体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2017年11月号(448号)

ー お便り紹介 ー

母はどんな気持ちでいるのでしょう山口県・Bさん 女

母は88歳になりました。72歳で認知症と診断され、自宅で10年介護し、施設で6年、今は要介護5で、ほとんど寝たきりです。
週1回、病院の付き添いに行きます。母はどんな気持ちでいるのでしょうか。元気なころは仕事と畑仕事に精を出し、しっかりした人でした。嫁の私からみると、悔しいのではないかと思ってしまいます。強気だった母がこんなに変わっていく姿を見ていると、たまに悲しくなってしまいます。

オープンにできない神奈川県・Cさん 女

50歳代の夫は昨年、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。周りにおなじ病気の人はいなくて、オープンにすることもできていません。なのに、住宅ローンや収入がないなど、金銭面では次々と問題が起き、待ってはくれない。とにかく情報を得て、少しでも良い方向にいけばと思っています。

在宅での介護のいいところ高知県・Eさん 女

母は、アルツハイマー型認知症になって早や10余年。介護生活は少しずつ、少しずつ重くなり、自分も年を経て、大変さが身に染みています。それでも、少し反応してくれることが、在宅での介護のいいところ。母の笑顔が見られる。もう少し、もう少し頑張ろうと思える。

自宅で看取りまで…鹿児島県・Gさん 女

実母は86歳、レビー小体型認知症で要介護4です。6年間、自宅で介護しております。発症した時は、作り話や物忘れ、夜間せん妄、見えない人や動物まで鮮明に見えて、怯えた表情で何度もどうにかしてくれと、娘の私に訴えていました。夜中に動きだし、床にたおれることがたびたびあり、夕方になれば「帰ります」と玄関先に出てしまうので、常に母の行動に振り回されていました。
認知症フォーラムで、世話人さんと出会い、つどいに参加するようになり、専門医に受診し、薬を調整してもらい、混乱することもなくなりました。今では娘の名前まで言ってくれます。
現在は寝たきりになり、じょくそう治療中で、訪問看護師の在宅医療を利用中です。家での看取りを考えております。今は母の笑顔に癒される日々を送っています。

ー 私の介護体験談 ー

母のホンネ?!新潟県支部 70歳代

せめても…

母方の祖母は、上越市内の民間アパートで長らく一人暮らしをしていた。私の母は折々に訪れて世話をしていたが、高齢と大雪に追い立てられるようにして、当時九州にいた息子(母の弟、私には叔父)のところへ祖母は身を寄せた。
そのころから母は、隣町にできた特養へ「月1回しか行けないけれど…」と言いながら、ボランティアに行き始めた。坊守会(ぼうもりかい)※でローテーションを組んで、毎週定期的に訪れるようにしていたようだ。「どんなにちょっとでもね、きちんと決まって行けば、あちらも当てにできるからねえ。洗濯物をたたんで、顔見知りの方のお部屋をちょっとのぞいて…、それだけよ」。祖母の世話ができない母の「せめても…」という気持ちもあるのかなぁと私は思っていた。
祖母はだんだん認知症の症状が強まり、叔父夫婦は大変だった。叔父の連れ合いの話では、「おばあちゃまはボケのフルコースだったわねぇ」。叔父たちの留守に訪問したヘルパーが着替えさせようとしてもいやがり、「ヘルパーさんたら、ブラウスの片袖を通しただけで帰っちゃったのよ」ということもあったそうだ。

かあちゃん、早く死んでほしい。私はもうこれ以上○○ちゃんと仲悪くなりたくない!

九州は遠く、母は叔父の言うように介護費用の一部を送り続けることしかできなかったが、その介護をめぐって叔父と母の軋礫が深まった。叔父はもともとわがままな人で(母いわく「かあちゃんがそう育てたのよ」) 、自分の理屈を振り回してきかない人だ。ある時、母が「かあちゃん、早く死んでほしい。私はもうこれ以上、○○ちゃんと仲悪くなりたくない!」と私に言った。
祖母が亡くなって15年。今、母も認知症で要介護4、もうすぐ94歳になる。昨年2回の骨折をして車椅子の生活になった。

揺れる私の気持ち

先日、叔父の娘(私達きょうだいには従妹)が実家を訪ねてきて、ショートステイ中だった母を見舞ってくれた。母はまだ人様の顔はちゃんと分かる。めったに会わない姪なのに彼女のこともきちんと覚えていて喜んだ。帰り際、姪に「お母さんによろしくね。お父さんには言わないでいいから」と言った。とぼけたのか、ホンネなのか、とぼけるユーモアがあるのか、それとも本音むき出しなのかなと私の気持ちは揺れている。

※坊守会 「坊守」とは、浄土真宗の寺院の住職の妻のことです。坊守会は「住職夫人の会」です。筆者の母は住職の妻で、坊守会で活動されていました。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。