体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2018年12月号(461号)

ー お便り紹介 ー

逝った母に思うこと島根県・Aさん 女

今年の1月11日に逝った母。アルツハイマー型認知症かと思いきや、レビー小体型認知症でした。そんな母も、大腿骨を骨折してからは施設にお世話になり、命を永らえていました。昨年の12月ごろから物が食べれなくなり、検査をしたらポリープらしきものが見つかるも、高齢ゆえに詳しい検査をせず、見守ることに…。物が食べれないので点滴をされると、「痛い」と言って点滴の針を外し、血まみれの日々。そんな母を見るのが嫌で、訪問をためらっていた私。亡くなる前日に、弟夫婦が施設の先生と話をし、母とも話をしていたのに、深夜に危篤状態になり、父のもとへと旅立った母。元気に話していた時の姿が、最後の思い出になりました。もっと行ってやった方が良かったのかと、今でも思います。

同じ境遇の人との交流を大切に…熊本県・Bさん 男

60歳代の妻は現在、要介護3。平成21年に前頭側頭型認知症と診断されました。
9月1日、熊本市での世界アルツハイマーデー記念講演会「オトコの介護を考える」に参加しました。今までは、趣味の剣道や民生委員・地域ボランティアの仕事で妻の介護のことを忘れ、ストレスを発散していましたが、同じ境遇の人たちとの交流も大切だなと思い、「家族の会」に入会しました。

症状は人それぞれ大阪府・Hさん 女

80歳代、アルツハイマー型認知症の義母を介護しております。私自身、介護の仕事をしておりますが、仕事で認知症の方を利用者さんとして接するのと、家族が認知症となり接するのとでは、かなり違うなと感じています。冷静さを保てる部分と、割りきりにくいところもあると思いました。認知症の症状は、本当に人それぞれ。穏やかな方もおられれば、そうでない方も。他の方々の接し方など参考にして、義母の介護にいかせたらと考えています。

今どきのダブルケア山梨県・Iさん 女

介護は、「家のトイレの場所がわからないの」という母の言葉から始まりました。7年間、認知症につき合いました。そして母を見送りましたら、今度は別の病気に苦しむ父にも寄り添わなければならなくなりました。その間に、3番目の子どもを産み、3ヵ月後の先日、父を看取りました。
育児と介護のダブルケアの体験を、他の方に伝えるゆとりができそうです。これからの日本、ダブルケアをする方が、今よりもっと増えると思います。今どきのダブルケアを一緒に考えていきましょう!!

ー 私の介護体験談 ー

ふたりの在宅介護8年を振り返って 〜義母パニック繰り返し、私もイライラ頂点の日々も〜石川県支部 50歳代

 

同居の主人の両親が、アルツハイマー型認知症と診断されたのが8年前。身体は元気だったので長い介護を覚悟しましたが、今年お正月に義父の突然の他界(享年91歳)、義母(88歳)の施設入所で私の在宅介護に幕が下りました。
二人とも1年前から週5回のデイサービス利用。昨年の秋より義父の尿失禁で「父さんが大変なことになった!」とパニックになる義母。義母は忘れるので毎回“初めての尿失禁”でその都度パニックに。介助より義母のパニックが私のストレスになり、在宅介護に限界を感じてきたのが昨年の11月頃。丁度介護認定の更新で義父は要介護1から3、義母は要介護2と認定。私は仕事をしていたので、義父のショートステイ利用と同時に、特養の入所手続きをしました。
ショートステイ利用ですぐに義母の嫉妬妄想が現れました。デイサービスの帰宅時に「じいちゃん、あそこで泊まるんやて」と言っていても寝る頃になると、「じいちゃん帰ってこん、今頃女と抱きついとるに決まっとるわ」と興奮収まらず、「はよ連れ戻しに行かんと女が逃げてしまう」と玄関を出ようと必死。制止する私の手を払いのけた時、イライラも頂点に達し、義母の腕を叩いてしまいました。

義父の大往生、義母の入所

こんな日が数日続いた直後、義父は突然の黄疸で入院、胆管癌の末期と診断。義母は昼夜問わず嫉妬妄想で暴れ、デイでも手に負えず精神科に保護入院となり、私は安心して義父に付き添えました。しかし、義父は10日足らずの1月2日の朝に息を引き取りました。前日のお節料理を食べたし、大往生だったと思います。
義母が自宅に戻ると再び嫉妬妄想が…と思うと、私にはその勇気はありませんでした。保護入院後、ケアセンターに入所し、現在に至っています。入所当初は大変でしたが、徐々に落ち着き、義父の事を聞くと、「何年前に死んだ?顔も思い出せんわ」。嫁の私の事は忘れないようで帰る時、「また来てね」と言われ、後ろ髪を引かれる思いですが、これで良かったと自分を納得させています。
ふたりの在宅介護は常に気が抜けませんでしたが、周りが心配するほど苦痛は感じていませんでした。しかし、その在宅介護がいっぺんに私の生活から消えて、「私って大変やったんだなぁ、よく頑張ったなぁ」と思います。

報われた一言

先日、主人が「お母さんと結婚して良かった。ふたりの世話も良くしてくれて感謝しとる」と初めて言われ、涙が止まりませんでした。その一言で報われました。息子からは「おかんが頑張っとったの、いつも見てきたし、次は俺らが親の面倒みていかんなんと思っとるし」と言ってくれ、嬉しかったです。
長いようで短い8年間でしたが、私が倒れることなく元気で介護できたのは、家族姉妹、友達近所の人、職場の同僚に毎日愚痴れたこと、何より『家族の会』の介護体験者のお陰だと感謝しています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。