体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2020年2月号(475号)

ー お便り紹介 ー

安心して入院できる体制山口県・Aさん 女

認知症を発症しても、天命を最期までまっとうできるような世の中になればいいなと思います。
母は87歳です。10年ぐらい前から認知症を発症し、グループホームで9年間、楽しく過ごしていましたが、一昨年より胸水、右大腿骨複雑骨折、肺炎で入退院を繰り返しています。入院中は、点滴を抜くからと40日間手袋をはめられ、拘束されていました。私が行って見守りをしている時だけ、はずされていました。痛々しくて、涙がでました。状況をきちんと把握できず、恐怖を感じていたでしょう。認知症になっても、安心して入院できる体制ができると嬉しいです。

老いるということ熊本県・Eさん 男

母は現在、グループホームにお世話になっています。何事もなく過ごしていた母が認知症になり、衰えいく姿を見ながら、葛藤の末、受け入れるまでに1年ほどかかりました。これまで認知症は、どこか他人事のように思っていましたが、いざ身内に起き、決して他人事ではないのだと感じました。確かに、認知症を患うことは、できれば避けて通りたいと誰もが願うことでしょう。しかし、母を見ていると、老いとは何かを自分の身をもって、子どもである私に教えてくれているのだと、思うようになりました。そして、それは同じ立場で悩んでいる方々への支援の道標にもなりました。

患者さんと母が重なる宮城県・Hさん 女

病院で看護師をしています。年々患者さんの高齢化は著しく、80〜90歳の方が多くなっています。病院は自宅や施設と違い、治療があります。環境が変化し、混乱して大声を出したり、場所や時間がわからなくなる方も少なくありません。安全が優先され、転倒転落防止のため感知センサーを使用したり、ミトンをつけたりなどの対策がとられています。
私の母は81歳。認知症になり、要介護4。施設に入居し、6年目となりました。最近、症状が進行し、独語が多くなり、誰もいないのに笑ったり、話したりしています。
入院患者さんと母が重なり、本人や家族も辛くて大変だろうなと思っています。安心できる環境にできるよう、無駄に長い入院期間にならないように、認知症の人の家族として、医療者として考えさせられる毎日です。思いやり、敬う心は大切ですね。

今後は施設でなく自宅で!?岡山県・Iさん 女

祖父母の時代に介護保険制度があれば、もっと手厚い介護が受けられたと思います。いい世の中になったと思うとともに、金銭負担は大きく、利用できない人たち、しない人たちが多くいらっしゃるのは、問題だと思います。
会報を読ませていただいて、認知症の研究が進んでいるのがわかり、私も含め、一刻も早い成果を望んでいます。
私どもが介護者であった時は、施設で看取っていただけましたが、それでもいろいろとありました。認知症、病気、けが…、ご本人、ご家族の負担が少なく過ごせればと思います。今後は、自宅で暮らすようになっていくのでしょうか。

ー 私の介護体験談 ー

介護は、あかるく、たのしく、おもしろく 〜ユーモアと笑いによる介護〜東京都支部 80歳代

はじまりは母の脳梗塞「おもしろ介護」にたどりつくまで

はじめに母が脳梗塞のため、救急車で入院した。そのときは父が元気だったので、父が介護していた。私は接遇指導者研修の講師として、北海道から沖縄まで出張が多くて、ほとんど病院へ行っていない。
母が手術を終えて帰宅した。そのころは、私と妻は2階、父と母は1階で生活していた。しかし、階下で「ガタン」と音がすると、「また母が倒れたのではないか」と絶えず気になり、私は「自律神経失調症」で1年間、病院通いをした。

父の介護

母を看取ったあと、父がパーキンソン病になった。「道を歩いて倒れていたので、今、病院へ運んだ」という救急隊員からの電話で、タクシーで病院へ駆けつけた。母と父で救急車に8回お世話になった。父は認知症にもなっていたようだ。
自宅へ戻った父は、寝たきりになった。両足が全く動かないので、妻と2人で父をイスに座らせ、食事をさせた。私が仕事で出かけている昼間は、妻が食事を作って食べさせてくれた。父は自分で立つことができないので、立とうとして、ベッドの下でまるで亀のようにあおむけに倒れて、手足をバタバタしていることがあった。
私は母のときの経験から、何事も「笑いとばす」ことにした。帰宅すると、「亀さん、どうしてた?」と妻に尋ねた。父は食事のとき、テレビを見ていたが、悲しい場面を見ると、ボロボロ涙を流す。妻は「私が何か悪いことを言ったのかしら」と気にして、体調をくずし、父に食事をさせることができなくなった。
料理だけは作ってくれたので、私が食べさせた。寝たきりになった父を食事のとき2時間イスに座らせ、週1回リハビリをしたので、父の部屋から、私のいるリビングへ歩いてくるまでに回復した。しかし、半年後に心不全で亡くなった。

認知症の妻と共に生きる

今度は妻が、認知症で病院通いをすることになった。私は介護の本を買い集めて、読みまくった。ノーマン・カズンズ『笑いと治癒力』(岩波書店)がヒントになった。難病を克服するために、笑いのビデオを見て、治した後に「病気の治療に笑いが効果がある」と提唱した人である。そこで私は、介護をおもしろくできないか、毎日工夫した。
カーリング女子の「そだネ」がはやったころ、妻に「そだネ」と言うと、必ず「アハハ」と声を出して笑った。そこで「『そだネ』でおもしろ介護に取り組む」という文章を東京新聞に投稿したら、取材に来て、私と妻の様子が東京新聞に掲載された。しかし、現在の妻は「そだネ」と言っても笑わない。
新しい笑いのツボを探しているところである。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。