体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2022年1月号(498号)

ー お便り紹介 ー

診断がまだですが…奈良県・Eさん 女

実家の母は他県在住で私とは別居です。独居のため、どのように公的支援などのサポートを入れていけばよいのか、悩み中です。診断はおりていませんが、認知症の初期症状と思われる状態が続いています。3週間ほど前、夫(私の父)が亡くなり、さらに症状が強く出ています。本人は「自分は物忘れなどしていない」と言い張ります。だからこその物忘れだと理解しますが、本人が希望している現在の受診先は実家や私の自宅からも遠く、受診に不便を感じています。
母の住む地元の病院での受診は大変混み合っていて、早くても3カ月先位まで予約が取れないと言われました。11月に認知症専門の医師の初診を受けましたが、問診が多く、まだ「認知症の疑いあり」という診断しかおりていません。母が通っていた大学病院の内科の院内紹介という形で、老年・高血圧内科への受診にこぎつけました。ご多分にもれず、本人は受診については納得しておりません。

もっと何かできたのでは…高知県・Fさん 女

2年前に若年性認知症の母を亡くした元介護家族です。母の症状が進行してきた頃、ほぼ同時期に父も難病で両目が見えなくなりました。父の通院や手術と、1歳の子どもを抱えての母の介護は無理で、母を施設にお願いしました。
父を亡くしてからも子どもが産まれたりして、結局母は自宅に帰ることができませんでした。私の嫁ぎ先の県に連れては来ましたが、介護病棟での生活でした。母のことが理解できぬままお別れしてしまい、今の私に何かできることはないかを考えて、勉強を始めて介護施設で働こうと転職することにしました。
もっと母に何かできたのでは…と後悔がたくさん残っていますが、これからたくさんの方に教わって、自分ができることを精一杯していきたいです。

妻が帰ってきました宮崎県・Gさん 男

妻は10カ月間コロナ避難で入所していました。面会もできずLINEで施設生活の様子を見るのみでした。
やっと帰ってきました。自宅のリビングでテレビの歌謡番組を観ながら唄をロずさみ、のんびり過ごしています。一緒に唄うと笑ったりして、やっぱり自宅は楽しいですよ。体幹が弱り、トイレ介助が難しくなり、オムツになりました。身体の転がし方に慣れないので苦労しています。
すべて在宅が願いだけど、半分にしています。週末に迎えに行って帰宅。週初めに施設に送るということを10月はしました。すべて在宅・通所利用にしたいけど、私の身体が耐えられるかが心配です。施設側は、妻の健康管理のためにもベッドを空けずに、週の半分は入所の形を主張されます。仕方ないのでしょうか?手引き歩行が難しくなり、常時車椅子も流れとしては当たり前なのでしょうか?
これからは、嚥下障害が心配です。食事の介助をしながら、いつか来るであろうことに思いを巡らしながら、おいしく食べてくれる妻に「頑張って」と言っています。パーキンソン症候群による衰えは足だけでなく、すべての筋力に関係するのかなと心配です。訪問のドクター・訪問看護師・訪問のマッサージ師の力を借り、できるだけのことはしていますが、衰えはゆっくりと来ています。
夫婦で自宅での楽しい時間を過ごしたい。10カ月の空白を週末に取り戻しております。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。