体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2023年5月号(514号)

ー お便り紹介 ー

楽しんでお付き合いすることにしました大分県・Bさん 女

70歳台の夫はレビー小体型認知症になりました。夕方から夜にかけて、男性や小さい男の子がいると言ってくる。「お父さんと話したいんだよ」と言うと、「俺が行くと逃げるんだ」と言う。「お父さんとかくれんぼしているんだよ」と言うが、これっていつまで続くんだろう。
お父さんがこの病気になって1年4カ月になりました。地域包括支援センターや「家族の会」にあえて10カ月です。お父さんがこの病気になって、いろんな人たちと知り合いになれて良かったのか、悪かったのかわからないけど、楽しんでいる私がいる。お父さんも楽しんでいるように見える。
いつもと違うお父さんがいる、でも普段のお父さんもいる。病気にはかなわないけど、それでもいいかなぁ〜。この病気は大変だけど、楽しんでお付き合いすることにしました。私の中にはふたりのお父さんがいる。ある日、「天井の方に事務所がある」「家の外に大きなプールを建設している」と言うお父さん。5〜6人くらいでしているらしい、すごいね。

父が教えてくれたこと島根県・Cさん 女

先日、主人とファミレスに行きました。いつもなら、孫が一緒にいて仕切ってくれるのですが、今日はふたりだけ。幸い店員さんが来て、注文を聞いてくれました。でも、飲み物はドリンクバーから自分で好きな物を選んでくださいとのこと。
ちょっと前に行った時、好みの物を選んでボタンを押したけど出てこない。しばらく機械の前でオロオロと待っていたら、小学校低学年くらいの男の子が「ここ、押さんと出らんよ」とニコニコしながら教えてくれた。あの時の私と同じ状態のご婦人が機械の前でウロウロ・・・。「ここ押さないと出ませんよ」あの時の子どものように教えてあげた。でもご婦人には嫌味だったらしく、ムッとされた。慌てて「私も先日、小学生の坊やに教えてもらったんですよ」と付け加えて何とか笑顔を返してもらいました。昔の私ならお互い気まずいまま、その場を立ち去ったでしょう。
でも、認知症の父と毎日暮らしているうちに、父の気持ちを理解して言葉を足し(時には嘘も混じることもあったけど)、お互い気まずくならない日々を送るワザを私は身につけたと思う。父が意識していたかどうかわからないけれど、病気になっても、私に言葉ひとつ、態度ひとつで世の中の生き方が変わることを教えてくれていたのだと、今になって思う。

できなくなって辛い思いをしているのは本人青森県・Eさん 女

私の祖父は大正生まれです。いないはずの小さい女の子が見えて、今年の元日には「靖国神社に呼ばれた」と大騒ぎして、今でも毎晩晩酌をする認知症です。私が幼少期の頃は赤い軽トラックを乗り回し、畑、釣り、書道の師範などなど、まぁ多趣味で、なんでもできる自慢の祖父でした。数年前から認知症を患い、週1回のデイサービスに行く以外、日中は居間で寝てばかりになりました。ショートステイも絶対嫌だそうで、私の母が介護しています。
昨年祖母が亡くなり、葬儀に帰った時、以前から祖父の畑の近くに青森空襲の時に爆弾が落ちた跡があると聞いていて、「明日案内してよ」とお願いしたら「いいよ」と言いました。家族誰もが「明日になったら忘れているよ」「絶対家から外に出ないよ」と思っていました。次の日、祖父は朝から長靴を用意して畑に行く準備をし始め、家族皆びっくり。手入れをしなくなって草だらけになった畑に行くとさっそうと歩き、「疲れた」と解体した小屋の跡に座り、しばらく空を眺めていました。畑仕事をしている時は、同じように休憩していたのでしょう。爆弾が落ちた跡も教えてくれました。帰宅後、畑に行ったこと、昔爆弾が落ちたこと等、何回も同じことを嬉しそうに繰り返し話し、その日はゆっくり休みました。
言葉にはしないものの、できなくなって一番辛い思いをしているのは祖父なのだと思います。寝てばかりいる祖父ですが、孫の力だったのか、昼間畑に行くという誰もが予想していなかったことができました。私の作業療法士の仕事として同じように認知症を患った方が、できることや、やりたいことをしながら、地域で生活し続けられるように、自分自身もできることを続けたいと感じた出来事でした。

