体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2018年11月号(460号)

ー お便り紹介 ー

自分の心と言葉を別にする岐阜県・Bさん 女

15年前に夫は亡くなりました。上手に申せませんが、よき介護は最初が大切。病人が出る以前に、呆けないための勉強をしておくと、ひどくならなくて、困りごとが増えなくてすみます。わかりにくい病気ゆえ、つい変わったことを言われると、反対したくなるけど、絶対ダメ。プライドを傷つけないこと。「そうそう…」と聞き流し、あとは飲み物などで一緒に「美味しいね」で終わらせる。声も優しく、近くで言うこと。
介護者が変わること。その時だけで、一日中変ではないので、その一瞬、心と言葉に気を付ける。自分の心と言葉を別にする。難しいけれど…実行。

介護と仕事の両立は困難新潟県・Cさん 女

去年から変わらず、要介護3の父と要介護4の母を在宅で一人で介護しています。デイサービス、ショートステイ、ヘルパーなど利用していますが、費用負担が大きく、兄から少し金銭面で助けてもらっていますが、兄にも家庭があるため、請求しにくいです。「ぽ〜れぽ〜れ4月号」にも載ってましたが、「介護離職の現実」の気持ち、わかります。私も両親の介護費用を捻出するのに、働きに行こうかと思いますが、介護と両立できる仕事がなかなかないのが現実だと思います。
特養に申し込んでいますが、順番が回ってこないし…。両親のどっちかが急に体調を崩すと、一人で留守番になるので、ハラハラドキドキしながら生活しています。父の尿失禁がひどく、後始末をしてから仕事に行くのも難しいのです。両親とも誤嚥性肺炎のリスクもあるため、調理にも時間がかかるし、介護するために私は生まれてきたのかと思うと、憂うつというか、何の楽しみもなく生活しています。国は、待機児童ばかり目を向けていないで、介護で仕事をしたくてもできない人がいる現実を知ってほしいです。親の死後、仕事を探す時に、ブランクが長すぎて不採用になる不安もあります。すぐ仕事が見つかる環境作りなど考えてほしいです。

眉間にしわを寄せている母宮城県・Eさん 男

要介護3、80歳代の母は、2018年5月より実家近くの特養に入居しましたが、昔の辛かったことをワンワン泣きながら、「悔しかったぁー」と大きな声で何度も同じように言います。母の顔は眉間にしわを寄せて、穏やかな顔をしていないのが、とても気になります。かわいそうで、帰る時、とても辛くなります。母のためにはどうしたら良いのかと考えてばかりです。

施設に入る時期かな…東京都・Hさん 女

80歳代の実母は2年前くらいに、冷蔵庫に茶碗を入れていて、あれっ?と思ったのが最初です。でも、昨年10月ころまではまったく通常に生活できていて、認知症と医師に言われていましたが、大げさなことと思っていました。平成29年4月に、医者から処方された認知症の進行を遅くするというパッチを貼ったのですが、めまい、嘔吐、過呼吸が出て、救急搬送。その後、半分にしたものの同じ症状が出て、二度目の救急搬送。医者に「認知症の治療はしません、自然のままにします」と告げました。
しかし、今年に入り急激に進行し、今は鏡の認識もできず、話をしていても代名詞(あれ、それ、あそこ等)ばかりで、会話は成り立ちません。ここ1カ月では、シャツをはく、パンツ一枚で平気でいるなどが顕著になりました。そんな母を見て、夫は文句を投げかけます。そんな夫を見ることが、今は一番気が滅入ることです。
母の状態は仕方がないと思っています。なので、夫のそんな姿を見たくないこと、昼間母が一人でポツンと外を眺めている姿や鏡に映った自分に笑いながら話しかけている姿を見ていると…施設に入れようかと考えています。

ー 私の介護体験談 ー

102歳母の骨折は親子が仲よくするため?富山県支部 70歳代

要介護5母の入院

人差し指と親指で○(まる)を作り、「あんたに預けたお金がなくなとらに(預けたお金がなくなったら)どうしようのん…いらんババやがに、死にゃいいがに…」と死を口にする。負けずに「私のお金も使っとるよ」と私。
母は「今になったら田んぼもこのババもいらんのに、邪魔なもんばっかりあんたのそばにあるの…」、私は「あんたらはお父さんに田んぼ、財産くれてやったと…覚えておるけ。お父さんは働き者だったから、年金と安くても米の収入とで私はお金には困っておらんだわ。感謝の言葉もなく、ただただ不満ばかり文句ばっかり」と痛い所を突くと、聞こえないふりをしている。入院病棟の看護師は笑い、私は輸血をしたら血のめぐりが良くなったのだろうと驚いた。耳もいつもより良く聞こえるように思えた所に、食事が運ばれてきた。オクラを口にもっていくと二切程しか食べない。汁物は舐める程度。欲な人なので「これ、みんなお金かかとるがいぜ、食べらんだら体、元気にならんよ!」と言えば、「あんた食べられ」と言う。
同じ部屋のおばあさんが「器量のいいばあさんやね」と。私は「本当はブスだけど、笑っとったら可愛いね」と母の方を見ると「これ、私の娘、親子やっちゃ。この人に世話やいてもらっとるがいぜ。本当の親子」と自慢している。自慢される娘ではないのに、今日の母は上機嫌。

先が短い、心だけが走る

この度の母の骨折は、親子、姉妹が仲良くするための天の働き?神・佛の計らいかもしれない。皆、後期高齢者になっている。先が短い。この世の事はこの世で解決するように努力しよう。仲良くする事。辿り着くまでにはまだまだ程遠い。自分に素直に!帰り道、何の涙かわからぬが、とめどなく頬を伝う。今は亡き夫が入院していた事が思い出され、母の入院とダブル。思い切り声をあげて泣きたかった。がんばれ!がんばれ!と心の中で自分に言い聞かせた。
手術後2日目、母の病室。母は車椅子に座っている。表情がない。昨日とは大違い。「ばあちゃん、私わかる?」。とろっとした顔、「わかる」と小さくつぶやく。あぁこれじゃ駄目だ、と思ったがそのうちに眠いのか目を閉じた。
手術後3日目、目をつむって点滴。20歳下の母の妹(叔母)を連れていく。この日もいい顔は見れなかった。残念!
手術後、私もかなり疲れてきた。1週間に1回のヨガ教室。参加すると背丈が伸びたような気がする。明日はまた母の病院に行って来ようか…外では畑の手入れもしたいし、草も伸びてきた。焦っても駄目なのに、心だけが走る。体がついていけない。77歳だものなぁ。6月も今日を入れてあと2日。早いなぁ…。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。