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認知症の人と家族の会
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」2014年9月号(410号)
ー お便り紹介 ー
夫婦の時間が訪れることを願って (ぽーれぽーれ7月号「安心して入所できる施設を」を読んで)広島県・Iさん 男
現在認知症と診断され8年がたつ60歳の妻を介護しながらの日々です。小規模多機能型施設を利用しながら、ケアマネジャーをはじめスタッフの皆さんの援助を受け、在宅で介護をしながら日々暮らしていました。
そうしている内に、昨年はじめ妻は家の中で転倒し、頸椎、脊髄を損傷し、全く立つことができなくなり、寝たきりの状態になってしまいましたが、今も引き続いて、スタッフの皆さんに助けてもらいながら同じ施設を利用しています。
Kさんにおかれましても、ご苦労が多々おありのことと思いますが、介護サービスにも昨今たくさんのメニューが用意されています。こうしたサービスを利用しながら、少しでもご夫婦の時間を作られてはいかがでしょう。以前、通院していた病院の医師からは次の内容の手紙をいただきました。
「デイサービスやショートステイをお願いしながら自分自身の時間を少しでも見つけて下さいね」と。
どうかKさんご夫婦におかれましても、日常生活の中にゆっくりとした夫婦の時間が訪れることを願っています。
笑顔がエネルギーの源大分県・Hさん 66歳 女
今は支援する側で相談を受けています。一人一人が生きてきた道程が異なるように、困りごとも多種多様です。ご本人とあるいは介護者と困りごとを共有し一緒に悩み、考えを巡らす日々です。そして、自分の生き方さえも問われているような思いになります。そんな時は相手の笑顔に救われます。その時々の一瞬の笑顔を共有できることが支援する側の喜びになり、次へのエネルギーが湧いてくるようです。
仲間のおかげ滋賀県・Kさん 69歳 男
リタイア後の私の人生を母が変えてくれた。いつまでたっても、母の傘は大きい。認知症になった母ではあるが、介護をして8年。考えもしなかった人生が待っていた。
二人で車で出かける時、必ず「鍵はかけたか」と注意してくれる。これは私の心に鍵をかけたかと言われているように思う。この言葉で必ず安全運転ができる。常日頃のいろんな場面でもアッと思う事がある。96歳になった今、私が次男という事すら忘れていることが多いのに、心の中では親と子という絆が切れていないと思う。こんな日々が送れるのも「家族の会」 に入って仲間の助けがあったからだ。こんな思いを共有できる仲間をもっと増やしたいと思う。
ー 私の介護体験談 ー
若年性認知症・ウチの場合~病院から介護施設~佐賀県支部会員
介護施設(宅老所)への入所
1年半の入院生活から、ようやく介護施設(宅老所)へ移ることが出来ました。少人数の施設でスタッフのかかわりも厚く、アットホームな雰囲気に私も安堵しました。
一番嬉しかったのは個室だったこと。二人で音楽を聴き、思い出の写真を飾ることが出来ます。しかし、1年半の入院は、施設での暮らしに大きく影響しました。スタッフと私が最も苦闘したのは排世でした。看護と介護の違いを思い知らされた重要課題です。施設では本人の尊厳を大事にしてくれて、昼間はトイレでの排世です。既にコミュニケーションが取れない夫なので、時間と夫の動きを見てトイレ誘導し、お腹のマッサージをしてくれます。もちろん病院と施設を比べることは無理です。役割が違うのですから。夫も症状の重さから入院せざるを得なかったし、結果、穏やかになりました。でも受け入れてくれる施設が少なかったのが現実です。若年性認知症で歩ける、というだけで断られました。
若年性認知症の受入れ
確かに介護の大変さを思うと受け入れる側でも考えるのは当然のことです。それでも夫の施設の隣のグループホーム(同じ経営者)には若年性認知症の方が2 人も入所しています。2人とも夫より若く、介護も大変そうです。スタッフ一同助け合いながら見守っている姿に、私も嬉しく思っています。
最近TVで若年性認知症の方たちのドキュメンタリーをよく見ます。ほとんどが自宅介護の方ばかりで、夫、妻を献身的に介護されている姿に心が熱くなります。以前TVで見た方が、数年後に症状が進まれている姿は、やはり夫と重なります。それでも自宅で共に過ごしているのを見ると落ち込みます。一人ひとり症状や環境が異なるのだから、比較してはいけないとわかっていても・・・・・・。
素直に受け取れない言葉たち
発症後6年で宅老所に入所させてしまった自責の念が、毎日彼に会いに行く暮らしにさせているのだと思います。彼の入院中、ある日看護師さんが、「連れて帰ったら?」 と言い、私は驚いて「とても家では看られません」と言うしかありませんでした。「冗談、冗談」と笑われました。私にはジョークも受け入れる余裕がなかったのです。毎日面会に来る私がうっとうしかったのかもしれません。
夫は68歳になりました。発症から10年の歳月は夫を大きく変えました。私には3年前に60年間連れ添った夫を亡くした姉がいます。姉は言います。「姿の見えんごとなってんね、どんなに淋しいか・・・。生きとらすだけで良かと思わなね」私はこの言葉を素直に聞けませんでした。
あまりに変貌してしまった夫は、かつての夫ではないと反発しました。かつての夫の姿とのギャップに現実の夫を認められなかった。それでもたった一人の家族である私は、彼を守る生き方を続けています。時は人の心も変えます。今は夫が私の生きる支えになっていることに気づきます。