体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2021年3月号(488号)

ー お便り紹介 ー

気持ちのバランスがとれません滋賀県・Aさん 男

現在は、定年くらいになる両親と僕と3人暮らしをしています。父親の胃ガンと共におばあさんの認知症がひどくなったことから、母親と僕とで介護をしながら、父親のこともしていました。僕は軽い精神的な疾患で、薬が減ったり増えたりし、作業所に通いながらの生活です。
要因のひとつは、家族の中でそのようなことが出てしまったストレスと腹立たしさからの怒りかもしれません。特に父親は昔から「言われたら言い返せ!」と教えてきた人なので、僕らが言うことには、とことん言い返す人です。だから、他人とのコミュニケーションが下手で、合わすことができない可哀想な性格だなあって今でも思います。母親は、ざっくり過ぎるくらい忘れやすい性格です。だから、今話していたことでも次話すと「要らんこと言うんやない!」とか言うことも多々あります。
僕はそういう家族に育てられ、仕事はしっかりしてきました。「働いてなんぼ!」という考えがあって、思うようにできないと、気持ちのバランスがとれません。でも、昨年10月から作業所に通えるようになり、調子は万全とまではいかないものの、通って仕事ができているので、幸せだなぁと思っています。
「家族の会」に入会しても、そのようなことで、行事にはなかなか参加が難しいとは思いますが、よろしくお願いします。

拒否はハードルが高くなっているだけ静岡県・Cさん 女

前頭側頭型認知症の夫を4年介護しています。入浴拒否を始め、ご飯もヤダ、散髪もヤダ、こっちが勧めることに否定ばかりのイヤイヤ病。これが「前よりハードルが高くなっているだけ」と気づくまでは、「逆らったら鉄拳制裁だ!」とばかりに脅しつけて風呂に入れ、益々イヤにさせていました。
しかし考えてみれば、試験勉強や宿題を前にして別なことばかりやったり、寒いから布団から出たくない、月曜は会社に行く足取りが重い等々、自分も似たようなものでした。今の状態を中断して別のことに移りたくないのは普通の感情であって、いったん超えてしまえばケロッとして「いい湯だった〜」「髪の毛切ってサッパリした」となるのも、健常者となんら変わりありません。
このハードル、超えろ、さっさと超えろと言うことによって余計に高くなるのは、親にやれと言われるほどやる気が失せる宿題と同じです。そこで「服が臭いから洗濯機に入れてね」と脱いだ流れで風呂に入れたり、散歩の途中で暇そうな床屋を見つけてサッと入らせたりの「気がついたら半分超えちゃってるよ作戦」で対処しています。
このような「義務の拒否」より、むしろ「楽しみの拒否」の方がもっと重大問題ではないかと思います。これは、初めての趣味でも若い時ならすぐ試したろうに、年をとると勧められてもなかなか神輿が上がらない、あのハードルでしょう。イヤなら本人の意思を尊重してよしましょう、今までと同じことやらせときゃいいや、では介護怠慢です。一方、心底やりたくないことや向かないことも当然あって、形だけやらせても意味はありません。そこを一緒に試行錯誤して、本人が心から楽しめることを探すこと。身体が元気なうちはこれが一番のテーマではないかと思っています。
以前は宇宙人に思えた前頭側頭型認知症ですが、長く付き合っていると理解できる(ような気がする)ことも多くなってきました。

柔軟な対応のできる制度に福岡県・Cさん 女

レビー小体型認知症の夫を6〜7年介護した経験からのお願いです。
誤嚥性肺炎を起こすようになってからの時期、点滴から胃ろう造設となり、痰の吸引をしながら、在宅と入院を繰り返しました。レスパイト入院制度というありがたい制度に助けられました。しかし、退院から3カ月経過していることが条件でした。その間に私の疲労がたまり、イレウスとなり救急車を2台呼ぶことにもなりました。この経験から、3カ月空いてなくても、入院できるような柔軟な対応のできる制度にしていく必要を痛感しました。
特に今、コロナ禍で、医療・福祉の分野がナオザリにされてきたことが誰の目にも明らかです。思い切った充実を希望します。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。