体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2022年5月号(502号)

ー お便り紹介 ー

介護はきれい事ではない兵庫県・Cさん 女

母(80歳代)はアルツハイマー型認知症の終末期の状態です。昨年11月より療養型終末期病院に入院して経鼻経管栄養を受けております。母は、父に100%尽くしてお世話を続けてきましたが、3年位前に父が特養に入居すると、魂が抜けていくようにいろんなことができなくなっていきました。認知症外来で検査をすると、脳の萎縮がかなり進んでおり3分の1しか残っていない10〜15年の経過があったはずだが、気づかなかっただけだと言われました。
昨年6月に父が他界しましたが、そのことをわからずにいる様子は、私にとっては救いであり、悲しみを和らげてくれました。
両親は私を理想的に育てることを生きがいにしていたので、幼い頃から結婚するまで自由というものがほとんどありませんでした。両親に縛られ続け、今に至っても母に縛られ続けています。表向きに「親孝行な娘」を演じても気持ちがついていけず苦しいばかり。専門職でありながら、仕事に専念できないまま年齢ばかり上がってしまうもどかしさでいっぱいです。
母が亡くならなければ、自分の人生は前に進まない、そう思う自分がいます。介護は決してきれい事で片付けられる話しではないことが現実なのだと思います。今の経験を活かしながら介護家族を支える存在になりたい、同時に支えてもらえる場に身を置きたいと思います。

元気で暮らしてほしい和歌山県・Eさん 女

6年前にアルツハイマー型認知症と診断された80歳代の母は要介護2となり、父と二人の生活をしております。父も80歳台、脳梗塞の後遺症があり、以前は要支援1でした。今は少し不自由ながらも、自立した生活を送り、母の世話やサポートもしてくれています。元気に一緒に暮らし続けられるようにと願っています。

今思うこと福井県・Fさん 女

夫の様子がおかしくなり、診断の結果アルツハイマー型認知症と診断されました。その当時は病気について何の知識もなく、夫に対して怒ったり、お互いに怒りをぶつけ合っていました。
これからだんだんと夫が自分のことができなくなり、介護がますます必要になってきます。でも、これではいけないと教えてもらったり、本を読んで理解してきました。わかったつもりでも、日常生活の中では、怒ったりしてしまいます。
今、大切に思うことは、夫が平穏な心で穏やかに人生を終わってほしいということです。先のことはわかりませんが、私が先になってしまうかもしれません。隣に息子家族がいるので安心ですが、これからも「つどい」で情報や周囲の人たちからの話しを聞いて、私なりの介護をしていきたいと思っています。

サラバ介護ストレス秋田県・Gさん 男

介護とは支援することですが、ともすれば、あれもこれもとどんどんため込んで、ストレスを増長させていくようです。
そこで、ストレスから逃れる大事なこととして、「できなくなったこと」を理解し、それを認めて割り切る判断です。そしてそのことは、専門職に委ねることで、とても気楽になれます。一方「できること」を支援することで、すごく喜んでもらえるし、そのやりがいがより介護への意欲を強くし、不思議とストレスが消えていきます。
ひとりで苦しまないで、自分にできることで頑張りましょう。

ー 私の介護体験談 ー

認知症?! 全然大丈夫、全部OK、ケセラセラ♪福岡県支部 50歳代

学びの日々

いかに穏やかで前向きに生活をするか、これが日々のテーマで、行き着いた答の中の二つが「期待しない」と「自分本位」。
母の認知症が発症以来、悪化しないように、あわよくば良くなってほしい、だからこそ母のために出来ることは何でもやってみようと、介護に取り組んでいました。しかし、これがまた自分を苦しめる原因でした。
以前こんなことがありました。入浴が難しいから足湯でも、と風呂場を温めお湯を準備し、さあ足湯となった時、足をお湯に浸けようとしない。「気持ちいいよ」等穏やかに声掛けしても、足を突っ張ったまま。膝を曲げお湯に足を浸けようとする私、抵抗する母の攻防に次第にイライラが浮上。「わざわざ準備したのに、何!その態度!!」。母思いの天使さんが一転、形相激しい鬼へと変貌…。
そんな折、阿川佐和子さんの介護経験の話をテレビで観ました。認知症のお母さんを残し、本当はゴルフ(遊び)に行くのに、「仕事だから」と言うと「気をつけてね」みたいなやり取りがありました。すごく後ろめたかったけど、その分、母に優しくできたという内容で、噛めば噛むほど奥深さを感じました。

気持ちが楽になる介護

私のことは置いといて(犠牲にして)、母にとって良いかな、喜ぶかなと期待(それを意識していなくても)をもって介護している時、上手くいけば大満足ですが、裏切られるとカチン、イラッ、怒りが爆発。「せっかくお母さんのためにしているのに、なんでこんな思いをしなくてはいけないの!」。その都度自問自答です(笑)。そして辿り着いた答えが、「期待しない」と「自分本位」でした。自分が満たされることが最優先事項。そこから溢れ出たものが本当の優しさで、自己犠牲からは真の優しさは出てこない。だから心に余裕があり「自分がしたい」から足湯をしようかな…それがゴール。もうこれから先は関係ありません。母が喜んでくれたら、それはそれで嬉しいけど、結果が逆でも自分がしたかった足湯ができたから「まっいいか」で終わり。要らぬ期待をしないことと、自分を優しく満たしてあげることに集中した上で取り組む介護は、気持ちが軽くなり無駄に心を乱すことが激減したのでした。

※2021年10月号から支部会報に連載中で、今回は連載(6)を紹介しました。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。