体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2021年2月号(487号)

ー お便り紹介 ー

知ることは武器になる東京都・Aさん 女

会報等を拝見し、共感するとともに、もっと大変な思いをされている方々の貴重な体験談は他人事ではありません。両親同時に認知症の疑いが出た時は、パニックになりましたが、自分なりに必死に調べ、ある程度身構えることはできました。知ることは武器になります。しかし、予想外の事態に直面し、振り回されることも…。
現在、兄と協力し、対応中です。いざという時の拠り所がある、相談できる場所があると知り「家族の会」に入会しました。

いつまで続くか分からない介護沖縄県・Bさん 男

母と私はふたり暮らし。仕事から帰ると、トイレの方向もわからなくなった母(糖尿病性緑内障で全盲)が、汚物で汚れた玄関の床に倒れていたことが何度もあった。歩くことも困難になり介護施設に入居後、今は病院に移った。
年と共に仕事に余裕ができ、手足を自由に動かせない母のため、時々は食事の介助に行けるようになった。ある日、食事の介助をしている私に、向かいの100歳のオバーが、小指を立てて「奥さんか?」と聞くので、「アランド〜」と答えたら「ヤンヨ〜」と冷やかすので、両手の爪を立てオオカミのポーズをしたら、まわりの看護師、介護士が大笑いした。
3年程前、誤嚥対策をいろいろ勧められ、鼻からチューブによる食事に変わった。しかし、それも負担ということになり、今年2月、胃ろうに変わった。現在は新型コロナの影響で、面会もできないままでいる。施設に入居してから14年位になるだろうか。
私は今、自由に出掛けられる時間が増え、長い間会うこともなかった同級生とも、楽しい時を過ごせるようになった。いつまで続くか分からない母との時間を、悔いが残らないようにしたいと思っている。何より自分の時間を大切にしつつ。

もの云わぬ妻青森県・Cさん 男

先日、何週間ぶりかに、ガラス越しに対面が実現した。私の呼びかけにあまり反応はなく、なんだか焦点の合わない目で考え込んでいるようである。顔色は以前より良いようだが、ほっそりした顔になっていた。多分、痛い、暑い、冷めたいの表現はできないように思う。そのことについては、入院前に食事をしていても、ただひたすら食べ、味を聞いても、「何でもおいしい」と言う。その前には、食事制限をしていたが、1、2度、好きなものは何でも食べさせるからと聞いても、「ある物でいい」と言っていた。
1年前に旅行していたある日のこと、好物のカニ・イクラを食べたいと良く言っていたが、高血圧、糖尿病の持病があり、制限していたのが心残り。今となっては、もっと食べさせてやれば良かったと後悔をしている。でも、もの云うことができなくても、いつまでもわが妻である。週に2回、洗濯物を交換し、持ち帰って洗っている時は、唯一の繋がりを感じる時である。

ー 私の介護体験談 ー

認知症から病名の変更を受けました宮城県支部 Aさん

義母を遠距離介護中

仕事の関係で東京勤務で東京近郊在住の私は、仙台在住で独居の義母(81歳)を、遠距離リモート介護をしています。
義母は、3年前に前頭側頭型認知症と診断を受けて、介護保険の要介護・支援認定には至りませんでしたが、総合事業の枠組みで生活支援・ミニデイを受け、地域の心療内科を受診していました。

認知症ではないとの診断を受けて

つい最近のことですが、かかりつけ医が母の病状の推移やトラブルも含むいろいろなエピソードを集めてみると、どうも認知症ではないとの診断に至りました。より専門的な診断・治療のため総合病院の精神科を紹介され、なんとか受診にこぎつけました。その結果、認知症ではなく双極性障害(躁うつ病)の躁状態と新たに診断されました。
義母は医師の指示どおりに服薬ができず、多数の医療機関で処方を受けていたことも悪化の一因とされ、まず在宅で服薬調整を行うこととなりました。しかし、総合事業の枠組みでどこまでそれが可能なのかという課題もありますし、今般、処方薬とアルコールの飲用も明らかになり、関係機関も戸惑いがちで、コロナ禍も相まって問題は山積しています。
懸念事項だった車の運転は、我々夫婦がタクシー会社と契約し義母は金銭的負担がなくいつでもタクシーを利用できるようにして、何とか廃車に至りました。かなり危ない運転だったので、その点は安心しています。ただ義母は、私を「車を取り上げた張本人」と恨んでおり、その直後に今般のような状況ですので、ケアする方もなやましいです。
今回、嫁の私も対応に苦慮していますが、次男である息子(私の夫)は母への対応をするうち心労で体調を崩すなど、関わり方が本当に難しいと実感しました。夫は自分の主治医の助言のもと、今年2月から、義母と直接接することは控えています。接触すれば葛藤が再燃し事態はより悪化するだけでしょう。

これからも、遠距離介護を決意

私は、自分の両親・伯母・義父の介護を経験して今回が5回目のキーパーソンとなり、介護生活は20年を超えます。今回の義母の場合はなかなか大変ですが、コロナ禍に充分注意を払いながら、東京〜仙台間の遠距離介護を続けるしかないと思います。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。