体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2022年11月号(508号)

ー お便り紹介 ー

会えないもどかしさ熊本県・Dさん 女

89歳の実母は東京で独居です。2018年母は自宅で転倒し、胸椎圧迫骨折を患いました。母自身で認知症の検査を2017年に受けていたことは、骨折の入院で上京した折りに後から知りました。半年ほどのリハビリ入院をするうちに、認知症の症状が見て取れるようになりました。現在は母の自宅近くの小規模多機能施設を利用しています。週2回デイサービスで入浴、毎昼夜お弁当の配達を得られ、週1回ヘルパーの方の訪問で自宅の生活を続けています。
遠距離介護を2018年1月から2カ月に1回、1週間ほどの滞在で続けていましたが、コロナの影響で、2020年1月を最後に会いに行くことを控えている状態です。この間、認知症の症状が少しずつ進んでいるようで、気がかりです。電話で母と話したり、小規模多機能のヘルパーの方にメールなどで様子は知らせてもらっていますが、実際に会えないもどかしさが募ります。母には母らしく、私は私のことも大切にしながら、良い家族の関係と暮らし方を考えていきたいと思っています。

思うように進まない香川県・Eさん 女

一人暮らしの母が認知症と診断され、現在要介護認定申請中です。日々、生活のサポートを担っていますが、なかなか思うように物事が進まず、本人自身も自尊心があるため、私としても戸惑いや思い悩むことが多くなりました。これからのことに対する不安や心配を少しでも軽減したり、お互いに生き生きと楽しく生活できるようなヒントをいただければと思っております。

看取りました鳥取県・Fさん 女

10年同居していた母を、昨年末に看取りました。認知症初期の母と、認知症に関する知識の全くない娘の40年ぶりの同居でした。初めの半年ほどは、全く予想をしてない展開に、帰省して同居したことを毎日後悔していました。怒りっぽく連日の説教に絶望していました。
初めてつどいに参加した時のことは忘れられません。要介護4、5のご家族を介護されている方たちのお話を伺って、私はまだまだ初心者だなと思い、 私にできるのだろうかと戸惑いながら、日々の辛さをあれこれしゃべっていると、「その頃が一番辛いのよねぇ」とどなたかおっしゃって、気づくと涙があふれていました。
認知症のことを少しずつ学び、母も私も日常に少しずつ慣れて、主治医から薬を変えようと言われ、いろいろなことがちょうどよく重なって、日常が落ち着き穏やかになってきました。何かの機会に母と話すことがあり、「いろいろな管につながれてベッドで長く過ごすのは嫌。痛いのも嫌」と聞いていたことをきちんと伝えることができ、最期を静かに穏やかに迎えることができました。
「家族の会」に出会うことがなければ最初の数カ月で絶望して、どうなっていたかわかりません。また、本人や私の希望をきちんと伝えることができたのかも心許ないです。病院で「じゃあ点滴を」と言われればそれに任せていたかもしれません。そういう姿勢も「家族の会」で学ばせていただいたと思っています。

ー 私の介護体験談 ー

老々介護を終えて長崎県支部 70歳代

終わりの見えない介護の始まり

私は、65歳から72歳までの8年間、認知症の義母を自宅で介護しました。義母は90歳の時「私、100歳まで生きたいの!お友達にも約束したのでよろしくお願いしますね」と念を押され、「ええ〜!今から10年も……」夫と顔を見合わせ、「二人とも病気できないね〜」と笑いました。義母は、92歳の時、認知症と診断され、69歳の夫とともに、終わりの見えない“老々介護”が始まりました。
義母の介護は「あんた、鬼嫁ね!」から始まる数々の暴言と、もの盗られ妄想で、特にお金が盗まれることが多く、その他いろいろなものが無くなりました。
そんな元気ばあちゃんも徐々に体力が落ち、オムツをはじめ身体介助、食事の世話……。何が起こるかわからない毎日に、二人ともくたくたに疲れ、想像を超えた格闘の日々でした。そのような状況でも、認知症に関する勉強をしていた夫は常に冷静で、「脳の病気で誰でもなりうるし、なるようにしかならない」と言って、母には優しく接していました。考えてみると、唯一の救いだったように思います。私は、不安ばかりが先に立ち、この息苦しい日常に夜も眠れない日々が続きました。そのうちに「治らないのなら仕方ない」と、居直りの気持ちで、いかに介護の負担を軽くできるか?に切り替えました。ストレスにならない介護、手抜き介護、自分を楽にする介護を模索し、ケアマネに相談して、デイサービスやショートステイの利用を決めました。はじめは嫌がりましたが、いろいろと説得して何とか行ってもらいました。私たちには休養が必要だったのです。デイとショートが順調な間はどちらかが介護留守番をすると決め、趣味や地域の会合などのスケジュールは消化できました。

義母と夫が遺してくれたもの

その後、寝たきり状態となり、自宅介護となりました。たくさんの方々の支援を受け、100歳まで生きるとの約束は、99.7歳まで頑張り、天寿を全うしました。そこまで生き切ったことは「お見事!」の一言です。関わりをいただいたすべての皆様に感謝です。義母は、手先の器用さは抜群で和、洋裁にたけていて、いろいろな手作り品を残してくれました。優しくて人のお世話が好きだった夫は、義母亡き後、部屋をリフォームして、昼間のお年寄りの居場所にとサロン「陽だまり」をつくり、様々な人たちが利用できるようにしました。人好きだった夫も3年ほど前に他界。今は夫の遺志を引き継いで、皆様に支えられながら暮らしています。

認知症 明日は我が身と 思いつつ

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。