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認知症の人と家族の会
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」2015年2月号(415号)
ー お便り紹介 ー
『家族の会』で笑顔を取り戻した沖縄県・Tさん 72歳 女
認知症となってから無気力となった夫を、毎日外に連れ出すのが日課です。まだ初期認知症の段階で、身の回りの事は自立しています。
沖縄県支部中部地区会に夫と二人で参加したら、とてもいい雰囲気で、夫も笑顔を取り戻しました。
まだまだ、出来ることがあるので、車椅子ばかりのデイサービスには馴染みません。
自分の状態を受け入れられない母福岡県・Mさん 45歳 女
市役所の福祉課で勤務しているので、隣の介護サービス課の方や地域包括支援センターのケアマネさんと連携して、介護保険の認定や介護サービスの利用はスムーズに手続きできました。でも、本人はなかなか自分の状態を受け入れられずにいます。
どんなに寛容に受け止めようと思っても、母が言い訳を繰り返したり、短期記憶がなく、わからないこともこちらのせいにしようとするのが重なると、つい、気持ちがささくれだってしまいます。きつい物言いをしてしまいます。
幸い、県内に住んでいる姉と連携出来ており、一方に負担が偏ることもなく、母が望むように一人暮らしが出来るよう色々と手は打てると思いますが、進行が早いように思います。
義母も実母も認知症島根県・Mさん 56歳 女
同居する86 歳の義母は5年前にレビー小体型認知症と診断されました。現在は要介護5です。主人や義姉、特に義姉は義母が認知症であることが家族以外の人に知られるのがイヤという人です。義姉の言う事もよくわかりますが、私は地域の人にわかってもらった方がいいという考えです。
私が坐骨神経痛になり、足腰が痛いのですが、介護は避けて通ることの出来ないものだと思っています。それというのも、子供の時から実母が祖母の介護をしていたのを目の当たりにしてきたからです。
義母は利用していた小規模多機能型施設の職員から、泊まりをしてもらうには夜に寝てもらいたいということで、入院加療することになりました。
また、実母もアルツハイマー型認知症で、デイサービスとショートステイを利用しています。弟夫婦が介護をしているので、私は義妹に対してあまり口を出さないようにしています。母を気持ち良く看てほしいからです。
認知症の人を介護するということは本当に難しいことであり、やったことのある人でないとわからないと思います。この先義母はどうなるのかわかりませんが、「家族の会」に入り、いろんな人の話を聞いたり、私の経験が介護をしている人の参考になればいいなと思っています。
ー 私の介護体験談 ー
介護4380日を終えて滋賀県支部会員
人生を変えた過酷な12年間
23歳で嫁ぎ4人の子供たちに恵まれ、子育てもやっと一段落というころからの介護スタート。暴言・徘徊・物忘れ・失禁・おむつのまき散らし・・・もうこれでもか!というくらいの日々でした。何度も逃げ出したくなり、殺したくなり!死にたくなり!それでもおむつを替えなくてはいけない・・・子供たちのこともある、生きていかなくてはいけない。震災で亡くなられた大切な命を思うと、どんな状況でも今があることはありがたいことですが、認知症介護の12年は本当に過酷でした。
誰の世話にもならないと言っていた気丈な義母が、記憶、言葉、意思、感情、体力・・・少しずつ失っていく日々。身内ならどんな状態でも長生きしてほしいと思う気持ちは誰にでもあることだと思っていましたが、あまりのひどさに、今生きていることが本当に幸せなのか? 早く楽にしてあげたほうが幸せなのではと思わずにはいられませんでした。
看取りに向けて
最後は老衰にて2013年12月に亡くなりましたが、3月頃から体調を崩し、いよいよ看取りに向けての体制を取りましようと言われても、意味がよくわかりませんでした。今までの人生で身近な人の死は経験してきましたが、直接関わってきたことがなかったので、介護とは違う不安がかなりありました。
しかし、その不安は12年前からお世話になっているケアマネジャーさんと介護サービス事業所の皆さんが支えてくださり、乗り越えることができました。3月からの寝たきりが9月には起き上がるくらいにまで回復して、もしかしたら歩き出すのではと思うくらいにまで元気になり、とにかく振り回される日々を過ごしました。
12月に入り動きも少なくなり、13日、いつも通りにショートステイに行ったら連絡が入り「食事が入らず、いつもと違うので先生に診ていただきます」とのこと。先生は、かかりつけの先生から連絡を受けており、できる限りの対応をさせていただきます、と快く受けてくださり大きな安心となりました。15日、食事は全く入らず、血圧が下がってきていると連絡を受け、様子を見に行くと静かに眠っていました。おそらく数日でしょうね、と言われ、なぜか不思議な感じで、ただ顔をじっと見ていたことを覚えています。17日、施設に行くと呼吸が荒くなり足のチアノーゼが出てきたので、もしもの時は連絡を頼み帰宅しましたが、その夜、息を引き取りました。身内のみで静かにお葬式を済ませ最後のボタンは私が押しました。あまりにも長すぎた壮絶な介護生活が一瞬甦り、これで本当に最後なの!と自分に言い聞かせ、子供たちに見守られながら4380日の介護を終えました。
あの日があったからこれからも頑張れる
亡くなってすぐは寂しさや悲しみより、介護が終わったことの喜びのほうが多く、自分はなんてひどい人間なのだろうと、義母のことは密閉していました。一年が経ち、出会った29年前のことを思い出します。介護もしない方がよかったけど、とても貴重な体験をさせてもらいました。きっとあの日があったから、これからも頑張れるのだと思います。
~多くの方に感謝をしながら~