体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2021年8月号(493号)

ー お便り紹介 ー

仲間がいるよ!千葉県・Dさん 女

2017年に70代前半だった実母の認知症が始まり、昨年12月に実父80代の認知症も始まりました。大変なこと、苦しいことは半年もすれば形を変えていきますが、同居しているため、気が休まることがありません。認知症といえども、父と母では症状も違うので、私自身の気持ちをコントロールすることが難しいのです。自宅で看ることができなくなれば…と思う日もあります。
最近では、40代の方からのお便りも多くなり「私だけではないのだ…」と少し元気をもらえるようになりました。まだまだ先が長いであろう介護に同士の皆さん、ひとりじゃない!仲間がいるよ!

入浴拒否が強い母東京都・Eさん 女

現在93歳の母は、要介護1で認知症と診断されてから9年。実家での在宅ケアが2年、グループホームに入居して7年になります。入所当時から介護拒否が強く、職員さんによる入浴介助ができませんでした。そのため、私が母の施設に通って入浴介助をしています。この生活が7年たった今も続いており、あと何年も続きそうです。
娘による入浴介助はいつまで続くのか、母はなぜこんなにも入浴拒否が強いのかと、悩む日々です。

入浴加算Ⅱの算定富山県・Fさん 女

令和3年6月にデイサービスの方から、7月から入浴介助加算Ⅱを算定しますという案内がきました。今までは入浴加算Ⅰ・40単位だったのが、7月1日からⅡ・55単位になります。コロナでデイサービスもいつ休みになるかわからないため、家で風呂に入れるよう教育していくのだそうです。
私の母は、要介護3で身体障害者(車椅子)です。自宅の風呂は今も、これからも無理です。このことをデイサービスの管理者に言いましたが…。国(厚生労働省)が決めたことだと。ケアマネジャーも7月のサービス計画書にはもう入浴加算Ⅱで記入されています、何の案内もなく。高額介護サービス費の給付があるからいいのではないかという考えからでしょうか。これからも、わけのわからない加算がいっぱい出てくるのでしょうか。本当に介護保険はややこしくて、わかりません。

ー 私の介護体験談 ー

母に振り回された日々群馬県支部 70歳代

私はバカになったと言う母

私は、自宅で認知症の母を一人で10年近く介護し、その後施設(特養)に入所させました。母の施設での生活も4年以上になります。
母は、80歳を過ぎた頃から、物忘れや繰り返し同じことを聞くなどの認知症の症状が出てきました。本人も気にして「私はバカになった。自分の父親(やはりボケて母と祖母で介護、60年以上前で大変な介護だったと思います)と同じになるのか、ヤダヤダ!」と繰り返し言ってました。私はとにかく否定はしないで、「大丈夫、大丈夫、誰でも年を取ると忘れるんだから」と言い続けましたが、本人は父親のトラウマで不安が大きかったようです。

大丈夫、とは言うものの

私も「大丈夫」と声かけはしていたものの、四六時中母の不安な状態に付き合うのは、自宅で仕事をしていたこともあって、ほとほと疲れてストレスが溜まっていきました。それに、早い段階から私のことを娘ではなく、姉さん(一番大好きだった6歳上の姉、63歳で亡くなる)になってしまい、ベタベタと甘えてくるのもうんざりしていました。当時の日記を見るとこんな風に書いています。

あとで悔やむのに!

『また怒ってしまった 怒っても文句を言っても何も分からなくなってしまったと分かっていても イライラして己れのいらだちをどこにも持って行きようのない腹立たしさを何もわからなくなってしまった人間にぶつけてしまう あとで悔やむのに あとで己れ自身に「バカ」とつぶやくのに』

振り回されても母は母

母はよく「私は8人兄弟の末っ子で、ネコのしっぽ、甘やかされて育ちわがままです」と言っていました。確かにとてもわがままな人で「私のわがままはそういうわけで仕方がない」と正当化しているようでした。性格的には社交的で、その場を明るく楽しくする人でもあり、私も子ども心に「母と子でなく友達関係なら好きかな」と思ったりもしていました。
いろいろな事情があって、弟の事故死の後、母と二人の生活になりましたが、母が突然「アパートを建てよう」と言い出し、私は3千万円の借金をして建て、20年をかけて返済しました。その母が認知症になり、家に戻り同居するようになってからの30年間、母に振り回された日々でしたが今は懐かしく思い出されます。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。