体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2020年9月号(482号)

ー お便り紹介 ー

ストレスがたまります東京都・Bさん 男

母親の様子がおかしいと気づいてからも、ずっと私がひとりで世話をしてきました。ここ2年くらい急に様子がおかしくなって、今年5月に前頭側頭型認知症と診断され、介護認定を申請、要介護1の認定を受けました。徘徊とか暴言はありませんが、やはり母親とはいえ、認知症の人と同居しているのはストレスがたまります。

お風呂嫌いの対処法は?兵庫県・Cさん 女

80歳代の義母はうつ症状が強く、声をかけないと1日中寝ており、デイサービスを含め、散歩に連れ出したりすることに神経を使います。
衛生概念がなく、お風呂を嫌がります。また、同じタオルを何日も持ち歩くので、隙をみて洗濯するようにしています。お風呂は週1回入る頻度です。その割に、頭や身体が痒いと訴えてくるので、骨がおれます。お風呂嫌い対処法、教えて頂きたいです。

大事にしなければ愛知県・Dさん 男

71歳の妻は3年前に「意味性認知症」と診断された。毎日畑へ出かけて野菜作りに精を出していたのが、昨年から栽培の仕方を忘れ、雑草取りしかできなくなってしまったため、私が仕事を辞め、かわりにやったことのない野菜作りの農作業に汗を流しながら挑戦しています。
今は新型コロナ蔓延の中で、ふたりで買い物→畑仕事に通うのが日課です。30年来、妻がひとりで畑をやってきて、新鮮な野菜を食卓に提供してくれましたが、自分が体験してみて初めて黙々と頑張ってきた妻の大変さを痛感し、感謝の気持ちと「大事にしなければ」との思いを一層抱くようになりました。

最後の貴重な時間福井県・Fさん 女

80歳代の夫はレビー小体型認知症で睡眠障害が、介護を苦しい時間に追い込んでいました。介護保険施設は暴力がなくても、受け入れてくれず、精神科に入院となりました。毎日の面会で、状態に波があることなどを伝えてきました。病院側に本人の状態をもっと理解して対応して欲しかった。半年間で要介護1が5になりました。入院して3ヵ月後の特養入居時の姿に、家族は自宅介護の厳しさと夫の人生の最期をどのように支えてあげられるかを考えさせられた。コロナで面会ができなくなり、再び眠れない夜が続いています。
アルツハイマーだけが認知症でしょうか?薬物以外で穏やかに過ごせる環境は作れないほど人的資源は不足しているのですか?在宅で介護している時は施設職員だった経験を活かし、きちんと介護をしてきたのに、残念です。早くコロナが終息して、施設に入居した夫と日光浴をしたり、昼食を食べたり、最期の貴重な時を充実して過ごしたいです。

ー 私の介護体験談 ー

私と女房の絆の介護福岡県支部 80歳代

認知症の始まり

2006年の秋のことでした。大津で小さな食堂を一人で営んでいた女房が料理の材料を買ってきても戸惑いと不安の中、料理をつくることが出来なくなりました。診察の結果、アルツハイマー型認知症と言われました。女房の認知症の始まりでした。デイサービスに通いましたが、2年後「徘徊」が始まり私一人では看ることが出来なくなり、2009年の10月に同じ市内に住む娘の世話になりました。そこは琵琶湖大橋がある湖西の小さな街でした。

大津での日々

大津で入所した施設が素晴らしく、月に1回の家族会があり、夏祭りや秋の運動会には家族が参加する楽しい催しもありました。「家族の会」の皆さんと会う機会も多くあり職員の方々にもアドバイスを受け「認知症の介護は先の見えない遠い嶮しい道だから」と教えられました。
寒中での「徘徊」の見守りや付き添いで私が肺炎になり入院しましたがその間女房は、ショートステイを利用しました。認知症が進み、「徘徊」をすることは無くなりましたが、妄想が始まり、不潔な行為もするようになり大変な時期でもありました。

娘と私の突然の出来事

施設は良いし私も地区の老人会に入り、心にゆとりが生まれ笑顔が戻りました。大津を永住の地と定めていましたが、2015年5月に娘は不慮の事故で若くして亡くなりました。その後、博多に住む娘が自宅近くにマンションの部屋を借り、転居の手続き等をしてくれ2015年の9月に転居しました。ところが2017年の5月に私が硬膜下血腫で倒れて手術をしました。医師からは生死は五分五分だと言われたそうです。私に生命力があったのか奇跡的に何の後遺症もなく、女房の介護が出来るまでに体力が戻って退院をしました。しかし、無理は出来ないと思いました。

夫婦仲良くこれからも

これは私が介護を始めて14年間で初めての失敗談ですが、女房をトイレに連れて行く時間を忘れてしまい、気が付いて行って見ると尿が漏れて大変な状況になっていました。意思表示が出来ない女房を見てあまりにも可哀そうで涙が出ました。風呂で洗ってやり服を着替えると「ありがとう」と笑顔で応えてくれました。
博多に来て認知症の人と家族の会が全国にあることを知り、これからも参加していきたいと思います。
女房は、娘の顔や孫達のことが分からないようになっていますが、笑顔で支え愛情で寄り添い見守り、愛する女房のために手助けをしながら夫婦仲良くこれからも生きていきたいと思っています。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。