体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2018年6月号(455号)

ー お便り紹介 ー

介護で得たものと犠牲と…岐阜県・Cさん 女

家族の介護の経験で私の得たものは計り知れないほど大きく、人生の味わいを深くしてくれました。しかし、犠牲となった部分もかなりあることは確かです。米国アルツハイマー協会のレポートにあった、無報酬の介護者が費やす介護時間とその費用換算値には目がクギ付けになりました。
家族も施設にまるごと預けた場合の、国などが負担する公的費用とのバランスはどうなのか、all家庭介護の場合との平等性(介護離職による収入減も加えた)はどうなのか、もう少し詳しく知りたく思いました。個人的には、犠牲を絶対悪いとは思っていませんが。

いきついたのはホームホスピス兵庫県・Dさん 女

私は、自宅で介護していた母をこの2月に急性肺炎で亡くしました。最後まで在宅で介護したい思いもありながら、仕事との両立が難しくなりつつあり、施設探しもしていました。ですが、一般の施設の環境には納得がいかず、いきついたのがホームホスピスでした。これは民家を利用し、高齢者が自宅と同じ環境で死ぬまで普通に暮らしていくことを目指したものです。比較的新しく、まだ介護保険制度にのっておらず、施設などでの経験をお持ちの方が熱い思いで運営されています。制度に入っていないので、ケアマネさんもご存知ない方も少なくありません。残念ながら母は入居できませんでしたが、見学したホームホスピスはいずれも温かい「お家」でしたので、このような場所があることを多くの人に知っていただき、いずれは制度にのる(これが良いことかはわかりませんが)、あるいは社会的に認知されればと思っています。

眠れない日もありゆううつ東京都・Gさん 女

父は3年前に病死、70歳代の母は昨年末に脳血管性認知症と診断されましたが、まだ自分でいろいろできます。父母は自営業で、母も男勝りに働いていたので、急に忘れることが多くなり、性格もおとなしくなって戸惑っています。父の介護疲れかと思っていたのですが、それ以前から認知症になっていたのか定かではありません。私の家族と一緒に暮らしていますが、平日は私一人が母と一緒にいるのですが、私はうつ病が20歳代から治らずにいます。思うように目が届いていないのではないかと不安です。まだ施設には入っていませんが、私は入ってほしいです。母は「悪くなってから入る。お金がかかるし」と言っています。入居のきっかけがなくて悩んでいます。眠れない日もあり、ゆううつです。

ー 私の介護体験談 ー

地域の人々に支えられて〜認知症の妻と共に歩む〜長野県支部 70歳代

 

私の妻は認知症と診断されて6年が経過し、現在71歳で要介護2です。
50年近く前の有吉佐和子著『恍惚の人』は、初めて痴呆老人(当時はこう呼ばれていた)に焦点を当て大変話題になり、現実離れしているとしか思えず、驚きを禁じ得ませんでした。それが今、現実の姿として日々目の当たりにしているのですから、運命のいたずらかと戸惑い多い今日この頃です。
妻は週2回デイサービスに通い、在宅時はヘルストロン(電位治療器)に身を委ね、CDから流れる歌謡曲や童謡を聴いているのが常で、他にはウォーキングと買い物の日課。
2通りのウォーキング、1つは食前のぶらぶら歩きで、妻が1人で出掛け、家の周囲で10分以内には戻ってきます。2つ目はポールウォーキング、2人で1〜3キロ位の1周コースです。体調、所要時間をみてコースを選びます。このコースは人家が散在し車通りが少なく、アルプスの山々の眺めも良く、妻が前を歩き、交差点に来ると「あっち?」「こっち?」と振り向いて確かめます。
買い物に行くと、食品より顔見知りの人を探します。文化センターに長年勤めていて知り合いが多く、出会えた時にはハグしたり、手を取り合ったりして喜んでいます。

昨年の夏のこと

妻を家に残して出掛け、戻ってみると妻が不在。「どうしよう?!」と途方に暮れていると知人のHさんが車で送って来てくれました。Hさんが草取りをしていると、妻が「家に帰れなくなった」と声をかけたそうです。道順を教えて様子をみたところ、違う方向に向かったので、車で後を追い家まで送って下さいました。

つい最近、3月24日のこと

その日は所用で忙しかったので、気分転換に1人でぶらぶら歩きをするように送り出しました。10分程経っても戻ってきません。家の周りを探しても姿はなく、2人で行くコースを車で探し始めました。途中で、バッタリ『おれんじネットフレンズ』の会長さんに出会い、「奥さんが文化センター方面に歩いていて、車に乗るように勧めたが、“家に行く” と血相を変えていて、乗ってくれなかった」との事。ラッキーなことにこの時は、近所のMさんが運転中に妻に会い、1人で歩いているのを不審に思い、話しかけているところに会長さんが通りかかったそうです。会長さんはMさんに妻のことを依頼して我が家に向かってくださいました。結局、お2人の連係プレーのおかげで大事に至らずに済みました。家を出てから1時間半くらい。お2人の好意に感謝感激でした。「徘徊救済の実地訓練だったね」と会長さんは笑って話してくれました。妻の認知症を地域の方々が知って頂いていたこと、『おれんじネットフレンズ』のネットワークが整っていたことが幸いしました。
妻の不可解な行動に頭を痛める時も多々あります。先の見えない長い道のりを歩むことになりますが、今後もお力添えを頂きたいと思います。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。