体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2017年4月号(441号)

ー お便り紹介 ー

相談する人がいなくて…東京都・Aさん 女

80歳を過ぎた母は、以前から物忘れがありましたが、昨年末ころから急に記憶力がなくなり、食事もあまり作らなくなりました。先日かかりつけの医師に、「一度MRIの検査をしてみたら」と言われました。
介護保険を申請して脳トレなどのようなところに通わせた方がいいのか、今のまま見守っていればいいのか迷います。今後さらに迷ったり、困ったりすることもあるだろうと思いますが、私は一人っ子で他に相談する人もいないので、「家族の会」に入会したいと思います。

オレンジカフェを始めます埼玉県・Dさん 女

以前、父親の介護をしておりました。当時は介護保険もなく、「痴呆症」と言われておりました。認知症の知識もなく、その頃の対応を思うと強い後悔の気持ちが残ります。
現在は、在宅で92歳の母親(要介護4)の介護をしながら、介護福祉士・認知症ケア専門士の資格を得て、グループホームで働いております。そんな中でオレンジカフェの実施・運営に興味を持ち、今年度、職場であるグループホームにて開催を進める運びとなりました。「家族の会」とのつながりを持ち、情報の収集など連携ができたらと思います。

「一筆啓上」お疲れさまでした京都府・Fさん 男

2002年に「家族の会」に入会。当時、妻を介護していた私にとって、ぽ〜れぽ〜れはスミからスミまで目を通して読むべき、いわば必読文献のはずでした。ところが、元来読むことの苦手な私は、選り好みして拾い読みをする程度の読者でした。その中で、一番に読んでいたのが、「一筆啓上」でした。そこには、介護される人、介護する人への、これ以上はないほどの温かい気持ちが溢れていました。
私は今、この世を旅立つ日に備えて、新聞や同人誌に投稿したもの、掲載されたものなどをまとめた遺稿集作りに取り組んでいます。その中には、髙見さんへのインタビュー「呆けても心は生きている」を感動しながら、繰り返し読んだ時の感想もあります。
現役を退かれるにあたっての毎日新聞の記事の締めくくり、「退任後も当時者と家族を応援し続けるつもりだ」。いかにも髙見さんの気持ちをピタッとあらわしていると思いました。

自宅で介護できなくなれば…愛媛県・Hさん 女

79歳の夫は、アルツハイマー型認知症で要介護3です。先日、初めて家を出て行きました。幸いすぐに見つけることができましたが、これから先、自宅で介護できにくい状態になった時、入所できる施設やその方法など、また経済的なことなど不安が大きく、いろいろな情報がほしいと思っています。

ー 私の介護体験談 ー

母の介護富山県支部 70歳代

 

100歳の祝いの4日後からショートステイ。施設から「◯◯さん、背中かゆがって、見たらブツブツあるけど、皮膚科に行ってくるけ」とのこと。私は、「今、行っておられんわぁ」と断った。実は家で寒いだろうと部屋も布団の中も温めたのだ、母は寝てばかりいたから、もしかしたら「あせも」かも…。施設からはそれっきり連絡がなく、私からも経過を聞かなかった。自分ながら無責任だ。
先月お世話になっていた施設から「1ヵ月過ぎると空きが出るかもしれません、入所可能だと思うけどどうされますか」との電話。私にしたら、在宅介護で今までデイサービスとショートステイの組み合わせでやっているから、『このままでも…』と迷う。でも、折角声をかけて下さったのに…との思いもあり「出来たらよろしくお願いします」と返事をした。
ショートステイから連絡があり「明日、退所の日だけど、皮膚科へ行ってくるけ、あのブツブツ、人にうつるかも!もしそうだったら、どこの施設も受けんよ!治さんにゃ、とにかく病院!」。『ほっておけない!』さすがの私も動転した。翌日、要介護3の母を迎えに施設へ。病院に行き、医師に開口一番「先生、人にうつりますか!」「大丈夫、うつりません!」ほっと一息した。

大量のうんこ騒動にうんざり…

母は一人で食べられる。やれやれ…夕食を済ませ、入れ歯も洗い、すべてよし!さぁお風呂に入って寝よう!と思い、母の部屋に行く。私も同室。部屋に入ると嫌な臭い…オムツの中を見ると…大量のうんこ!今からこの始末、がっかり、うんざり…片づけぬわけにはいかず、お湯を汲んで汚れた部分を拭き一段落。部屋は臭く冬とはいえ窓を開け、空気を入れ替え、消臭をして、何とか終わり、やっと入浴する。

強情な母が手を合わせて「ありがとう!」

翌日、デイサービス。朝一番に紙オムツ替え。あれっ夕べの続きでどっさりとうんこが…またお湯をたくさん汲んで…やっと終わり。母を見ると申し訳なさそうな顔で両手を合わせ、私に向かって「ありがとう!」と言っている。一瞬びっくりした。若くて元気だった頃は「あんたの世話などならんわ!」と啖呵を切った母である。これがあのわがままな母だろうか。
私は父も大嫌いだった。婿養子だった夫に切ない思いをさせた両親だった。噛み合わぬ悲しい親子関係。あんな言葉や行動は絶対にしてはならぬ!と心に鍵をかけてきた。おかげ様で息子夫婦との同居は、笑いながら収まっている。嫁の優しさだろう。ありがたい事です。
そんな強情な母が今、私に手を合わせて、『ありがとう!』と言っている。思い起こせば、腹の立つ事ばかりだが、受け入れ、割り切り、水に流そうと心を切り替えなければ前に進めない。自分が惨めになる。自分にできない事は周りの人に助けを求め、親と私の不徳を夫に詫びよう!と心に誓った。でも、夫が亡くなって、どこを向いても切なく、虚しく、寂しい日々です。後悔ばかり、涙がでてきます。
※筆者は夫を看取り、実母を介護しています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。