体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2024年8月号(529号)

ー お便り紹介 ー

天国の母も笑ってくれているよう東京都・Cさん 女

先日は会合に参加させていただきありがとうございました。色々な方からお話を伺うことができ、大変学びの多い時間となりました。
母が亡くなってから10年以上経ちました。
認知症で施設に入所した母に、もっとアートを見せてあげたかった、もっと美術館に連れて行ってあげたかったという思いから、アートリップという対話型アート鑑賞のアートコンダクター(ファシリテータ)の仕事を始めました。
認知症高齢者の方々がニコニコされていると、天国の母も笑ってくれているような気がします。認知症の人と家族の会の皆さんのために何かお手伝いできることがあれば幸せです。

介護中は余裕がありませんでした群馬県・Dさん 女

先日85歳の認知症の父を突然亡くしました。介護中は余裕がなく、毎日いっぱい、いっぱいの日々でした。時には何も悪くない父に私のストレスをぶつけてしまう事もあり、後悔しています。あんなに大変だったのに居なくなったら寂しくつらい日々です。現在介護中の方の力に少しでもなれたらと思い入会しました。

父にきちんとした説明もしないままの入所です埼玉県・Eさん 女

3年前の脳梗塞から毎年のように梗塞を起こし、そのたびに認知機能の低下が起こり、母の支援で、家で生活する事はできていました。デイケアにも通っていました。また、幸いなことに身体的機能の低下はほとんどなく、杖をつきながらも散歩に行ったり、地域のグラウンドゴルフや輪投げサークルに通っていました。しかし、今年1月に一過性の虚血発作を起こしたあとから、尿便失禁がひどくなり、母が精神的に疲れてしまい自殺願望が出てしまいました。母のレスパイト目的として急遽施設入所となりました。父にきちんとした説明もしないままの入所でした。私は、とにかく母をなんとかしなければの一心でした。父は、ショートステイと思ったらしく子供の言う事は聞かなきゃな、と拒否なく入所してくれましたが、いつになっても帰れないことから毎日出口を探して歩き回っているようです。入所して3ヶ月。母は、元気を取り戻しましたが、父はただ息をしているだけの人のように、面会に行ってもいつも頭をうなだれています。あの時は、これがベストの選択だと思っていましたが、今の私は罪悪感だけがつきまとっています。父は何も悪いことをしていないのに、自分の家に帰る事はもうないんです。私は、認知症看護認定看護師として、多くの人の在宅介護の悩みの相談を受けたりと、多くの方々と関わってきました。でも今自分が認知症の家族当事者となっていろいろなことがわかりました。この会には、以前も入会していましたが、姑が他界した時に退会をしました。今回私は親への罪悪感を持った家族として救いがほしく入会しようと思いました。

ー 私の介護体験談 ー

そして花を…青森県支部

〜父と母と私の介護生活〜

父と母と私の介護生活は、父が介護認定を受け、デイサービスに通い始めた10年前にスタートしました。2年ほど過ぎると、母が骨折などで入退院を繰り返し、母もまた要支援となり、今度は老々介護のスタートです。母は足が不自由になった為、父を起こしたり、食事の世話など、家事全般が限界になりつつありました。私は別世帯で仕事もあり、実家から頼られたりすると正直、厄介だなぁと思っていました。
ある日、あれほど「泊まる所にはいかない」と言ってた父が「パパはもう無理なんだぁ」と自ら、7年前に老健に入所することを決めました。私は週2回、父と会い、洗濯物を届け、実家の面倒を見るようになっていきました。自分の時間が削られていき、イライラしては母に不満をぶつけていました。定年まで1年を残し、フルタイムの仕事を辞め、母の状況に合わせて、パートの仕事を3回、替えました。人生は計画通りにはいかない事ばかりと、何度も思ったものです。

〜母の認知症と「家族の会」との出会い〜

そして去年、母に認知症状が現れ始めました。父の方も施設から次の入所先を探してほしいと催促されていた頃です。その時が追い詰められたピークだったと思います。そんな時にたどり着いたのが、この「家族の会」の集いでした。誰にも気持ちを聞いてもらえない、認知症の人にどう接したらいいのか分からない、泣くこともできない…私はひどく疲れていました。そんな私の話を聞いてくれて「あなたのやっている事は、全て正しいのです」と、言い切ってくれる善意の人達が、世の中にいるんだと分かり、すごくホッとしたのを覚えています。
その後も、母に出来ないことが増えていき、不安の中、この集いに参加し続けました。皆さんのお話を聞いて、認知症の家族と暮らすのは、日常の延長であり、悩みすぎないこと、スルーすることを覚えていきました。そして、認知症の人を正そうとしない、言い方を工夫する、丸ごと受け入れるんだと、少しずつ私は変わったのでしょう。母との言い争いは少なくなり、忘れても、おしっこを漏らしても「大丈夫だよ」「先に気が付くようにするね」「何も心配いらないよー」と言えるようになったのです。

〜介護されていたのは私、母と共にある日々に感謝〜

元々、私は、思い通りにならないとキレたり、ミスを許せなかったりと、完璧主義なところがあり、そのままだったら老害の人となり、介護される側になった時に疎まれただろうと思います。母が身をもって、私という半端な人間を矯正してくれたように思います。10年も掛かって、60歳も過ぎて、ようやく人らしく振る舞えるようになり、私の方こそ介護されていたのだと気づきました。
私はこれから老人となり、お一人様になり、弱くなっていきます。その時にオロオロしないよう、頼る先と覚悟を勉強させてもらったのだと思います。この1年は、母に新聞や本を読んで聞かせ、一緒にのど自慢を見て、足をマッサージし、共に3食食べ、母の前で、いつも踊って見せては、二人で笑いあっていました。母は亡くなりましたが、まだ父がいます。父の存在は支えとなっています。振り返れば、介護生活の渦中は、悩み、苛立ち、心配の連続で、常に心がザワザワしておりました。なんで私ばかり……と恨むことさえありました。けれど、そこにはそれをはるかに上回る愛おしさが存在しました。
 今、私の隣には母がいます。
 そして、一緒に花を見ています。
私に寄り添ってくださった、「家族の会」の皆様にはただただ感謝しかありません。ありがとうございました。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。