体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2019年12月号(473号)

ー お便り紹介 ー

久しぶりの短歌埼玉県・Cさん 男

90歳の妻は、認知症と診断されて3年が過ぎました。長年詠んでいた短歌も作らなくなり、栄養士としての勉強もやめてしまい、機関誌が送られてきても、一瞥するだけでした。
過日、新聞で上野千鶴子さんが「壊れた自我の補助具に俳句(短歌)がなるだろうか、認知症俳句があるとしたら読んでみたい」という一文を読んでいたところ、先日私が1時間程買い物に行っている間に、妻が久しぶりに短歌を作りました。常識的にはおかしなところもありますが、これからも続けてほしいと思います。また、認知症研究の一助になるかと思い、披露いたします。

 父買い物に行くは 「夜半の三時半」
 無事に帰れと ひたすら祈る

 父ゆくを 男と言へど じわじわと
 寄せくる風音 ころころと聞く

母の変化に戸惑い悩む日々宮城県・Dさん 女

12年前に父が亡くなってから、自宅で一人暮らしを元気にしていた90歳代の実母が、この7月に誤嚥性肺炎で入院しました。約2ヵ月入院しているうちに、驚くほど体力が落ち、認知力が低下してしまいました。葛藤がありましたが、退院後はグループホームに入居しました。しっかりしていた母の変化に戸惑い、悩む日々の中、街頭でリーフレットをいただき、すがる思いで「家族の会」に電話をしました。

社会保障優先の政策を…福岡県・Eさん 女

レビー小体型認知症の夫を介護した経験から、感じたことがあります。介護の社会化をうたってスタートした介護保険がどんどん後退し、負担増と給付制限へと向かう中で、「家族の会」の役割には、政治が社会保障優先の政策に向かうよう働きかけることが、今まで以上に求められると思います。
私の経験では、ショートステイをもっと気軽に利用できるようにしてほしいし、安心して頼める受け皿を増やしてほしいです。レスパイト入院というありがたい制度があるのに、3ヵ月以上経っていないと再利用できなくて、その間に私自身が救急車のお世話になる事態となり、とても悲しく、辛い思いをしました。一度共倒れを経験した立場から望むのは、もっと使いやすい制度になってほしいです。医療と介護は切り離せないものなのに、別建てになっていることも問題を孕んでいるように思います。

ー 私の介護体験談 ー

若年性認知症ピック病と診断されて広島県支部 50歳代

診断されて6年

私の主人は今年、還暦を迎えます。そして、若年性認知症(ピック病)と診断されて6年が経ち、今はグループホームに入所しています。
おかしいと気付いたのは53歳のころ。同じことを何回も言い始め、ニュース番組の人の顔を見てはおかしいと笑い、真面目であまり冗談を言う人ではなかった主人が、段々と変わっていったのです。
いろいろなことにやる気をなくし、仕事も休む日が増え、寝ることが多くなりました。ただ、寝ていても落ち着かなかったんだと思います。とにかく歩きに出て行き、多い時は2万歩も!!出たきり帰ってこないんじゃないかと心配する日もありました。
私は、これまで家族のために頑張って働いてくれた主人を、今度は支える番だと自分なりに頑張っていたのですが、人格が変わっていく主人に不安と焦りを感じ始め、気持ちに余裕がなくなり、心が折れてしまいました。

いろいろな人との出会い

一緒にいるのが怖くなり、面倒も見られず、どうしたらいいか悩んでいたころ、認知症地域支援推進員さんに出会えました。いろいろと相談にのって頂き、本当に有難かったです。
最終的には施設を探すということになり、今のグループホームをお世話していただきました。
私は週に一、二度ですが、会いに行き、私のことがわからないかもしれないけれど、手を繋いで一緒に歩き、会話にはならないけれど、私が話すことにたまに「うん」と頷いてくれる主人を、今では可愛く思える時があります。
施設のケアマネさんから、「足腰がまだしっかりしているので、歩けるうちにいろいろなところへ行かれては?」と言っていただいたので、「家族の会」ヘ一緒に参加し、動物園や植物園、紅葉狩りやカラオケにも行きました。
介護者同士で話ができること、スタッフの方や作業療法士さんがいてくださる安心感。「家族の会」に参加させていただき、助かっています。
「家族の会」の皆さま、施設の皆さま、家族、友人、いろいろな方々に支えていただき、感謝しています。施設に入れたことを申し訳なく思いますが、穏やかに過ごしていてくれることが救いです。
主人にも祝福され、今年の9月に息子が結婚しました。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。