体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2019年9月号(470号)

ー お便り紹介 ー

生涯妻を大切にしたい大分県・Aさん 男

私の妻は、2009年ごろから少しずつ物忘れをするようになりましたが、当時は日々のことは普通にしていました。5年ぐらいたったころから物忘れと、お金の勘定を何回数え直しても合わないと言って腹を立てるようになりました。2年ぐらい前からは、数秒ごとに荒れたり、腹を立てたり、泣いたり、物を投げたりの連続です。現在は、朝から一日中荒れ気味です。施設にと思って手続きをしましたが、妻の顔をのぞいた時に、私の方が妻を外に出しきらないでいるのだと思いました。
2〜3日前からデイサービスを利用しています。週3日の予定が組まれ、今はニコニコして行っていますが、いずれは施設に入るようにしようとは思っています。毎日毎日おだてながら「ウソ」の世界です。良い時は昔のことを一生懸命私に話してくれます。そんな時は話し終わるまで、30分でも1時間でも問いかけながら聞いています。
妻は、私の大事な母の看病を8年間もしてくれましたので、私は生涯、妻を大切にしたいです。母にしてくれたことを思えば、妻にしていることは当たり前のことと思っています。最期は、2人一緒に黄泉へいきたいと願っています。

ヤングケアラーの吐き出すところ大阪府・Cさん 女

去年、入会しました。毎月会報が届いて、いろいろ情報をもらえるのは助かりますが、タイムリーな情報を得るには会報では限界を感じます。
web会員にもなりましたが、みんなの掲示板なのに、ほとんど発言がなくて、とてもさみしいものです。やり方がわかりにくいのか、そもそも発言しにくいのか、原因不明ですが、せっかくのITで日本全国の人と気軽に話せるのに。もっとwebやITを駆使して、みんなが情報を得やすく、オフ会などもどんどんしていけるように土壌作りしてほしいです。ヤングケアラーたちは、吐き出すところがないです。

もっと早く気付いていれば…三重県・Eさん 女

70歳代の母は、父と二人暮らしをしていましたが、昨年末の父の1ヵ月半の入院時に、「一人は嫌だ、寂しい」と強く言っていました。それまでにも、すり足で歩く、約束の日時を忘れてしまう、失禁などがありましたが、老化や性格だと思っていました。今思えば、父が入院した寂しさで一気に進んでしまったのかと…。
認知症と診断されるまで、たくさんの信号を出していたのに、もっともっと早く気付いていればと、今は悔やんでいます。父や私の言うことは疑ってかかり、病院に連れて行くのも一苦労の母ですが、何とか人の手を借りてグループホームに入居できました。入居して1ヵ月も経たないころ、脳梗塞の疑いで救急搬送されましたが、てんかんの疑いで投薬が始まり、退院したのもつかの間、また意識混濁で入院することになってしまいました。母の状態はますます進んでいくようです。何ができるのかを模索中です。

誤嚥性肺炎で苦しませたくない神奈川県・Gさん 男

90歳代の父は、3年半前に特養に入居。随分老化が進行し、「言語不明瞭」でゼリー食も自ら食せず、誤嚥もここ数ヵ月で3回程度あり。今後、誤嚥性肺炎などで苦しませたくないとの思いで、施設側に「自ら食せなければ、食の提供を控える」よう申し入れたが、「自分で食べられなくても、食べさせることが施設の責務」「摂食、嚥下ができる方に食事を提供しないことは、介護を放棄すること」と言われ、家族の提案を受け入れてもらえない。私たちは父の延命を望みません。私たちの依頼が、介護の世界では理解いただけないものなのか、意見を聞きたい。

ー 私の介護体験談 ー

介護雑感福島県支部 50歳代

受診までのこと

母は、平成20年秋ごろから認知症の症状が現れた。この時、母74歳 私47歳(長女)。初期のころは、症状も軽く、自立できている部分もあり、会話も成り立っていた。
母は、私の妹(二女)と同居、私の家からは車で片道10分の距離。週1〜2回程度、様子を確認、晩ご飯のおかずを届けていた。母は、「誰にでもある年寄りの物忘れ」として受診することを拒否し続けていた。
平成25年8月、ご近所さんからの「あんた変だよ」の言葉に不安になった母は、やっと「病院に行く」と言った。診断は「アルツハイマー型認知症」。母には何のことだか理解できなかったと思う。私は、ほっとした反面、覚悟もできていたが、その覚悟はあまく、軽く考えていたのだと思う。

介護離職して辛い日々

平成26年7月、徐々に症状は進み、尻もちをつき打撲、身体が思うようには動かないことがストレスで帯状疱疹になった。これ以降、10ヵ月入浴しないで過ごした。
同年11月、近くにデイサービス開所。契約したが、通所を拒否。この時に私は介護離職をした。この冬の期間が私にはとても長く辛かった。寒い部屋に一人ポツンと座る姿に涙がこぼれた。テーブルの上に用意してきた食事を並べていると、「何しに来た。帰れ。そんなの頼んでない」。多い時で一日4回も通っていたが、顔も目も合わさず、様子だけ確認して帰る日々が続いた。通院した際に状況を伝え、薬を調整、処方していただいた。少しずつ表情がやわらかく穏やかに、笑顔も戻りつつあった。
平成27年5月、「風呂に入って髪を洗いたい」と言い、デイサービスに通所できるようになった。私は気持ちが少し楽になった。通所により症状に少し回復が見られた。娘と認識できなかったのに、「私に娘がいて良かった。ありがとう。感謝しているよ」と言われた時は本当に嬉しく、またデイサービスの職員さんの対応に感謝した。

「つどい」への参加

次第に認知症が進行し、私は一人落ち込んでいった。「認知症の人と家族の会」の存在は知っていたが、世話人さんからの勧めがあっても、なかなかその一歩が踏み出せなかった。
平成28年11月、母を連れて初参加。「共感」できる場と感じ、「つどい」に参加するようになり、私にとっての救いの場になった。

「ちゃんと面倒みるからね、お母ちゃん」

現在は、母と私の家族、妹の合わせて6人で暮らしている。私の息子たちにも母や私の姿を見せておきたいと考えている。
母の頭の中の引き出しは固くなり、昔のことは、ほとんど会話に出てこなくなった。排泄の失敗も多い。ついつい私の強い口調に、「うるさい」と返してくる。「まあ、言い返せるぐらいなら、まだまだ大丈夫か」と思っている。毎日悶々としている私だけど、「ちゃんと面倒みるからね、お母ちゃん」。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。