体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2018年2月号(451号)

ー お便り紹介 ー

共感することがたくさん三重県・Bさん 女

友人の看護師から、「家族の会」のサロンに誘われました。介護家族の方々と話すうちに共感することが多々ありました。現在は認知症の義母は死去しましたが、役に立ちたいと言う思いで入会を希望します。

つどいは転ばぬ先の杖大分県・Cさん 女

現在、90歳代の義父と同居して8年が経過しました。同居当時、被害妄想や物盗られ妄想でどろぼう扱いされたので、すぐ病院を受診し、認知症について一生懸命学習しました。
今、義父は自分で動くことが難しく、家庭内でも車椅子で移動し、食事介助も必要です。手がかかるとはいえ、穏やかな表情にむしろほっとする日々です。同居して4年後には車椅子生活になり、徘徊の大変さを知らないことが心の救いでもあります。一人で立つことはままならない義父ですが、足が震えながらも、必死につかまり立ちをしてくれるので、紙パンツの着脱がまだできます。できなくなることが目前にせまり、寝たまま下の世話ができるだろうかと不安いっぱいです。
会報にて、子どものいない人はいても、親のいない人はいないのだと思え…、心が救われます。また、毎月のつどいにて介護者の現状を聞かせていただき、転ばぬ先の杖と感じることができ、感謝です。

私を残して逝ってしまった夫埼玉県・Fさん 女

11年前、認知症の診断を受けた時、夫はどんな気持ちで聞き、辛く、どんなにか無念だったか…。その時の強い衝撃は今でも忘れません。そして、私に認知症のさまざまな症状を身をもって教えてくれた夫には感謝しかありません。
私が夫の面倒をみていると思っていましたが、反対に夫が私を支えてくれていることに気づきました。「ありがとう」とか「良くできたわね〜、その調子よ〜」と手を叩いて私が喜ぶと、ニコッと笑い、聞き取れない言葉でしたが、嬉しさを表現してくれました。介護は大変でもありますが、夫と二人で過ごす喜びは何ものにもかえがたく、楽しいものでした。
今、介護まっ只中の皆さまは、介護が大変で苦しんでいらっしゃるかもしれませんが、感謝する介護、後悔のない介護、楽しいと思える介護がきっとできるはずです。頑張ってください。
今、私は夫の遺影の前で、「あなた幸せだった?私はとっても幸せで、あなたと一緒の時が一番楽しかったわよ」と話しかけています。

ー 私の介護体験談 ー

飛び散る……理由 〜当時77歳の母を亡くして3年、今思うこと〜高知県支部 50歳代

手に持った物を投げる母

母の介護を始めた頃、家の中を物が飛んでいました。母が投げていたのです。
母はよく物を投げました。
飲み終わったコップやスプーン、食べかけのお菓子やミカン、ぬいぐるみにテレビのリモコンまで投げました。デイの連絡帳にも、「食事の時にコップを投げました」。
「放った」と言いながら物を投げる母に、「どうして放るが?」とにらみつける私。
母は体をゆすって怒りました。何とかやめさせようと、母が飲み終えると同時にコップを取り上げようとしました。そうはさせんと母は反抗し、喧嘩のようでした。
コップはプラスチック製で投げても大丈夫でしたが、「皿は3枚ばあ割った」と姉が言っていました。
テレビのリモコンを投げた時は頭にきて、「もうテレビはつけん」と、拾いに行きませんでした。
しばらくして母は「ごめんよ。もう放らんき」と言いましたが、すぐに手に持った物を投げました。

怒ってはいけないと知っていても

飲み損ねた薬を投げた時は最悪でした。
口から吐き出した薬を、母はさっと投げたのです。
「あっ、どうしゆう」と、言いましたが後の祭りです。
なんで私が床を這って薬を探さなくてはならないのかと、腹が立ちました。
床は散らかっていて、薬を見つけることができず、「 もうちょっと片付けや」と姉に八つ当たりしました。
両親の世話をしていた姉が、「そんな時間はない」と言い返してきて、みにくい言い争いが始まりました。
せっかく手伝いに来てやっているのにと、ブチ切れ状態になった私は、夜9時まで母の側にいるという約束を破って「帰る」と、帰ろうとしました。
母は父の部屋に行き、「〇〇ちゃんが怒った」と父に言いあげました。
「何をおこりゆう」と言う父に対し、
「お母さんが薬を放ったわえ、がやがや言わんとってや」と言い返し、言い争いは続きました。
怒ってはいけないと知っていても、止まりません。自分の家に帰って、ため息をつくことが何度もありました。

母の行動は薬のせいだった

その時の母のかかりつけの先生は、認知症の専門医ではありませんでした。
紹介を受けて認知症の専門医に診てもらったところ、アルツハイマーだと思って飲んでいた薬が原因で、物を投げたり、落ち着かなかったのだと言われました。
要介護5の母は、前頭側頭型認知症と診断を受けました。
母の行動は薬のせいだったとわかると、今までの苦労は何だったのだろうと思いました。
「認知症の診断が間違ってなかったらなぁ」今でも思います。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。