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上高地小紀行 〜夏の終わり、旅路の始まり〜

コラム町永 俊雄

▲大正池と焼岳。朝早くには、水面に靄が立ち込め、それは幻想的だ。

上高地に行ってきた。
8月のカレンダーも最後だから、そろそろ日本随一の山岳リゾートも息づくようにして季節が移ろうとしているに違いない。台風も一休みのこの時期を逃してなるものか。

遥かに若いころ、キスリングと呼ばれる帆布製の重いザックを背負っては、毎年のように上高地に入ったものだった。しかしその時には山行の仲間と観光地としての上高地は素通りして、そのまま涸沢カールまで登ってテントを張った。テントに寝たまま顔を出しては、満天の星を眺め、明日はザイテングラートから奥穂(奥穂高岳)往復とするか、あるいはのんびりと、蝶、常念(蝶ヶ岳、常念岳)を攻めるか、などと語り合いながら眠りについた。

そういえば、その時の仲間の一人は、高校生の時、槍ヶ岳の頂上に着くと天空の眺めに手放しで泣いたっけな。誰もにそういう柔らかな感性があって、そういう体力があって、そしてそうした仲間がいたのだった。

今や、この私にそんなことができたなんてとても信じられない。
以前、東北育ちのうちのサイに、アルプスっちゅうのを見せてやろうと上高地に連れて行った。存外のお気に入りだったので、以来、幾度か機会をとらえて上高地に一緒に行く。

かつての穂高の盟主も段差につまづき、登りには膝に手をついてひーひーと息切らし、うちのサイは梓川の清流に、きゃあ、冷たい、などと叫び、河童橋でソフトクリームなどを食して、最初はかなり憮然としたものだったが、歳を重ねるというのはこういうことだと割り切って仕舞えば、糟糠の妻との上高地のトレッキングというのも、そんなに悪くはない。

大正池から河童橋、そこから明神池までがお決まりのコースである。
穂高連峰の峨々(ガガ)たる山容と梓川のこの世ならぬ清流、シラカバカラマツの林と歩いていくほどに景観が変化して、ふたりの人生の歩みとどこか響き合うようで、マ、リビングで顔突き合わせているよりは広々とした話が交わされるかもしれない。

「あのね、大正池というのは、あの焼岳が大正4年に噴火してその溶岩や泥流で梓川が堰き止められて一夜にしてできたんだ。だから大正池というわけ」
「へええ」
「この大正池も、実は堆積物でどんどんと小さくなっていて、今はかつての半分くらいになっている。つまり上高地の自然は今も活発に生きていて変化しているんだな」
「あらまあ」
たいした会話を交わすわけではない。

時間や時期を選べば、この大正池から河童橋まではそれほど混雑はなく、アップダウンのない静かなトレッキングが楽しめ、なおかつ景観としては上高地の絶景絶唱の連続なのである。

ただ、上高地はツキノワグマの生息圏でもある。最近は、熊の出没が多くなっていて、あちこちに熊の目撃情報が掲示され、注意を促している。

「クマは怖いわ」
自然への畏怖は正しいあり方だ、それなら以前に北海道を旅した時に手に入れたクマよけの鈴を持参することにしよう。

田代池、田代湿原を過ぎ、上高地帝国ホテルに近づくと山岳リゾートの雰囲気にあふれ、登山者というより、しゃれたタウンウェアの女性や団体客がグッと増えてくる。
クマよけの鈴じゃなく、人よけの鈴を持ってくるべきだったな。しっ、というような会話を交わしつつ、まずはウェストン碑に表敬訪問である。

ここも記念撮影の人で順番待ちの列ができている。
イギリスの宣教師ウォルター・ウェストンは、この上高地をこよなく愛し、この一帯を世界一の風致とたたえ世界に紹介した人で、日本の近代登山の父とされている。
今の上高地があるのも、この異邦人のおかげなのだ。

さて、そこからすぐが上高地リゾートの中心、河童橋である。
人混みもさらに増えるが、河童橋の吊り橋の真ん中に立って振り返れば焼岳、向こうに穂高連峰と涸沢カール、眼下には梓川の清流、あちこちにカフェやホテル、土産店が軒を連ねている。
どこにカメラを向けても絵になりすぎる。仕方ないので、うちのサイを撮っておく。どういうバランス感覚だろう。

河童橋で一休みして明神池に向かう。
ここは日本アルプスの総鎮守、穂高神社の神域である。明神池を挟んで明神岳が荘厳にそそり立ち、まさに神の降臨の地、神降地なのだ。強力なパワースポットともされるが、明神池に突き出た神橋の奥宮の社殿の前にたたずむと、自然と人間との不思議な接点を感じざるを得ない。静かにお参りしたほうがいいね。

私たちはよく自然に癒されるといい、もちろん私たち夫婦も河童橋あたりのしゃれたカフェテラスで、コーヒー片手に「あー、癒されるなあああ」「来てよかったあああ」を競いあうように連発する。でもそれはどこか、この上高地観光にかけたコスト回収もあって、元を取るための成果を互いに言語化しているに過ぎない。

そもそも、自然は私たちが癒されるための装置ではない。
むしろ自然は、荒ぶる神の過酷な試練をふるって、わたしたちの前に立ち塞がることがある。そんな自然の前では私たちは、否応なく自分自身の弱さや卑小、傲慢や不安に向き合わざるを得ない。自然に包まれてそうした自分と真摯に向き合う時、はじめて自然は微笑む。

思えば高校の時、槍ヶ岳の頂上で突然涙した友は、青春特有の自分の欠落と傷ついた心のありかを天空の雲海に投げ出すことではじめて泣くことができたのだ。それはどんなにか深い癒しの時であったろう。

誰もの人生も、生まれ落ちてからの月日を数え、社会人になって、あるいは家庭を持ってからの歳月を数えながら歩みを重ねていく。が、人生のどこかの時点で、クルリと向き直るようにしてそれまでの年月を数えるのではなく、これからの年月を想いながら歩み始める瞬間が来る。ここから先どれだけの年月があるのだろう、と。
そこからが、あなた自身の本当の人生だ。

上高地、梓川の瀬音を友とし、前にそびえる穂高の山々にこれから先の私の歳月を見上げるようにして、さて、新たな旅路の始まりなのである。やれやれ。

▲河童橋の賑わいと穂高連峰。左から西穂高岳、中央に奥穂高、そして右端に前穂高も望める。真ん中に涸沢カール。氷河が削りとった別天地だ。

|第256回 2023.9.4|

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