義父の介護から
体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2014年4月号(405号)

ー お便り紹介 ー

そんなに気負わなくてもいいのでは? (ぽーれぽーれ1月号 「夫を思うと胸がはりさけそう」を読んで)香川県・Mさん 67歳 女

Sさんの気持ち良くわかります。私が57歳の時、一つ年上の夫が進行の速い若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。本人の方がショックを受けているかと思うと、私までもが落ち込んではダメだと思う気持ちがありました。
デイサービスは我が夫も行きたがらず、送迎の職員さんの手を払い、車道へと進みドンドンと家とは反対の方向へと歩いて行き、追いかけるのが大変な時もありました。私も一緒にデイサービスに行き、2 時間程そこで過ごした後抜け出し、夫には送迎の時間まで過ごしてもらう方法をとりました。
私の経験からですが、あまり行きたがらない人をデイサービスに行かすのは、週2回までが限度かと思います。夫の調子が良いからと週3 回に変更してから送迎時の逃走、暴力となり後悔しました。
私は頑張りすぎた結果、脳梗塞を発症し、うつ病も発症してしまい在宅介護を諦めざるを得なくなりました。今、夫は老健でお世話になり、穏やかに過ごしています。できるだけ毎日面会に行き、神様から頂いた二人の時間を大切にしています。
Sさん、くれぐれもご自愛ください。頑張らなくていいから、諦めないでください。
介護生活は寄り添い、歩幅を合わせて二人三脚で歩いていくしかないと思います。

いたずらをしている?大分県・Iさん 62歳 女

アルツハイマー型認知症と診断されて12年になる86歳の実母と同居を始めてから、家族の事、母の事で私はいつも壁にぶつかり、気忙しい気持ちで過ごしていました。認知症というものが病気と理解できず、母が私に「いたずら」をしているなどとさえ思い、つらい毎日でした。「家族の会」 の皆様の体験談は母への接し方を豊かにさせてくれました。

前に向かっています香川県・Iさん 50歳 女

81歳の義母が1年前にアルツハイマー型認知症と診断されました。家族として動揺し、迷ったり悩んだりしましたが、月1 回の家族会に出席することで、迷いや悩みは早いうちに解消することができ、心を切り替えて前に向かっています。これから症状が進んでいくと思いますが、「家族の会」の存在は私の心の支えとなっていくと思います。

ー 私の介護体験談 ー

義父の介護から愛知県支部会員

認知症の発症

義父が認知症を発症したのがいつかというと、今から10数年前というだけで、正確には記憶しておりません。初めは、「あれ?」と思うことがしばしば起きました。「朝と違う上着を来て帰ってきた、あれ?」 そして少しずつもの忘れが増え、趣味や畑仕事などに対する興味を失い、気力がなくなっていき、常識では考えられないような奇妙な言動が増えていったという状態です。正直に言うと、家族がそれぞれ、おかしいと思いながらも、認知症とは認めたくないという状態でした。
初めて診察を受けたのは、発症から数年たってのことでした。どこに行けばよいのかもわからず、とにかく総合病院である市民病院の脳外科へ行きました。そこでCTを撮っていただき「年相応のもの忘れ」と診断されました。診断に義母はすっかり安心して薬も使わず対策もしませんでした。ただ、計算ドリルやら漢字ドリル、塗り絵などを山ほど買ってきて義父にやらせようとするのです。義父は「何でこんなことをやらないかんのだ」と言って手をつけようとはしませんでした。

認知症の進行、退職、再受診

月日は流れ、徐々に認知症は進んでいきます。義母から困ったという話を山ほど聞かされます。職場にも電話が入るようになり、30年続けた大好きな仕事を辞めることになりました。退職した後、ちゃんと受診させようと思い、市内の心療センター「もの忘れ外来」に認知症専門の先生がいることがわかり、すぐに予約を入れました。診察の結果、アルツハイマー型の認知症と診断を受けました。さすがの義母も認めざるを得なくなりました。
元気なアルツハイマー型認知症の義父を介護していますと、困ったこと、驚くようなことが毎日起きますが、それはそれで平穏な日々だと言って良いでしょう。

一変した介護生活

それが変わったのは、義父が膠原病の一種であるリウマチ性多発筋痛症を発病してからです。40度を超える高熱と体の痛みのためステロイド剤での治療となるのですが、認知症にはなかなか難しいものです。副作用で食欲が増進し、食べる食べる食べる、体重も一気に増え、ステロイド性の糖尿病にもなりました。
いろいろな感染症にもかかりやすくなり、入退院を繰り返しました。点滴を抜くことなどはしょっちゅうで、睡眠導入剤が効かず大声を出していました。入院するたびに看護師から「他の患者さんの迷惑になるので個室に替わってください」「点滴の間だけでも付き添ってください」「夜は眠られないので付き添いをお願いします」などと。「点滴の間は」「夜は」ですって、それでは一日中ではありませんか。

入院生活の末

結局、私と義母と主人と3人で交代しながら、ほほ24時間の付き添いということになりました。睡眠不足の日が続きました。最後の入院時には嚥下も悪くなって、ついに食べ物がのどを通らなくなった時にも、ドクターから「胃ろう」の話はでませんでした。点滴だけで命をつなぎ、50 日後に静かに息を引き取りました。
これが私の介護体験です。最近になって、実の父も、認知症の兆候がいろいろ表れています。義父の場合と違い、同居していませんので通い介護になりますから、行き届いた介護はできないだろうと覚悟しています。でも、無理はしない、頑張りすぎないと決めています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。