体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2020年3月号(476号)

ー お便り紹介 ー

わがままな介護者でした兵庫県・Cさん 女

「お母さんはいいわねぇ。必要な時に必要な人が現れるね」。母の介護中に言われた言葉です。27年の介護の後半、16年間は介護サービスのお世話になりました。往診、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリ、訪問入浴、栄養士・薬剤師の訪問、車椅子のレンタル、福祉用具の購入、住宅改修、デイサービス、ショートステイ。在宅で利用できる、すべてのものにお世話になりました。
私一人での介護でしたが、「母と最期までこの家で暮らしたい」「怒りっぽい母を穏やかに過ごさせたい」という願いを、若いケアマネジャーはすべて叶えてくれました。
私はわがままな介護者でした。「ああしてほしい、こうしてほしい、なぜできないの?」と言い続けました。いくつもの事業所を断り、ケアマネジャーを変えました。それでも、最期に母に必要な人がきてくれた。母の認知症を理解し、受け入れてくれた。たくさんの人に感謝しています。ありがとう。

施設の限界を感じて…山形県・Dさん 女

私は、父がお世話になっている特養や勤め先であるショートステイなど、介護施設の現場を数年間見ていますが、最近、「施設の限界」をよく感じます。現場で働く人たちには、厳しい労働条件のもと、日々精いっぱい利用者のケアにあたっておられ、大変感謝しています。
父が今の特養に入所した初日に、「父はできないことは増えてきつつあるが、励ませばいろいろな生活動作、立ち上がりや歩行など、できることはいろいろあるので、できるだけ本人の力を発揮させてほしい」とお願いしたところ、「ー人ひとりにそこまで時間をかけていられない」 と即答されました。施設は、転倒をとても恐れます。「安全第一」のもとに、立ったり歩いたりできる、またそうしたいと希望する人がいても、その願いを禁じる場合が多々あります。父は体格が良いので、「お父さんを立たせる、歩かせるには2人がかりだから…」と言われてしまいました。
人間は動物なので、死ぬまで身体を動かさなければならない、安全第一と安静にばかりさせていると機能がどんどん失われ、寝たきりになる、できることはしてもらう方が、介護もラクになると思い、父が「できる」実際の様子もみてもらうなどしながら、何度もお願いしてきました。現場の介護士さんは、そんな私の思いや父の「元気で長生きしたい」思いを受け止めてくださり、限界まで頑張ってくださったと感謝しています。でも、現場にもっと人手があれば、「父は今もまだ立ち上がれていたのではないだろうか?」と悔しく、残念な気持ちになります。施設側に「娘さんも割り切って…」と言われる時もあり、施設の都合ばかりが優先されている「施設の限界」を感じ、とても悲しく悔しい気持ちになります。管理的で、制約の多い「施設」という環境のなかでも、あきらめず、認知症の父が生きる世界を理解し、父の人生を最期まで応援していこうと思っています。
「家族の会」が要望しているように、国が福祉にもっとお金を使い、誰でも安心して地域でも施設でも、人間らしく、楽しく、元気に人生を全うできる社会になるよう望みます。

不安定な感情をどう鎮めるか山口県・Eさん 男

70歳代の妻は、少女時期から精神疾患を有し、服薬で対処しながら今日まで暮らしてきました。2年前にレビー小体型認知症と診断され、それ以来、認知症と精神疾患を併せ持つ状態を、私一人で介護してきています。
最近困ったことは、私の外出を極度に嫌うようになったことです。結婚後の子育て期に、私が出張で家をあけ、妻が孤軍奮闘した苦い経験を思い出すらしく、外出のそぶりを見せるとパニック状態になって、わめきちらします。感情記憶というのでしょうか、過去のいやな記憶が消えずに蘇り、感情を不安定にするのです。対応は極めて困難で、手をやいています。

ー 私の介護体験談 ー

施設入所への決断青森県支部 70歳代

もの忘れがはじまった母

平成18年の春に父が亡くなり、その後、徐々に母のもの忘れが始まると同時に「めまい」等の症状が出ました。平成19年5月にかかりつけの病院に入院して検査の結果、「アルツハイマー型認知症」(要介護1)と診断されました。母が81歳の時でした。約2ヶ月入院し、顔色も良く笑顔で自宅に帰ってきました。私は元気で話す母の様子を見て「これで大丈夫、服用もしているし…」と思い本当に安心しました。
ところが、「安心」どころか日増しに母のもの忘れが激しくなるばかりではなく、今まで出来ていた家事やトイレもできなくなり、ただ毎日1階の居間の椅子に寂しそうにうなだれて座っておりました。このような母の姿に、平成20年3月、私は妻と相談し、すぐにホームヘルパーとデイサービスを手配し、役割分担として、妻は母の身の回りの介護、私は「家族の会」に入会し、認知症を正しく理解することに努め、妻との二人三脚での介護を実践することにしました。
母のデイサービス通所への頑張りと私たちの介護により、何とか長期間にわたり、何事もなく在宅で介護を続けていましたが、平成27年の春頃から母は急に乱暴になり、介護度も要介護5になりました。妻やヘルパーが行うオムツ交換も暴れてさせてくれなくなり、夜は午前2時頃まで車椅子に座り、ベッドに寝ようとしなくなりました。私も寝るようにと声をかけましたが、母は、「うるさい!」の一点張り。私たちには見えない誰かと話している素振りも見せていました。私は「とうとうここまできたか!」と驚く半面、毎日、このような辛い介護をしている妻を大変不閥に思いました。しかし、妻は一言も不満を言わず、ただ、黙々と母の介護を続けてくれました。

妻に異変が…

「母との戦い」のような介護が約1年間続いた平成28年5月に、妻が私に「顔面に違和感があり、口が曲がっている」と訴えたのです。私は気が動転し、すぐに救急外来に連れて行きました。脳の検査や血液検査の結果、脳には異常はなく、妻の病名は顏面抹消神経痛で、原因は「介護ストレスと疲れ」との事でした。私は妻が悪い病気ではなかったことに大変安心しましたが、帰りの車の中で妻の安堵した顔を見ながら、「在宅介護には限度がある。妻の命にもかかわる。母を施設に入所させよう」と決断しました。

在宅介護の終了と母への思い

母は平成28年8月に、満90歳でグループホームに入所しました。母の入所により約10年間の私たちの在宅介護は終了しました。母が入所して約3年間余りですが、母は規則正しい生活をして元気で楽しそうに過ごしています。
施設での母の幸せそうな姿に私たちは、「施設入所の決断」は、母のためにも良かったと思っております。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。