体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2017年6月号(443号)

ー お便り紹介 ー

笑顔で過ごせますように山口県・Bさん 女

介護保険制度のない時代から始まった介護生活でしたが、同じ思いの仲間や先輩に助けられた15年でした。介護させてくれた義母に感謝しています。
介護生活を卒業して、今なお、県支部の介護中の方たちに教えられ、学ばせてもらっています。自分のため、家族のためにも学べるつどいへ参加を続けています。
介護中の方々は参加されると笑顔で「また、頑張ります!」と帰られます。次回の参加がまた笑顔でありますように…。

私たちが緩衝剤埼玉県・Fさん 女

同居の義父は軽度認知症の症状がありますが、まだ日常生活に支障をきたすほどではありません。一度、鍋を火にかけたまま外出し、出火寸前のことがあり、それから自動消火機能付きのガスコンロに変えたり、家族で注意して問題なく経過しています。
義母が義父に話が通じないと怒ることが増えているので、嫁の私や孫が緩衝剤になりながら、今の生活をできるだけ長く続けられるようにしたいと思っています。

母のあるがままを受け入れる長野県・Hさん 女

89歳の実母は、島根県で弟夫婦と同居していました。2年前、週3日のデイサービスがやっと定着したころ、弟は癌がわかり、半年の闘病であっというまに亡くなってしまいました。母は弟の発病とともに、認知症がさらに悪化したようでした。たまに見舞いには連れていってもらっていたようですが、死に目にさえ会わせてもらえませんでした。弟のお嫁さんは諸事情があって母と一緒に暮らすつもりはないとわかり、私が母を引き取ることにしました。
同居を始めてこの1年、生活そのものは山あり谷ありですが、子どもたちや教会の仲間たち(母も私もクリスチャンです)の助けを受けながら、私も介護者として少しずつ学び、慣れてきたころ、多分疲れが出てきたのでしょう。心身に不調を覚えるようになってきました。
そんな時、ポーリン・ボス著『認知症の人を愛すること』を読み始めました。この本が新たな気づきをいくつか与えてくれました。今の私の症状は別に特別なことでもなんでもないこと。でも、ほっておくと悪化するので、よい介護を目指すなら対処が必要だということ。母の症状が今より悪くなっていくのを見たくなかったのだということに気づいたこと。でも、本の中に「不安を否認するよりも、しっかり向き合う方が結局のところ精神を安定させてくれる」とありました。私の不安と恐れが私を縛り、母の今のあるがままを受け入れることを妨げていたのだと気づきました。「他の人との交流が意味と希望を見出すための最良の道です」ともありました。

ー 私の介護体験談 ー

多くの誤解との闘いの中で宮城県支部 50歳代

 

中年男性なのでいろいろな場面で誤解を受けることが多かった。
病院で母がトイレに行ってから20分経っても帰ってこない。院内を探すが見当たらない。トイレ前で待つと出入りする女性と目が合う。怪訝な顔つきで不審者に思えたのでしょう。男性トイレに女性清掃員の方がいたので、訳を話して声掛けしてもらうと、「大を失敗されていました」と。身体を拭きパンツ代わりにペーパーを股間に挟んでくれ「ズボンも汚れていますし、あとは掃除しておきますから」と言ってくれた。お礼を言い自宅まで帰ってきた。以来外出は着替え一式持参である。
外出先のほとんどは多目的トイレが少なく、トイレの心配ばかりしている。ケアマネさんから「外出だけでもオムツを」と言ってもらうが、母から皮膚の病気があると抵抗された。婦人科の待合室や、母の下着の買い物も、むさくるしい中年男はその場にそぐわない。介護中のホルダーを下げてみたらとのアドバイスで羞恥心は緩和されたが、施設の職員さんと間違えられ、「荒っぽい」と一般の方に注意されたこともある。

いつも矛盾し複雑な心境

年金支給日など銀行について行けば、母は行員さんとは顔なじみだが、オレオレ詐欺の怪しい男ではと間違えられたことも。母がカードをなくし、自分一人で通帳とハンコをもって引き出しに行った時は、代理店長の方に関係性と身分証明書の提示を求められ、「息子さんでも、手書きの引き出しはできません。ご本人のサインが必要です」と取り合ってもらえなかった。
母一人でバスに乗って街に行くのはストレス解消にもなるので止めなかったが、時折転倒してアザだらけ。左手首は2回骨折し、後遺症も残った。持病もたくさんあり、薬と体調管理も大変。狭心症の血液サラサラにする薬も飲んでいて、注射したりちょっとぶつかったりしただけでアザ。救命救急外来の受診も多く「お薬手帳」を必ず携行し、アザは「虐待ではない」という身の潔白の証明説明を追加することもいつものことで、骨がおれた。
病院側から認知症特有の入院や家族への要望にも一苦労。呼び出しの電話は痛みや環境変化で暴れ、身体拘束に同意を、とのこと。命の危険、他の患者への配慮などから仕方ない。飛んで行って私の顔を見せ話しかけ徐々に落ち着く。物盗られ妄想で一番疑われるのも自分だが、頼りにされているのも自分であり、いつも矛盾し複雑な心境。

もう3回忌

初期の頃、区の家族会に男性一人で母親を介護されている方がいた。自分一人じゃないんだと共感し強い心の支えとなった。母はデイに通うのに4年かかったが、スタッフやデイ利用の方々との会話や娯楽を通して社会性が持て、笑顔やありがとうが増えた。区・包括の職員、ケアマネ、掃除や入浴介助、傾聴と来てくださった方々は全員女性で、母の気持ちを分かってくださるのはやはり同性ならではのこと、息子ではダメな部分をフォローしていただき、皆様の知恵袋で乗り越えられた介護生活の体験だった。
要介護1の84歳の母を看取って、もう3回忌を迎えます。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。