コーヒーの香りに誘われて山口県・Fさん 男

若年性認知症の人のためのカフェでMCIの方と話をしました。返答の内容・スピード等、いたって普通。言われないとMCIとは全くわからない。しかし、ご本人に聞いてみると、夜寝る前に「電気消し忘れていないだろうか?明日の予定・準備を忘れていないだろうか?」と不安になり、眠れなくなる時があるそうです。ご伴侶が理解のある前向きな方で、なるべく外に連れ立って行く等、MCIでも楽しもうとされていました。
出典は忘れましたが、日本人のなりたくない病気のトップは「認知症」だというアンケートを見たことがあります。認知症やMCIはそんなに悪いことなのでしょうか?疾患の理解不足から偏見が生じているのでは?と思ってしまいます。認知症でもMCIでも、私のように正常老化(たぶん)でも、コーヒーの香りの前ではたいした違いはありませんよ。

ー 私の介護体験談 ー

「看護師の私が介護者になって思うこと」福井県支部 60歳代

母の変化に気付けなかった後悔

母の異変に気が付いたのは、平成30年頃。手足の腫れと関節の痛みで病院を受診し関節リウマチと機能低下と診断されました。令和元年、関節リウマチの検査入院中に部屋が覚えられないなどの支障がありMRIによって、以前の脳梗塞と海馬の萎縮が指摘され、長谷川式は11点でした。
母は37歳で父を亡くし、祖父母を見送り平成30年からは一人暮らしになりました。偏食や水分摂取の不足、椅子にかけてテレビを見ているだけの動かない生活で、血栓を形成させる条件は整っていました。私は隣の家に住んでいて、仕事は看護師なのに母の変化に気付けませんでした。もっと早く気が付いていたらと、情けなく自分を責めました。気持ちを切り替えて、できることは何でもやろうと決めて、訪問リハや訪問看護に加えてデイケア、食事を見直し水分摂取に努め、虫歯だらけになった歯を毎日夕食後に歯磨きを行い、妹には週2日家に来てもらい、通院の同行を頼みました。
令和4年10月、私が仕事から帰宅、いつものように夕食の準備ができたと母を呼びに行くと、玄関に靴が見当たらず、家から30mの所にあるドラッグストアに買い物に行き、その帰りに道に迷い行方不明になりました。警察に通報、4時間後に隣町で無事見つかりました。その翌日にも、夕食の声かけの直後に出て行ってしまい再び警察に通報すると警察官が到着する前に自力で帰宅し「散歩に行ってきた」と言っていました。その時初めて、今話した記憶が一瞬でなくなってしまうということは、こんなに危ういことなのかとわかり、それからはそのことを念頭において関わることにしました。

介護を楽しめない日々

その日以来、私と主人は母の家で生活を共にすることにしました。減塩、低たんぱくの食事の管理や水分摂取、夕食後の歯磨き、全身の軟膏塗布、週1回の注射、入浴の見守り、デイケアの送り出し、内服管理、掃除、片付け、噛み合わない会話の相手、片付けて忘れた大事なもの探し等々、このようなことを毎日行っていると、一日があっという間に過ぎ、介護を楽しもうという最初の意気込みは消え失せていました。これからの介護を思うと、肩に重たい荷物を乗せているようでした。
知人から「介護者のつどいに参加してみるといいよ」と勧められて、私が必要なのは肩の荷を軽く感じられるようにすることだと気付きました。同じ介護者の皆さんが、どのようにご家族が認知症になったということを受け入れ、どのようにお世話をされているのか、疲れを感じた時や、不安な時にはどうされておられるのか等のお話を聞かせていただいて、重荷が軽く感じられるようになったら良いなと思っています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。