体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2014年3月号(404号)

ー お便り紹介 ー

最新の情報はかかせない宮城県・Kさん 66歳 女

90歳の義母は診断を受けておりません。7回の骨折、膝関節症でコルセット、両脚装具、車椅子、歩行器を利用しています。
訪問介護、訪問リハビリ(脳リハビリ含む)を利用して13年余を経て、2013年9月に入所しました。
義父や昨年末に88歳で亡くなった実母のサポート生活は15年程になります。どちらも、兄弟聞の協力連携がよく、良き戦力になりました。この間、私は胸腺腫切除術を2回受け、7年余になりますが、体調は万全ではありません。
今は、義父のサポートが主ですが、対応力の強化や私自身のある程度の心身の健康維持等を考えますと、日々変化する情報の習得はかかせないと思っております。

終末期に不安兵庫県・Sさん 52歳 女

83歳の実父は認知症と診断され7年になります。現在、終末期の段階です。まだ寝たきりではありませんが、歩行が困難になり外出先では車椅子、自宅内では見守り一部介助しながら移動できている状態です。これまで病状の進行と症状の変化に何とかついてきました。ある時は必死で追いつきながら本人と共に歩んできました。本人の心に寄り添う事を大切にしてきましたが、この段階に至り改めてその難しさを実感。今後あらゆる場面で岐路に立たされ決断を迫られる事を思うと不安でいっぱいです。

気持ちの整理がつきません静岡県・Sさん 47歳 女

77歳の実父は4年前に前頭側頭型認知症と診断されました。そんな父を入院させることになってしまったことが、自分の気持ちの中で未だに整理できません。二人暮らしだったので、将来も不安です。自分も介護うつで休職中です。
父の気持ちを考えると不安で、寂しく、つらいのではないかと思ってしまい、こちらが苦しいです。実際には会話が成り立たないので良くわかりませんが…。
周りに認知症介護者がいるのかも判らず、ひとりでずっと悩んでいます。

ー 私の介護体験談 ー

認知症の父親、年末に4回目の緊急入院長野県支部会員

緊急入院で24時間付き添い

認知症の父親(89歳)は要介護3に認定され、精神障害者保健福祉手帳1級を頂き、レビー小体型認知症・前立腺ガン・慢性肺気腫など14の病名が付きました。また、リパスタッチパッチなど認知症関係6種類も含めると20種類の薬(薬のデパート)を処方して頂いています。
昨年末の12月29日(日)の昼食の後しばらくして、急に呼吸が荒くなり、体温を測ったら39℃。以前3回入院した総合病院を休日受診してそのまま入院しました。勿論今回も私は24時間付き添い、少しずつ元気が回復してくると「さあ家に帰るか」が始まりました。
認知症の人は点滴の針を抜こうとしますが、私がふと「夜中に点滴の針を抜かないか心配だ」と漏らしたら、看護師さんに「抜いてしまったら、また刺しますから…」と言って頂き、とても楽になりました。30日の深夜・翌未明の2時30分頃、ふと目を覚ましたら、父親が点滴の針の上に巻かれた包帯を取ろうとしていて、焦った私は優しく「それは点滴の針で薬を入れているから取っては駄目だ」と言うと、「ああそうかで一件落着。認知症の人は無意識に、ただ邪魔なものを取り除くような感覚だと勉強になりました。
「さあ家に帰るか」は31日(火)の午後から俳佃も加わり、隣の整形病棟の病室に入ろうとする、夜も一睡もしないでベッド柵を外そうとして私が阻止(2時間)、ベッド柵を乗り越えようとして私もベッドに上がり後ろから抱きかかえる(2時間)など、心配する看護師さんに「認知症の介護は忍耐なので大丈夫です(『家族の会』会員としてのプライド)」 と少しカッコ良く対応しました。
父親が「仕事に行く」と言った時は、1時間ほどのドライブで済みますが、激しく興奮している時は、具体的にどう対応してよいかイメージできず能力の限界を感じています。

レビー小体型認知症の特徴

今まで殆どなかった幻視の症状が現れ始めたのはショックでした。病室の壁の染みを盛んに指差す、外泊で自宅に戻ってもゴミ箱を抱えて「アリババがいる」と潰す仕草が見られました。しばらくして元の生活に戻り気持ちが落ち着いたら全く消え、認知症の人には穏やかな生活がいかに大切か改めて勉強になりました。

退院後の生活

1月10日(金)に退院しましたが、前半(12月29 日~1 月1 日)の失敗の教訓を生かして最大限父親の世界を尊重して対応したため、基本的に穏やかに過ごせました。穏やかな時は「明日のご飯は大丈夫か?」「仕事はどうした?」などと59歳の息子を心配する89歳の父親になっています。
父親「(100歳まで)あと10年だ」私「あと11年だ、頑張ったい」父親「ああ頑張る」、しばらく前に父親とこんな会話をしました。遠くない時期に看取りを迎えると思いますが、2013年の大晦日から2014年の元日の朝まで一睡もしないで、父がベッド柵を外そうとするのを私が阻止する、さらにベッド柵を乗り越えようとするのをベッドの上で後ろから抱きかかえる、そんなことを繰り返していたため、楽しみにしていたNHK紅白歌合戦(あまちゃんブーム)も全く見られず新年を迎えました。これが決して忘れられない思い出になると考えたら限りなく切なくなりました。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。