体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2018年5月号(454号)

ー お便り紹介 ー

振り返りができる交流会愛知県・Dさん 男

妻が認知症と診断されて7年半になります。当初、周囲には病気を極力隠して(本人にも知らせず)、それまでの妻の世界である三味線、健康体操、気功会などは私がフォローし参加を続け、登山、ハイキング、旅行、パークゴルフ、さらにボウリング、卓球と何かをする日々を続けました。
しかし残念ながら、あちこちのサークルで妻は約束を忘れたり、物をなくしたり、会費を二重払いしたりしたため友だちも離れ、徐々に辞めざるを得なくなってしまいました。さらに、私が2年にわたり、連続して足の骨折をしてしまい、長期入院を重ねることになりました。
入院によって、様々な日々の喧騒から解放されると同時に私の中に無力感が芽生え、自分の介護生活の「ひとりよがり」を思い起こしていました。入院中の病院で「家族教室(物忘れ教室)」を知り、ようやく「認知症」を直視するようになりました。講義を受ける中で、それまでは「家族交流会」などは、同病相哀れむような気がして避けてきたことを思い直そうと思うようになりました。
今は要介護4。デイサービス週5日、認知症カフェに3カ所出かけています。毎月の「家族交流会」は、考えることが面倒になりつつある自分にとって、振り返りができるだけでも参加の価値があると思っています。

相談する場所、時間がない東京都・Fさん 女

去年、父が亡くなり、80歳代の母は今年1月に認知症との診断を受けました。当初、アリセプトを服薬していましたが、3月に私に対して暴言・暴力が始まりました。薬をかえてもらい落ち着きつつありますが、母との距離感を今は手探り状態です。認知症にならない情報はあふれていますが、認知症になってから、また、これからの本人に対してのアプローチの方法などを知りたいです。仕事をしている介護者に対しての相談する場所、時間がなく、困っています。

急激に悪化した父神奈川県・Hさん 女

昨年11月に認知症と診断された80歳代の父は、母と2人暮らしです。私は週に2〜3回行っています。今年に入り、急激に悪くなりました。2月末〜3月はじめに2回迷子になり、市の放送と警察にお世話になり、2回目は翌日の朝にようやく見つかりました。身体は健康で、迷子になるまで自転車で一日何回も同じ店に出かけて、出たり入ったりしていましたが、迷子になって見つけた時には自転車もなくなっていました。
電話のかけ方も受け方も時々しかわからない、自宅マンションの部屋を間違えて鍵をガチャガチャとしたり、じっとしていられない、待てない、デイサービスに行くけれどすぐ帰ると言う、拒否が多い、お風呂にもしばらく入っていない、言われたことが気に入らないとすぐ怒る、外出から帰ると自宅の外観もわからない、トイレに一度行くと何度も行く、自宅の洗面所とトイレの場所がわからなくなる、私と前日に会ったことを忘れて久しぶりだと言う、などなど。
ほんの少しの記憶しか持たない感じです。昔のことは断片的に詳しいことと、そうでないことがあり、日によっても変わります。母に対して一番わがままで、母が大変な思いをしています。私は仕事があり、責任も負わなくてはいけない立場なので、今後どのように母のサポートをしていったらいいか、父に向いている介護の方法や知恵などを経験してきた方や同じ立場の方と話をしたいです。

ー 私の介護体験談 ー

認知症在宅介護に向き合って秋田県支部 80歳代

 

家内はアルツハイマー型認知症です。平成元年から少しおかしいと思っていたので30年もの付き合いです。
現在80歳、要介護5、脳梗塞で失明、昨年6月には両足骨折で歩行できず、糖尿病もあります。在宅24時間介護も14年を迎えました。
私もついに体調を崩し、互いに生きるため平成29年9月、市内の特養施設に入居。「私が邪魔になったから捨てたんでしょう」と言われてしまいました。
「認知症になっても心は生きている」のです。説得はできません。納得だけです。「元気になったら家に帰ろうね」と言い聞かせました。家内は夢の中で行ったのか、「家の近
くまで行ったけどわからなくなった」と…。薄れゆく現実と必死に闘っている姿には哀れ以上の悲しみだけが残ります。

介護のストレスの開放

在宅介護から開放されはしたものの…「今どうしているのかな」とふと思い出され、生き続ける限りは耐えて行かねばと思っています。
「つながれば希望が見えてくる」の思いで、平成22年から会に入りました。会からは介護することへの生きる勇気を、特に介護のストレスへの開放には多くの示唆を頂き感謝でい
っぱいです。自分と要介護者との区別がつかなくなり、誰のために生活、生きているのかわからなくなりました。孤軍奮闘し慢性の睡眠不足、そして生活のほとんどが介護のため
に休憩できない。食事、薬、日常生活全てその管理に責任を問われることになるのです。
誰にも会いたくないと自閉的になり、今直面している辛い部分だけがクローズアップされて、終わりのないストレスだけが続いたのです。

マイナスのものをプラスに

黙っていると辛いことだけがたまるので、忘れる方策として、平成10年から流木を使っての創作ふくろうづくりにのめり込みました。もう20年、その数大小5000体は超えたので
す。市内の至る所にその姿はあり、地元の小中学校からも依頼されるようになりました。それはニッコリ笑ったふくろうで、これこそ認知症と闘った私の証なのです。
ストレスの一つひとつ、マイナスのものをどうやってプラスにするか、何よりも自分に勝つ、紛らわすための打ち込める工夫を重ねて解決していきました。
私は画家です。絵画のもつ表現、発想の展開が大きな糸口となったのです。逆に認知症から、私の感性に係わる得難いすばらしいプレゼントを頂きました。
感謝する介護、後悔のない介護、楽しいと思える介護へとなったのです。
芸術はすばらしい!私は認知症に勝ったとは言いません。負けなかったのです。命ある限りは、まだまだ認知症とぽ〜れぽ〜れ「ゆっくり おだやかに」お付き合いをしていきたいと思っています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。