体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2021年9月号(494号)

ー お便り紹介 ー

以前の母と比べてしまう千葉県・Bさん 女

昨年4月より新型コロナによる在宅勤務が始まり、それまで平日会社にいた時間を80歳台の母と過ごすようになって症状に気づき、受診しました。在宅勤務は今年9月末まで続くことになっており、できればその期間に母が日中通えるデイサービスを探したいと思っています。
しかし、母はもともと“大人数で集う”ことを嫌がるタイプで、比較的虚弱で疲れやすく、またコロナ禍に敢えて出かける理由を作ることがうまくできず、今日に至ります。室内での緩やかな体操や週1回の社交ダンス(私が同伴します)が主な運動です。
365日、母と共に過ごす生活に少し疲れてきました。どうしても、認知症とわかる前の母と比較して、時にいらだちが募り苦しくなります。

介護は自立支援山形県・Dさん 女

先日、キャラバンメイトフォローアップ研修会が開催され、オンラインで若年性認知症当事者の丹野智文さんのお話を視聴する機会がありました。「多くの認知症の方が、認知症と診断された途端に、自由な外出や財布を持つこと、調理をすること等を家族から禁止される」「認知症本人の気持ち、希望する暮らし方、やってみたいこと等もっと聞いてあげてほしい」「自分も認知症と診断された時は、人生終わった…と思ったが、本人を取り巻く環境が良ければ、認知症になったとしても笑顔で、本人の希望する暮らし方を続けることは可能だ」。また当事者の会《オレンジドア》に集う仲間は、「介護関係者は、家族の話はよく聞く、そして本人に対しても介護保険制度の説明はするが、認知症本人の気持ちはあまり聞いてくれない」「失敗したとしても取り上げずにやらせてあげて。信じて待ってあげて」と良く言っていると話されました。介護とは、「お世話」や「監視・管理」ではなく、「自立支援」であること、改めて気づかされました。
数日後、地元の行政主催の「かふぇ」でも、軽度認知症と診断されたSさんが、「診断された時の気持ち、今の気持ち」をお話してくださいました。団地の草むしりの時、近所の方に自分の病気のことを打ち明けると、意外にも「何かお手伝いすることがあったら言ってください」と数人の住民の方から声を掛けられ、とても嬉しく、心強かった…と話され、丹野さんのお話と共通していると感じました。
テレビで「コロナ禍が認知症の方にどのような影響を与えたか」というテーマの番組が連続してあり、「感染予防の為、仕方ない」と施設や病院は言いますが、家族にとっては仕方ないと割り切れないと思います。7月号に「もう面会行くのやめようか…」との投稿がありましたが、テレビ電話面会より、もっとより良い面会の方法はないのか?どのような面会が可能か等、一緒に考えてくれない、反応なしは辛すぎますね。

苦い思い出が…宮崎県・Eさん 男

宮崎市介護者のつどいに参加しました。その中で、男性介護者が体験談を発表され、お話しが選挙に及んだ時のことです。私と同じ思いをされた方がいた驚きと、当時の苦い思い出が交錯し、溢れる涙を抑えることができませんでした。
妻の症状が顕著に表れた頃に行われた国政選挙の記憶が蘇ってきたのです。私は妻に選挙権を行使させてあげたいという衝動に駆られていました。最後の投票機会になるかもしれないという焦りがあったのでしょう。そして投票所へ。
記帳台に並んだ妻が気になり、そっと目を向けると、なんと自分の名前が書かれているのです。今になって思うと、妻の行為は立派な投票行動だったのですが、当時の私には、それがとても大それた行為に思え、「お母さん、違うよ」と思わず声をかけてしまいました。駆け寄る立会人の痛いほどの視線の中、「会話しないでください」と叱責され、退場を促されました。
この体験は軽率な行動をとった私自身の心の重荷となっていたのですが、お話しを聞いて前向きに捉える気持ちに変わりました。介護の日々を赤裸々に語ってくださった講師に救われた想いです。泣き顔をマスクに隠し、妻の待つデイケアへと向かいました。

ー 私の介護体験談 ー

診断後12年を迎えて山梨県支部 60歳代

診断後の夫との生活

夫は59歳のときに若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。近所の人には診断後1年程過ぎた頃に、夫が認知症であることを話しました。「何かあったらいつでも言ってね」と頼りになる言葉が返ってきました。気持ちが楽になり、安心して暮らせるようになりました。その後、様々な場面で助けていただきました。
病気の進行に伴い家族を悩ませたのが、自宅からの「無断外出」(徘徊)でした。診断後5年程経った頃、「そろそろ家に帰ろう」と、生まれ育った家に帰りたがるようになりました。夫の記憶は過去へと逆行し、「どこか知らない場所」(自宅)から「自分の家」(35歳まで住んでいた家)へ帰ろうとするようになったのです。何回も警察や近所の人たちや仲間の皆さんにお世話になりました。近所の人には、靴下のまま歩いている夫を連れて帰っていただいたり、夜道を歩いていた夫をそのお宅で保護していただいたりもしました。その後、市役所の人のアドバイスで、ドアを開けると鳴る検知器を設置したりして、ほぼ「無断外出」はなくなりました。
今、一番大変なのは排泄介助です。入浴や着替えなどの介助も拒否し怒り出すことがありますが、そういうときは無理に介助するのではなく、時間をかけて夫が納得するのを待ちます。便失禁したリハビリパンツのまま1時間以上も逃げ回った時は、さすがに私もキレましたが、思い直して夫に笑顔を見せることで介助ができました。

コミュニケーションの大切さ

夫と一緒に暮らす中で大切にしていることはコミュニケーションです。人間の脳には「共感」の土台になる働きがあり、相手の言葉や態度に敏感に反応して自分の気持ちに反映させるそうです。今は、言葉の意味を理解できないかも知れませんが、褒め言葉を含めポジティブな言葉は理解できるようです。「かっこいい」「素敵」「幸せだよ」などの言葉に対し、「そうだよ」以外は意味不明な言葉が返ってきますが、私に色々話しかけてきます。また、笑顔や体の触れ合いなどの言語によらないコミュニケーションも大切です。夫に安心感をもたらすと思われる笑顔の効果も実感しています。

つながる安心感

私に希望と勇気を与えてくれたのは「家族の会」です。第1回目のオリーブカフェのことは、今も夫の嬉しい様子と私の感激とともに思い出されます。仲間と話し合い、研修会で学び、夫と向かい合い諦めないで対応することの重要性を教えられました。
コロナ禍で、カフェで楽しむことはできなくなりました。唯一、デイサービスには通えており、そのおかげで私は身体的精神的に余裕が生まれ、自宅での生活を維持できています。介護保険制度の利用や周りの人の協力支援、そして皆とつながっている安心感が日々の暮らしの支えとなっています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。