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認知症の人と家族の会
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」2024年10月号(531号)
ー お便り紹介 ー
自分がよしとする世界を見つけて…岡山県・Aさん 女
2022年8月30日に玄関にて転倒し、後頭を強く打ち救急車で入院。同年9月26日リハビリテーションホームに入所しました。コロナのため面会も無く、家での介護生活が長かったので介護者は大変、不安と淋しさを感じました。
言語に障害のある夫ですので、電話も手紙も全く通じません。介護者の私(妻)が体調を崩し、気力低下、ヘルペスを患い苦しみました。入所して1年8カ月、現在一人の生活のありがたさを感じ、元気で穏やかに過ごしてくれている夫に感謝できる日が出来てきました。
夫92歳、妻87歳となりました。月1〜2度面会に行けるようになり、声も聞け、笑顔も見ることが出来ます。面会すると「今は帰ろうと思っている」とか言います。私を見たら思い出すのでしょう。
毎月の「ぽ〜れぽ〜れ」を楽しみに読んでいます。第2金曜日のきらめきプラザの会合にも2〜3度出席しましたが、私の難聴はどうにもならず、聞こえなくて孤独感を味わいます。難聴は一対一の面と向かっての話は解りますが……。だんだん人を遠さけるようになっていくなあーと、考えます。自分がよしとする世界を見つけてがんばります。近況まで!
帰宅困難になる母の介護を通して思う事島根県・Bさん 女
実母を在宅で5年4ケ月介護した。母は、85歳で一人暮らし歴5年。益田市に住んでいた。ごみの分別ができなくなり、鍋焦がしが増えていた。民生委員さんからの連絡があり、早朝パジャマ姿で歩いていたことを知った。週末毎に益田に通うことがひと月続き、「松江に来る?」と聞くと素直に「行く」「なるようになるだろう」と考えていた。
同居後、神経内科を受診した母は、アルツハイマー型認知症と診断され、「介護1」の認定となった。社交的で歌や踊りが好きでおしゃれに関心が強い母だった。街に出かけることが好きで、特に駅に行きたがった。初めのころは、タクシーで帰ってこれていたがそれも困難になり、いろいろな人に助けてもらうようになった。2019年7月からは、介護保険でGPS機能付きの靴を利用できるようになり、非常に助かった。警察に相談する件数が格段に減った。(年間9回が1回に)
喜んだのもつかの間、認知症の進行とともにGPS機能付きの靴を履かずに裸足で夜中に出かけるなど再び警察に捜索願を出す回数が増えていった。そんな時に認知症の研修会に参加し、講師より「余力があるうちに施設に入ったほうが良い」というお話を聞いた。まだ、家で看ていけると考えていたが職場に迷惑をかけているという心苦しさも感じていた。
グループホームへの入所申し込みを行うことにした。母は夜間せん妄が増え、夜間にたびたび起こされるようになった。ある時私に、「あんた姉妹は?」と聴いてきた。私は絶句した。同居している孫息子のことも「知らない大きな男」というようになり、一緒に食卓に着かなくなった。グループホーム申し込みから半年たった時、「空きがあります」との連絡を受け2022年3月にグループホームに入居した。
母と過ごしたこの5年余りは、いろいろなところに一緒に行き、観光やショッピング、歌や踊りの舞台をみたり、食事したりと楽しい日々だった。夫が亡くなった時もそばにいて支えてくれた。かけがえのない日々だったと思う。母は、今グループホームで穏やかな日々を送っている。在宅でぎりぎりまで看ようと頑張りすぎず、次の段階を見据えて準備していくことが大切ではないかと思っている。
だんだん焦ってきました京都府・Cさん 男
87歳の父と認知症の母84歳と二人暮らしです。時々近くにいる妹と私が様子をみに実家へ帰っています。最近父から長男の私に相談があり、今後の家族のこと、特に母の生活を目的に対応を始めたところです。もし父が母の介護ができなくなった場合(父が他界した場合など)は、長男の私と家内とで母の生活をみるつもりでいます。お恥ずかしいことですが、父から相談されてはじめて、自分事への焦りを感じている次第で、日頃から準備が必要であることの大切さを身に沁みて感じております。多くを学ばせていただき、共生社会を表現するまちづくり・人づくりに貢献できれば幸甚に存じます。宜しくお願い申し上げます。