体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2018年9月号(458号)

ー お便り紹介 ー

私は私の人生の主役京都府・Aさん 女

現在93歳の母(要介護3)を看ています。介護する日々も7年を超えてきました。私自身の病気(乳がん)もあり、フルタイムの仕事もしており、日々クタクタ、ヨレヨレで、「今日一日、なんとか乗り切ろう」と過ごしています。
「どうして介護というのは、こんなにしんどいのか」とずっと思ってきていたのですが、ある方が、「人間には子育てという本能はあるが、介護は本能にプログラムされていない」という内容のことを書いておられ、ものすごく納得してしまいました。それが本当に医学的に正しいものかどうかは分かりませんが、この話を知ったことで、心が少し楽になりました。
だからといって、介護を放棄するとかはもちろんありませんが、だからこそ「できることを自分なりに精一杯しよう。無理なことは無理で、誰かの力を借りながら、自分の人生を大切にしながらやっていこう」と思っています。
介護というのは、「母とたたかったり、折り合いをつけるのではなく、私自身とたたかい、折り合いをつけるものだ」と思っています。母の人生のお手伝いはしますが、私は私の人生の主役ですから。

米寿期は黄金期、介護者への寄り添い埼玉県・Bさん 男

妻は当初、若年性アルツハイマー型認知症と診断された。「あのころ発症したのではないか」と思われるころから20数年、介護に苦しんだ。「家族の会」のおかげで、安らかに息をひきとり、今年で七回忌を迎えます。
『ぽ〜れぽ〜れ』に目を通していると、会員の認知症の人への寄り添う心が充実してきたと感じている。これから高齢者の半数が認知症になるという記事に目を通しながら、さいたま市の十数ヵ所の“介護家族のつどい”に傾聴活動として参加している。介護家族参加者の“ここ”という苦しみに焦点を当てて、ひとこと「私は、そういう時はこうしたよ」と寄り添っていける活動をやり続けなくてはいけないなあと、心の再稼働中です。

母がかわいそうで辛い宮城県・Cさん 女

80歳代の母は、6年前にアルツハイマー型認知症と診断されました。今年5月に実家近くの特養に入居しましたが、昔の辛かったことを思い出し、ワンワン泣きながら「くやしかったあー」と大きな声で何度も同じように言います。母の顔は眉間にしわを寄せて、穏やかな顔をしていないのが、とても気になります。かわいそうで、帰る時、とても辛くなります。母のためにはどうしたら良いのかを考えてばかりです。

出会いで笑顔が増えました大阪府・Dさん 女

50歳代の母が認知症と診断された時期は、2018年3月です。母は現在、休職中です。母は元々医療従事者ですが、若年性アルツハイマー型認知症と診断されてから職場の受け入れ体制などが、医療側の方ができていない事実を知りました。そして、娘である私も認知症の人に対するケアについて、医療従事者として不勉強であることを痛感しました。
まずは、周りの医療従事者から認知症に対する偏見とケアについて、一緒に考え、知ってもらおうと思います。
そして、母は認知症当事者の方や「家族の会」の方との出会いでとても笑顔が増えました。この期間をできるだけ長期間、継続させていきたいと思います。この会に入会して、母も少しずつ自分のことを話すことができる機会に繋げることができたらと思います。

ー 私の介護体験談 ー

憎しみから青空の心へ〜2年前を思い出して〜福岡県支部 60歳代

 

平成28年7月某日、深夜の携帯電話。「お母さん(86歳)がベッドから落ち、骨折されているかもしれないので、これから救急病院に行きます。すぐに来て頂けますか」。特養の夜勤看護師の声でした。
二人いる娘はともに結婚し、夫を亡くした私が一人住むマンション近くに住む長女へ電話。

自己破産を決断

夜明けに長女が来て、「会社の休日で良かった」と言い、母に振り回され続けた私の人生を知り尽くしている彼女の優しさだと感じました。
次女も私が母を福岡に引き取ると決断した時「私がお母さんやったらおばあちゃんにしてやっているようにはしきらん」と、私の母に対する複雑な気持ちを汲み取ってくれました。
母とは長い間絶縁状態で、私の知らない間に60代で三度目の結婚をして、今から4年前にその義父が入院する事で連絡が来て、夫婦のずさんな金銭感覚を知るところとなったのです。
義父の一人娘夫婦と話し合い、母の離婚が決まり、それぞれの借金はそれぞれが払う事に。母名義の年金の入る通帳は、残高わずか5万円。それと滞納している母名義マンションの住宅ローンの残金と他諸々の借金。母には支払っていく能力がないので、自己破産をしてもらうしかないと私は決断したのです。
現在は認知症も進み要介護5の母ですが、4年前は弁護士とかろうじて意思確認が取れたので手続きができました。一年をかけて全ての手続きが終了。
マンションで母をみていましたが、息の抜けない生活でストレスがどんどん溜まっていくのでした。見かねた長女が「普通の親子関係ではなかった者同士が一緒に暮らすのは無理、絶対施設に入れた方が良い」と言ってくれ、2年前に今の特養に入所出来たのです。
これからは入所費用も母の年金で払っていけると思うと、心がすーっと軽くなりました。

貴女の人生は?

両親の離婚により幼少期から母の兄の家に預けられ、母が会いに来る事が一番の楽しみだったのに、年に一回しか会いに来てくれず。母の愛情が欲しくてたまらない私の気持ちを汲み取れない母は、母親ではなく女として生きていたのです。そんな母が大嫌いになりました。
昔の色々な事を思い出していると救急病院に着きました。母の顔は苦痛で引きつり、そこに眠っているのは髪も真白なただの年老いた老人でした。
涙が溢れ急に母が哀れに思えたのです。欲望のままに生き、最後はボケてどこまで私に迷惑をかければ気が済むのかと、心の奥で母を憎み、許してはいませんでした。
私の心が母に問いかけました。「貴女の人生は?たった一人の娘に憎まれて、あなたの人生は悲しすぎる」
その時私は母を許そうと思いました。特養に入所し、心の余裕が生まれたからです。憎しみの雲が心から消えると青空が広がって来ました。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。