体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2019年4月号(465号)

ー お便り紹介 ー

冷静に平常心で…京都府・Dさん 男

妻は一昨年の夏ごろから、探し物を毎日、毎晩のようにしていましたので、いつも高血圧症のため通院している病院の神経内科で検査をしていただきました。パーキンソン病の疑いと、またレビー小体型認知症ではないかとの検査結果でした。以後、認知症のことを調べたり、書籍を購入して、少しずつですが、勉強するようになりました。もちろん妻への対応も学習し始めたところです。不安は大きいですが、冷静に平常心でヘルプしていけたら良いと思っています。

そろそろ会いに行こうかな群馬県・Eさん 女

ショートステイの長期利用が始まり、早3週間が経とうとしています。母は帰ろうとしてウロウロすることがあっても、「今日は泊まる日だよ」と声をかけると素直に戻り、穏やかに過ごせているとのことでした。デイの時は感情の起伏が激しい時がありましたが、それもないそうです。
母にも、私にも、良いタイミングで長期利用に入れて本当に良かったです。周りの方々、特にケアマネさんに感謝の気持ちでいっぱいです。1ヵ月ほどしたら慣れてきて、会いに行っても大丈夫だと言われているので、そろそろ行こうかなと思っています。「私のこと忘れてないだろうか?」「帰りたいと泣かれないだろうか?」「どんな話をしようか?」など、いろんな想いがあふれてきます。

四季の花々に母を思う三重県・Fさん 女

母が亡くなってから1年あまり。「誰の世話にもなりたくない」と日ごろから言い続けていたとおり、母の死は本当に突然でした。
数年前から「泥棒が入った」と言っては警察に連絡をしたり、私に電話をしてきたりがあり、「認知症の症状では?」と思いながらも、喧嘩になりそうで母には受診を言い出せずにいました。母が亡くなり家を片付けていると、几帳面だった母の台所とは思えないような乱雑な引き出しの中、封を開けて少し使っただけの日用品が次から次へと出てきました。私たち夫婦が訪ねると手作りの料理ではなく、出前のお寿司を出してくるようになったのも、お料理が思うように作れなくなってきていたからかと納得しました。自分にも他人にも厳しい凛とした母だったので、老いていく自分と向き合うことは苦しかったのではと思います。今さらですが、私には何ができたのかと考えます。喧嘩をしてでも受診させるべきだったのかどうか…。皆さんは受診や治療に迷ったことはありませんか。
庭を眺めると、水仙・椿・福寿草と母のかわいがっていた花々が今年も咲いています。「お母さんの好きな花が咲いたよ」と仏壇に花を供えました。

ー 私の介護体験談 ー

いま振り返る介護の日々、そして突然の別れ滋賀県支部 70歳代

受診と診断

夫は定年になり、人生で一番楽しく過ごしていた時に認知症になりました。ある日、夫が「『おはぎ』がわからない」と言いました。私は、「これはおかしい、病院に行かなければ」と直感しました。
それから、やっと精密検査を受けてくれたのが2006年6月で、先生からは「アルツハイマー病」だと私に告げられました。張りつめていた気持ちがプツンと切れ、崩れ落ちる感じがしてポロポロと涙が出ました。その後、「家族の会」の方から、「記憶がしっかりしているので意味性認知症かもしれない。詳しい先生のところへ行きなさい」との助言をいただきました。夫の精密検査のフィルムと症状のメモを見せると、先生はすぐに「意味性認知症」と診断されました。
夫に暴力はないのですが、介護拒否がありました。2つめは、同じ行動の繰り返しが止まらなかったことです。3つめは、スーパーでの買い物です。安いと思うものがあると、たくさん買ってきます。
2012年4月からは訪問看護、訪問介護と本格的にサービスを受けるようになりました。やや落ち着いたかに思えたころ、降雪であたり一面が真っ白になった日、ふたりで買い物に出ました。夫はいつもの通り、先に帰りましたが、探しても待っても帰ってきません。凍死するのではないかと心配していた時、警察から「みつかった」との知らせがありました。私は無事に帰ってくれた夫と、命の恩人であるお巡りさんに心から感謝しました。
それでも、便失禁した夫の身体をきれいにしようとして逃げ回られ、思わず夫の太ももを叩いてしまい、強く後悔したこともありました。また、入浴させてもらうための施設との交渉も暗礁に乗り上げるという八方ふさがりで、私は体調を崩し、泣いてばかりいました。

突然の別れ

意味性認知症が2015年7月1日から難病に指定され、伴って医療は遠くの指定病院で受けねばならなくなり、2016年10月4日、そちらに入院しました。私は1週間に1回、夫に会いに行きました。夫は要介護3でまだ歩けていましたし、普通の食事を自分で食べることもできました。昼食、茶話会、夕食のとき、米粒ひとつ残さず全部をきれいに食べて食器を戻し、自分のベッドへ行って寝るという日常で、食べ物がのどにひっかかるということは一度もありませんでした。
ところが2017年7月12日の夕方、病院から電話があり、「意識不明で倒れて処置室で蘇生している、早く来てください」と言われました。すぐに駆けつけたのですが、すでに意識不明のまま亡くなっていました。夢の中の出来事のようで現実とは思えませんでした。夫の死が信じられず、「お父さん、起きてーな、起きてーな」と夫の顔を何度もさすりました。暖かいぬくもりが手の感触でわかっても、現実は変わらない。葬儀の手配など、これからやらねばならないことが頭の中を駆けめぐり、何がなんだかわからないまま、現実感のない必死な思いの中で介護は突然終わりました。死因は窒息死でした。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。