体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2016年7月号(432号)

ー お便り紹介 ー

夫のストレスが限界愛知県・Cさん 60歳代 女

90歳の実母を同居で介護しています。実母は軽い高血圧症と軽いうつ症状が時々出る以外、身体はとても健康です。
兄や姉、近所の方などには、母の家での言動は理解してもらえません。被害妄想もひどくなり、誰にも相談できずにいます。同居の夫のストレスも限界にきています。

ただ今ダブル介護真っただ中 新潟県・Dさん 60歳代 女

要介護5・90歳の母と、要介護3・前頭側頭型認知症の2歳年上の姉。
今まで介護1だった母が昨年40日間入院後、一気に5にアップ。元気な頃から「絶対に施設には行きたくない」というのが口癖だった。今はまともに喋れないが、「デイかショートに行く?」と聞くと首を横に振る。老い先短いだろう母、ちっちゃな体でずっと働きづめで苦労してきた。かわいそうで思い通りにしてあげたい。
姉の面倒をみるようになって丸4年、病名がわかって丸2年。デイは一度も利用せず、今はショートを月2、3日。
ここまでくるには私自身、ご飯も喉を通らない日々もあった。母に流動食を食べさせている傍らで、姉にパジャマを着るように何度言っても、「これ、これ、これ、これ…」と言い続けている。一人いろいろ考えて涙がポロリと出ることもある。頼みの夫は、三度の脳梗塞で若干左半身が不自由。自分のことは自分でできるが、やはり忘れっぽい。
幸い、「家族の会」で知り合った人たちに電話やメールで愚痴を言い、ストレスを解消させてもらっている。この先どれだけ続くかわからないが、自分に与えられた運命と割り切り、日々の暮らしの中で楽しみを見つけようと思う。いつか自由の身になったら、可能な限り姉と一緒に全国を旅することを夢みている。

会うたびに変わる母福島県・Gさん 40歳代 女

東日本大震災後に言動がおかしいことがあり、最近、母の友人が相次いで亡くなったこともあってか、生活全般が変わりました。母の気持ちに寄り添いたいとは思うのですが、怒ってばかりで、どう接していいのか全くわかりません。
今は会うたびに変わっていく母を前にするとショックで泣きそうになります。同じ立場の人と話したいのですが、機会がありません。

ー 私の介護体験談 ー

認知症介護塞翁が馬京都府支部 68歳

「心の開放時間」

「やっと終わった‼」と達成感を感じながら心の中で叫ぶ。時計に目をやると午前1時。静寂が包む部屋の中で、「今日の介護の在り方で問題はなかったか」と反省もする。この瞬間が私にとっての「心の開放時間」である。
深夜に一日の役割を終え、開放感に浸っていると、時々自分の力だけではどうしようもない人生の機微が浮沈する。その中でふたつを紹介したい。
ひとつは、なぜ京都に住んでいるか。転勤命令を受け京都に着任し、2年後に帰任命令が出たのを契機に定年1年前の介護退職を決断、今日を迎えている。妻の生活環境を変えたくなく残留を決めた。必然的に、時間をかけできあがった介護・医療体制、生活を安定させるために必要な地域住民との信頼関係、消費生活ネットワークを失いたくなかった。こういう関係を創ることなど予想もしなかったが、今では貴重な無形財産と感じている。

介護は不運なのか?

もうひとつが、介護は不運なのか。定年退職によって、燃え尽き症候群になり、何をしたらよいか分からず、アルコールに溺れる人も多いと聞く。幸いにも認知症介護が責務となっている私には、やらなければならない明確な行為があり、迷うことはない。その意味では救われている。介護方法が分らず、ストレスは溜まり、負担ばかりが重く感じられ、不幸を嘆くこともたびたびある。一方でその解決が行動目標となり、完遂した時に喜びに転化するのも事実。
妻は治る病気ではないので、残っている生活能力をいかに持続させるかが最大の課題。要介護5になって5年目を迎え、今年1月の全身痙攣(てんかん発作)で身体状態はさらに悪くなった。身体の傾きが強くなり、立つ時、座っている時も左に傾く。立てる時間も短くなり、すぐに座りたがる。注意しないと突然にお尻から落ちることもある。円背・前傾で抱えて支えてもぶら下がるように歩き、ますます力が必要となった。「よだれ」で介護の手間も増大。流れ出たら拭かないと上着の前が水浸し状態になってしまう。前は大口だったが最近は小口になり、食事時間がさらに長くなった。朝起こしてから夜寝かせるまで介助が必要で、介護負担は増えるばかり。

意外にも幸運

しかし、これも考えようである。自分の生活にプラスして介護があると考えると介護負担は重く感じる。介護生活も10年以上になると、ようやく受容の段階に辿りつき、介護あってこそ自分の生活もあると考えられるようになった。つまり、介護が生活の中に融合している状態。すると、生命を預かっているというやりがいのある介護を、させてもらっていると考えられるようになった。望んで介護の世界に入ったわけではないが、妻のために誠意を尽くし、介護を通して自分の人生観をさらに充実させる絶好の機会を得られることは、意外にも幸運とさえ思っている。今では、毎日全力で介護の世界にのめり込んでいる。だからこそ、一日が無事終了すると冒頭の叫びとなる。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。