するのか、ワクワクという陽性の取り組みは、実は背後にこの社会の大きな課題も秘めている。
以上が受賞4団体だ。
今年の「まち大賞」を振り返れば、どこもすでに、認知症のある人の「支援」と「非支援」の関係を超えた共生モデルに成熟している。
時代は「支え合う」ことから「分かち合う」を経て、今「与えあう」社会へと変わりつつあるようだ。ともに生きるとは互いの想いや、役割や、存在そのものを互いに与え合う、そんなまちの姿が見えている。
取材映像を見るとどの取り組みも、どこか一点、必ず「ああ、これはいいなあ」と心底から共感できるシーンがある。どうしてだとか、なぜか、などの理屈も超えて「ああ、いいなあ」、そんなふうに誰もが思えること、それが地域の力であり、私たちの未来への道かもしれない。
「認知症とともに生きるまち大賞」は、来年2013年の1月下旬にEテレ、ハートネットTVで放送予定だ。
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NHK厚生文化事業団 第6回認知症とともに生きるまち大賞