体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2021年10月号(495号)

ー お便り紹介 ー

勉強中です東京都・Cさん 女

居宅介護支援事業所でケアマネジャーをしております。仕事柄、さまざまな認知症の方やそのご家族を支援していますが、やってみなければわからないことばかりです。認知症ご本人の思いをどうやってくみ上げるか、どうすればご家族の気持ちが少しでも楽になるか、どうすれば家族関係を壊さずに両人の思いを叶えられるか、勉強したいと思っています。

介護に疲れてきました三重県・Dさん 男

今年で85歳になる母(アルツハイマー型認知症中期・要介護1)を介護しています。母は易怒性及び、暴言癖がひどく、閉口しています。向精神薬と認知症の薬の服用でその回数は激減したのですが、やはり時として発作が起こります。
そして、もうそろそろ、こうした発作が消える時期だと思われるのでしょうが(通算4年)長引くのも特徴のひとつです。月1回の内科及び精神科の受診を行っておりますが、病気の特徴の取り繕いが上手という難点のためか、医師の前などで、なかなか易怒性や暴言癖を発現することがありません。
私の方はできるだけ、本人の発言を尊重し、共感した後にひと呼吸おいて、注意力を散らすべく、昔取った杵柄のような話しをすると、それなりの効果があります。しかし、このところ、なんだか母の介護に疲れてきました。

できないことが増えてきた京都市・Gさん 男

アルツハイマー型認知症と診断され7年になる妻を介護している。自宅周囲の散歩はできるが、それ以外の病院や図書館等は付き添わなければならない。降圧剤を朝食後に、認知症の進行を遅らせる薬を夕食後に飲むためにカレンダーに貼っているが、飲み忘れたり、中間に飲んだりと一定しない。料理もできなくなり、手伝いも十分できなくなった。

会話ができなくなりさびしい宮崎県・Iさん 女

85歳の母(要介護2)を介護しています。いろんな言葉は発していますが、会話がもうできなくなり、さびしいです。
父とも同居で、少しは母のことをみていてくれたりしますが、父も4年前に倒れてから、ぼんやりすることが増えてきました。トイレの世話も大変ですが、食が細いので、それも心配です。

ー 私の介護体験談 ー

ダブルケアの経験から岩手県支部 40歳代

 

隣の家に住む義母の様子がおかしいな〜と思い始めたのは、娘が生後6か月くらいの時で、私は初めての子育てに奮闘中でした。義母は能面のような表情で一日中パジャマ姿で過ごし、次第に日時もおぼつかなくなっていきました。これは、大変!と思った私は、「週に1回でもデイサービスに行った方がいいよ!」とまずは夫を説得し、家族を巻き込みながら「デイサービスに通ってもらう作戦」を敢行しました。最初こそ難色をしめしたものの、義母はデイサービスに通う日はしっかりと身支度を整え、帰宅した時には少し頬を赤らめてとても良い表情でした。次第に動き方や表情、話し方も改善されているのが分かりました。

子育てと介護の日々

その後いろいろあって、義母のケアは私たち夫婦が担うこととなり、我が家は育児をしながら介護をするダブルケアの生活になりました。このダブルケアが想像以上に大変でした。公園などに行く時は、動きの緩慢な義母とちょこまかと動く娘。そのどちらの手も引いて歩くことは、とても難しいことでした。また、娘のトイレ・トレーニングが始まり、布パンツを意識し始めたころ、義母はトイレの失敗が多くなり、そろそろリハパンツをはいてほしい…と願う私の心の中はぐちゃぐちゃでした。私の実家は多世代同居でしたから、ひいおばあちゃんが歳をとり、認知症になっていく姿を身近に見て育ちました。それに対し、夫は核家族で育ち、認知症に免疫の少ない団塊ジュニアが今後介護に直面することになるのだな〜と感じています。
私は、この苦しいダブルケア生活から脱却するヒントを得たい一心で地域包括支援センター等が主催する認知症の勉強会や認知症カフェに参加するようになりました。認知症カフェは義母も娘も両方連れて気兼ねなく出かけられる唯一の場所でした。地域にある資源に支えられながらダブルケアをしていたと思います。

ダブルケアカフェ開催の思い

現在、義母はグループホームに入居し、穏やかに暮らしています。私は5年半ほど前から、ダブルケアの人が安心して悩み・想いを話せる場として「ダブルケアカフェ」を開催しています。参加者は30〜40代の女性が多く、話す内容は、子育てや介護のこと、お役立ち情報の交換など多岐にわたります。参加した皆さんがおしゃべりしてスッキリしてちょっぴり穏やかな気持ちになって家に帰ることができたらいいなと思って継続しています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。