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認知症の人と家族の会
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」2014年5月号(406号)
ー お便り紹介 ー
どうにもならないこともある (ぽーれぽーれ3月号 「このままでいいのか不安」を読んで)広島県・Hさん 女
私の母は妹が同居して看ています。父は3年前に亡くなり、今は妹夫婦と暮らしています。
うちの母もデイサービスに行くのを嫌がったり、もちろん入浴も嫌います。妹の休息のためや連休の時など、私の家に連れて来て2、3日泊まってもらいます。デイサービスへは行きたくないと言っても、迎えの車がくると黙ってのります。直前まで妹とひと騒動はありますが。
病院へ連れて行く時も、「お母さんがみてもらうんじゃなくて、今日は私がみてもらうんよ」って言えば納得します。お風呂は、冬場は1週間に1回入ればいいと思うようになりました。我が家に来た時に「髪の毛染めようか?後ろの方真っ白よ」なんて嘘も方便で、お風呂に誘っています。
母は物忘れはあっても、言われた事にはとても真似できないくらいよく言い訳します。そこは、実の母なので私も負けられません。絶対ウンって言わせると最初は気負っていましたが、最近ではまあいいかって思うようにしました。妹はそこまでしなくてもと思えるほど、あらゆるサービスを利用しています。Kさんもデイサービスを利用したり、ヘルパーさんに来てもらってもいいのでは?と思いますよ。私自身これでいいなんて思っているわけではありませんが、どうにもならないこともありますよね。
自分との戦い岐阜県・Iさん 73歳 女
78歳の主人は4年前アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症を少しは理解しようと努力しても、腹立たしさの方が勝る現在・・・。
自分自身の気持ちの整理ができにくい。どうすれば寛容な心で主人と接することができるのか、自分自身との戦いです。
一人での介護熊本県・Kさん 53歳 男
現在は母との二人暮らしです。もともと母には統合失調症があり、認知症の症状に気付くのが遅れた面はあります。トイレの失敗などで、かかりつけの精神科より3年位前に認知症の診断を受けました。
今は週1回のデイサービスを楽しみにしており、薬も飲み、落ち着いていますが、一人での介護なのでいろんな方々、団体とつながり、これからにいかしたいと考えています。
ー 私の介護体験談 ー
私の介護体験記山梨県支部会員
父との同居
私の父は長年一人で生活をしていたのですが、私の夫が退職を機に、父の跡を継いで農業をしたいと同居することになりました。当時父は88歳。後継者ができ安堵した様子で、親孝行ができたと私は喜んでおりました。
夫は、新規就農者との交流や、会社勤めで得たノウハウを駆使し、自分流のやり方を模索しながら、いきいきと農業に取り組み、私は同居した後も仕事を続けておりました。
混乱の始まり
同居して2、3年が過ぎた頃から、父親のもの盗られ妄想、被害妄想が始まり、車の鍵がない、補聴器がない、薬に毒を混ぜていると、声を荒げ、顔の表情も引きつり、通帳がないと警察に電話をしたりで、私たちも対応にとても困る日々が続きました。
父が信頼している主治医に相談し、認知症薬が処方されたのですが、自分で薬の内容を調べたのか「俺を認知症にするのか」と怒り、不信感をもたれる始末。結局、薬は拒否し内服しませんでした。
父との別居
仕事先の先輩に『家族会』の存在を聞き、そこで認知症について学び、介護の悩みを共有し相談する機会を得ました。聞き流す、うまく交わす、怒らない等の対応を頭では理解し努力したつもりでした。
しかし、父が93歳の時、保険証を返せと言われ、私もつらくて泣いて抗議し、夫もついに堪忍袋の緒が切れ、怒鳴ってしまい、これが決定的となり、父から「出て行ってくれ」と宣告されました。高齢の父をおいて出ることに迷い、「つどいの会」で相談したところ、「お父さんの言うようにして様子を見たら」との助言に力を得て、別居に踏み切りました。
その後、適度な距離が私の気持ちに少し余裕をもたせたので、父の気持ちを考えてみました。「夫に農業を取られてしまった寂しさからのもの盗られ妄想か」 との思いに至り、「土地を守り続けてきてくれたお陰で、夫は、農業に誇りをもって頑張っているよ。ありがとう」と感謝の言葉と共に、できた作物を届け続けました。父は「見事な出来栄えだ」と夫の努力を認め、再度の同居を希望しましたが、家中に鍵をかけて、用心している父の行動から決心できませんでした。
入院、そして看取り
父が96歳で免許証を返納してから、毎日実家に通い、必ず翌日の予定を伝えました。携帯電話を持たせたので、困る事があると電話がかかってきました。内容は、本人のもの忘れ(盗まれたと言う)が多く「夕方行くから、一緒に探そう」と言うと納得してくれました。
昨年10月末、体調を崩し入院しましたが、「家に帰る」と言い続けるため、帰るなら今しかないと思い、デイサービスを利用しながら夫婦で協力し在宅で介護しました。
2週間後、体調が悪化し、10日ほどの入院で12月、眠るように亡くなりました。98歳でした。
一緒に住む難しさと、適度な距離が、娘として父を思いやることができたのではないかと、今、振り返っています。