体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2017年1月号(438号)

ー お便り紹介 ー

鉄道死亡事故に思うこと長野県・Aさん 70歳代 女

鉄道死亡事故の裁判を闘った高井さんの記事を読んで、心が痛みました。私も他人事ではありません。私は74歳になる主人と二人暮らしです。主人は8年ぐらい前から、電話で仕事を頼まれても忘れてしまうようになり、自動車も傷だらけになってきたので、娘と相談して受診を勧めましたが、身体は元気だったため、怒らせただけでした。
それから3年後、私が留守をしている間に1人で車を運転して出かけてしまい、一晩帰ってきませんでした。警察や親戚、地域の方々に探していただき、名古屋市の警察署で見つかり、迎えに行きました。精神科に行くように言われ、翌日受診し、アルツハイマー型認知症と診断されました。脳の萎縮の程度で、「平成19年ごろから発症していますね」と医師に言われたので今年で9年になります。主人は幸いにも他人を巻き込んだ事故を起こさないでくれ、本当に良かったと思っています。最近、テレビを見ていますと高齢者の交通事故が多くなりました。免許証の更新も3年では長いかもしれません。高齢者の運転は危ないと思います。
主人は最近のこともすぐ忘れてしまい、今は食べることが楽しみになっていて、下の世話が大変です。私も腰が痛くなってきたので、デイサービスを利用して皆さんにお世話になっています。「家族の会」に入会し、「自分だけが大変ではない」と思い、同じ思いの仲間が全国には大勢おられることに勇気づけられました。主人より先に逝けませんから、身体に気をつけて頑張っていこうと思っています。

いろいろありすぎて宮城県・Bさん 50歳代 女

64歳の夫が病気になり、5年を過ごしました。この5年の時間を思い出しても、いろいろあり過ぎて、何とか過ごせたと思うばかりです。今、夫は私が思うようなことはほとんど覚えておりません。どんどん世界の違う人になってしまうんだなあ…と感じております。
「家族の会」は、情報をいただくばかりではなく、同じ病気を抱える家族でなければわからないこと、言えないことをほんとうに受け止めていただけること、たくさんの方の声が今の私の活力になっていると感じております。「成るように成る」の意味を大切に、意味の深さを心において過ごしてまいりたいと思っております。

心が温かくなりました福島県・Hさん 60歳代 女

施設内を徘徊していた母も91歳になり、春ごろから入退院を繰り返すようになりました。週の半分は母に面会しても、私を娘ではなく、亡くなった祖母や母の実妹と思い込むことが多くなりました。元気なうちに、知的障がいのある兄に会わせたいと思い、昨年、面会に行った時、兄を見て、母の亡くなった実弟の名を呼んだので、声も出ないほど兄は落胆したようでした。
今年の春、面会に行った時はひと目見て、母は兄の名を呼びました。兄は涙ぐみ、お互い穏やかな表情になりました。私からみれば、昔から顔も背格好もそっくりな兄と叔父。病弱だった優しい兄と母の絆を感じ、私も心が温かくなりました。

ー 私の介護体験談 ー

ついに妻の看取りが現実となりました京都府支部 70歳代

 

妻は56歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断告知、その後、デイや小規模多機能型居宅介護を利用して、63歳で特養施設に入居しました。
在宅介護しようにも私が前立腺がんで入院を控え、「いずれは」と申し込んでいた特養に何とか入居させてほしい旨、申し出。数ヵ月後には面接までこぎつけましたが、いざ入居できる段階で心は素直になれず、「考えさせてほしい」と時間をもらいました。「家族の会」世話人からも「介護者が倒れたら奥さんがかわいそう」と諭され、第一希望であった特養にお世話になることになりました。
特養ではユニットの介護スタッフ全員に、生まれた時から忘れることのない名前で「◯◯さん、◯◯さん」と親しく寄り添ってもらえ、誕生会や外出、数時間の帰宅もできました。妻だけでなく私までにも目配り、心配りをいただき、本当に居心地のよい生活の場でした。週3〜4回、帰宅前に妻の顔を見に行くのを私の仕事の一つにしていました。
入居3年半の昨年夏、てんかん発作を発症、そして逆流性肺炎と思われることから入院。認知症の進行による症状が見え始めてきました。普通食から流動食、ゼリー食と段々食事形態もレベルダウン、何となしに嫌な予感がただよいはじめてきました。

悩み続け、やっと決断できました

医師から「延命処置はどう考えていますか、胃瘻するなら今ならできます」と苦しい判断を求められ、息子や近親者に状況報告。「家族の会」の経験者の声も聴き、毎日日替わりで「胃瘻しない」「いや若いから胃瘻してやりたい」の思いが駆け巡り、悩み続けました。
施設では「胃瘻すると決断された人にはそれはそれで対応しますが、長年専門的に看てきた経験から、ご本人を考えるとお薦めしない」と言われ、当初は受け入れできずに悩み続けました。胃瘻すると痰が出やすくなり吸引、肺炎で苦しめることが予測されるし、段々胃瘻しない方に内心決めはじめていました。内心に間違いないか慎重に、滋賀県高島市で開催された「家族の会」副代表・杉山孝博医師の「ターミナルケアの講座」に行き、個別相談で「胃瘻はお勧めしない」と肩押ししてもらえたこの時点で決断できました。

妻を中心とした生活に悔いなし

その後、食事の量が減り体重も27.6㌔までは記録していましたが、その後は不明です。体重とか摂取カロリーとかの段階ではなくなりました。一日二食になり、それも摂れなくなり、いよいよ看取り体制へと進みました。この食事を与えない看取り体制ほど、夫としてつらいものはありませんでした。あと何日、生命の維持ができるのかのことになってしまい、毎日施設に泊まり込み、虫の息になっていくことを実感として受け止め、ついに8月12日、妻の死が現実のこととなりました(67歳)。
42年の結婚生活、ここ十数年、妻中心の生活をしてきましたが、悔いのない充実したものでした。「ドラえもん」の色紙(注)も棺に入れてやりました。

(注)若い頃、テレビアニメ「ドラえもん」の絵に色つけをされており、そのこともあって認知症になったドラえもんの声優・大山のぶ代さんの夫・砂川啓介さんの講演会の際に、面会していただいた大山さんのサイン色紙。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。