体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2020年1月号(474号)

ー お便り紹介 ー

周りの人に助けを求めることが大事大分県・Aさん 男

妻が、56歳で若年性認知症と診断されました。10年、自宅介護で看取りました。周りの人たちに話を聞いてもらえたことで、最期まで一人で看取ることができました。人は一人では生きていけない!その時の恩返しの気持ちで、オレンジカフェを開設しました。
毎週の開設ですが、最近はスタッフだけになることもあります。苦しんでいる人たちがいっぱいいます。でも、参加できない個々の現状があります。訪ねたり、電話したり、スタッフとともに頑張っていますが、難しいものですね。一人で悩まず、周りの人たちに助けを求めることが大事だと思います。

介護は貴重な経験三重県・Dさん 女

2年間、兵庫県まで実母の遠距離介護をしました。腎不全末期の6ヵ月間は認知症状が出現し、長男夫婦の介護も限界となりました。認知症状の中、一番身近で介護してくれている長男の嫁に対する愚痴が増えたことが辛いことでした。当時、フルタイムでの勤務終了後の金曜日から日曜日の2泊3日で毎週帰省し、介護サポートを続けました。実母本人の希望通り、我が家で安らかな最期を迎えることができました。介護は大変な経験でしたが、とても貴重な経験でもありました。
私は、昨年3月で長年勤務してきた看護師を退職しました。母の介護や高齢認知症の方の看護実践を通して、認知症ケアの学びを続けています。

食事介助を続けています群馬県・Eさん 女

母がボケて約8年以上経過しましたが、今も毎日苦しい日々を送っています。専門医を受診した時、8年で寝たきりになる…と聞き、涙が止まりませんでした。まだ母が歩けた時には「家族の会」、その他で積極的に話をしてきましたが、歩けなくなり、食べられなくなると、人に話すことが辛くなりました。介護している当事者でないと、理解できないものもあります。
母は、手間のかかる食事介助で生きのびています。施設は慢性的な人手不足、適性も必要な仕事です。できる限りグループホームに通い、食事介助と口腔ケアを続けていましたが、母は喀血しました。原因は不明です。検査も難しく、止血剤での対応です。
ホーム、病院、家族での話し合いは、いろいろともめましたが、食欲があるうちはホームでの生活ということになりました。デイサービスに通って、大騒ぎしていたころがなつかしい。
今は、会員さんからのお便りを楽しみにしています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。