体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2017年10月号(447号)

ー お便り紹介 ー

家族となると…広島県・Aさん 女

私自身は介護の仕事に就いて20年目。いずれは自分の親も…とは思っていましたが、まさかの認知症。80歳代の父は3年前にアルツハイマー型認知症と診断されました。症状は進むばかりです。仕事で介護、家に帰っても介護。仕事とプライベートの区別はつかなくなり、心も体も重く感じるようになりました。仕事では多くの認知症の方をお世話してきましたが、結局仕事は仕事。自分の家族となると…。家族の大変さ、気持ちを実感しております。

母の生きてきた知恵京都府・Bさん 女

母が認知症で施設に入居しています。最近ではほとんど言葉も話せなくなりました。週1回程度会いにいくのですが、ずっと寝ていたりして、寂しい気持ちになることが多いです。母が私くらいの時、どんな気持ちでいたのだろうとか、昔話に花をさかせるなどができないことが、とてもとても寂しいです。母の生きてきた知恵を受け継ぐこともできないので、認知症は辛い病気だなと思う今日この頃です。

介護者への援助も考えてほしい埼玉県・Dさん 女

アルツハイマー型認知症とわかって6年目の主人と二人暮らしです。幸い、よいケアマネさんやヘルパーさん、利用施設に恵まれ、在宅で介護しています。春先、主人が高熱を出し、その介護で腰を痛め、自分も風邪をひいてしまいました。その時も様々な方に助けられて何とか乗り切りました。
介護保険のおかげで本人にはいろいろなサービスが安価で受けられ、ありがたい限りです。ただ、介護者に何かあった時どうしたらいいのか不安が募ります。在宅を推進するのであれば、介護者への援助も考えてほしいと思います。

念願の専門支援窓口新潟県・Eさん 男

私の念願であった、若年性認知症支援コーディネーターが県内の認知症疾患医療センターにひとりずつ9ヵ所配置され、今年度よりスタートすることが決定しました。7年前に57歳でアルツハイマー型認知症を発症した妻を介護している私は、周知用のパンフレットを手にして、嬉しくて嬉しくてたまりません。
発症当時、専門支援部門がなかったため、私は不安とわからないことだらけで迷走し、奈落の底にいたようでした。平成24年にオレンジプランを知り光明が差し、各方面に専門支援窓口の必要性を訴え続けた私は、妻に最高のプレゼントができたと感じています。
医療・福祉・就労の関係機関と家族とのつなぎ役として生活全般をサポートするコーディネーターに期待しますが、難しい職務ですので、息切れしないよう、スローペースで頑張ってもらいたいです。

ー 私の介護体験談 ー

愛と信頼があれば 〜衝撃と混乱をくぐり抜けて〜滋賀県支部 80歳代

 

平成23年11月、同い年の妻が体調を崩し入院。「同室の患者が線香を焚き、鈴を鳴らし、歩き回っている」などとあり得ないことを娘に話していたそうだ。以前にも「私の頭、おかしくなったのと違うやろか」と言ったが、私は気にも留めていなかった。
24年12月、認知症セミナーで介護体験記を聴き、世の中にこんな大変なことがあるのやな!と思った。この日のことが、後々どんなに私の助けになったか計り知れない。
かかりつけ医に相談、専門医を紹介いただいたものの、当時妻が応じると思えず、「僕はもの忘れが多くなったから診てもらう。一緒に行ってくれるか?」と持ちかけた。「ついでに診てもらったら?」と勧めると素直に受診。MRI検査でアルツハイマー型認知症、25年3月から薬が始まった。

妄想に翻弄され、天国と地獄

薬を飲み1ヵ月後、「ネクタイがようけ掛かっているけど、誰に貰ったんや」と妻。戸惑いながら「前からずっとかけてあったで」と応える。「そんなことあらへん。誰に貰ったんや」と詰問する。2、3日すると今度はスーツ、「どこの女に貰ったんや」。だんだん興奮してくる妻。
結婚して50数年こんな態度は一度もなかった。先生に電話で報告。「薬のせいもあるかもしれない。薬を変えてみる」と言われた。その夜、妻は娘と楽しそうに話をし、正常だった。
こうしたことが続き、久しぶりのゴルフから帰宅すると、妻は私の服をゴミ袋5袋に詰め込み、「離婚するし出て行って」と道端に放り出した。手のつけようもなく、私は会社で寝ることにしたものの、腹ただしさと虚しさで頭が破裂しそうだった。
5月に入って妻の父の墓参りに行き、珍しく「連れてくれてありがとう。これからはお父さんにはいらんこと言わないと墓に誓ってきた」。その後数日は最高の気分だった。しかし、その後も妻が上機嫌と疑心暗鬼を繰り返す「天国と地獄」の中、手をあげることさえあった。熟睡できず、精神までおかしくなりそうだった。

「家族の会」の電話相談

要介護1の妻の妄想に疲れ果てたころ、セミナーのパンフレットに「もの忘れ電話相談」をみつけた。電話し、今までのことを話しているうちに地獄に仏とはこのことだと感じた。その時につどい「さつき会」を紹介され、出席することに。
「天国と地獄」から3ヵ月ほど経ち、妻が優しい言葉をかけてくれるようになった。薬を変えて1ヵ月弱。「これからも、とことん面倒みていくで!」と心に誓った。何事も起こらないことが、こんなに幸せであることを改めて気づかされた。
最近、妻は車の中で「お父さんの横にいたら落ち着くし、安心や。一緒やったら地獄まででもついて行くで。そやけどお父さんは地獄には行かへんわ。何も悪いことしてへんし」と言ってくれる。
今の時間がいつまでも続くことを願っている。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。