体験談〜本人の声、家族の声〜

認知症の人と家族の会 
会報誌「ぽ〜れぽ〜れ」

2023年3月号(512号)

ー お便り紹介 ー

「カフェ」での出会い山口県・Bさん 男

初めて若年性認知症の人のための「カフェ」に参加しました。同級生で世話人さんの、母や私へのこれまでの心遣いに多少なりとも応えなければ…という半ば義務的かつ社交辞令的な思いからでした。多分、穏やかで落ち着いた雰囲気の(つまり、しんみりした暗い)会合なんだろうな…と、思いきや!
「カフェ」の空間は、老若男女様々な人で溢れ、実に明るく活気溢れる場所でした。(何だ、これは!?)と、戸惑っているうちに、次々に参加されている方々を紹介され、新たな出会いの場となりました。私の絵画作品を知っている作業療法士、社会福祉士を目指されている女子大学生、現役のベテラン社会福祉士、若手の保健師、夫が若年性認知症で牧師をしているという奥様の話等々…楽しくも充実したひと時を過ごしました。
帰り道、もう6年以上前になるのか?あの明敏な母がアルツハイマー型認知症だと知らされ、それを末期ガンの告知のように感じていた衝撃と憔悴の日々を思い出しました。
いまだ先の見えない介護の日々ですが、「家族の会」の理念にある『人として尊厳が守られ、ともに励ましあい助け合って、人として実りのある人生を送る』のとおり、私もまた何とかかんとか前向きに、母ともども、このかけがえのない人生を歩んでいこうと思っています。

この状態が少しでも長く続きますように青森県・Cさん 女

昨年、家族として思うことを「SAN・SUNさんのヘオレンジカフェ」で話してみました。20人ほどでしたが、頷いていた方が、たくさんいて思い当たるんだな〜と実感した瞬間でもありました。
自宅での介護は介護者の健康が一番です。デイサービス以外は、24時間の対応であり、特に夜間の排尿介助には体力、忍耐力が最大限です。個人により違うと思いますが、夫は尿取りパンツに排尿があると、声を出して教えてくれ、衣類の汚染が少なくなった反面、私が4〜5回ほど起きることになり、眠くてクラッとする時があります。
週4回のデイサービスなので、私の休む時間(解放時間が一番です)もどうにかとれているので、今のところは介護できています。
この状態が少しでも長く続きますようにと思いながら、今日も夫がデイサービスの車に乗ったことを確認し、バイバイして見送りました。いってらっしゃい。

もうすぐ99歳で旅立った母の生き方新潟県・Dさん 女

90歳まですぐ裏の畑を耕し、採れた野菜を漬物や煮物にして、近所の人とお茶会をすることを楽しみにしていました。
「おばあちゃんの漬物、煮物おいしいよ」と皆に言われて、うれしそうな母を見てきました。90歳を過ぎて、ベッドから落ちて大腿骨頚部骨折をし、手術をした頃から認知症が進み、「あのしっかりした母が…」と私はなかなか受け入れることができませんでした。
その時まだ働いていた弟と妹、退職していた私の3人で、デイサービスを利用して介護しました。私は運転ができないので、電車とバスを利用して介護に通いました。バスの時間の都合で母をひとりにして帰らねばならない時、実家を出て後ろを振り返ると、福祉用具を使ってやっと歩いている母が、必死で後を追ってくるではありませんか。「ごめんね、ごめんね」と泣きながら帰りました。その後は家に鍵をかけて帰るようにしました。
近所のお茶飲み友だちに相談し、一緒にお茶飲みをしている間に私が家を出ることにしました。母の介護で学んだことは、田舎の良さ、近所のお付き合いの大切さです。母の生き方は、そのまま母の老後を支える力となったことを忘れずにいたいと思っています。

介護の12年間を振り返って北関東・Eさん 女

母の物忘れが大きな問題になってから今年で12年ほど、振り返ると時間が過ぎ去るのは早い。初めのうちは母にどう対応したらよいかとか、どの介護施設なのかとかで頭がいっぱいでしたが、今の悩みは別です。
母は終末期を迎えていると思います。尿路感染で微熱が続き、何とか抗生剤でもち直しました。状態が好転しない場合は自宅に近い病院へ入院する話もありました。その病院は積極的な治療はできないので、母が苦しまない対応をお願いしてあり、病院への入院=ホーム退居になります。でも状態が急に悪化すると救急搬送となって遠い病院に入院するかもしれません。病院でコロナに罹患してそのまま死亡してしまい、面会できたのはお骨になってからという話も聞きます。
今回は幸いにも母は山を越え、熟練した食事介助などによって食べて命をつないでいます。母が元気になると、この12年間ずっと腫れ物のように心にとりついている気持ちが大きくなります。母親より子どもである私たちが先に死亡したらどうなるのかとか、月15万円近くの施設費用、その他の経費問題などなど「解決できない問題」です。

ー 私の介護体験談 ー

「コロナに感染しました」愛知県支部 70歳代

とうとう私たちが…

夫、78歳。69歳の時アルツハイマー型認知症の診断を受けました。その夫が新型コロナウイルスに感染しました。
デイ利用日の翌日、施設から「職員が陽性になりました」との連絡を受けました。その翌日、発熱38度。解熱剤を服用して熱が下がってホッとしましたが、また37.7度に。本人は元気で2日後の夜には平熱にもどりました。夫はすぐにPCR検査をしてもらえましたが、「一緒に住んでいて世話をしているので私も検査をしてほしい」と、どんなにお願いしても、熱もなく症状が出てないからと検査をしてもらえませんでした。
翌日、私も咳が出てきたので、主治医に連絡してPCR検査をお願いしました。施設職員の感染と夫の感染、その経緯を説明し、4回目のワクチン接種から3週間経過の状況を報告して、やっと検査していただけました。家から歩いて2〜3分のクリニックですが、夫の時も私の時も車で来るようにとの指示があり、駐車場での検査でした。私の結果も「陽性」でした。「陽性」になったら、まずデイの施設とケアマネさんへ報告しなければいけません。発熱前々日の接触者への連絡もしました。これは、介護職の娘の指示です。感染者の拡散を防ぐためです。後は保健所からの連絡待ちでした。

本人もつらかったトイレの失敗

夫はコロナの意味も感染の認識も全くなく、隔離することは不可能でした。夫が感染して一番大変だったことはトイレです。発熱した夜から、トイレの失敗の連続でした。夜はほとんど起きない人ですが、発熱した日は3回もトイレに起き、すべて失敗でした。トイレの前が小便でびしょびしょだったり、大便が廊下にあったり、紙パンツは便器の中。私が何も言わずに黙々と後片付けをしていたら、それを見て「悪いなあ〜」と一言呟いていました。それ以来、気の短い夫が怒らなくなりました。「トイレのドアを開けっぱなしにして、夜中電気をつけたままにしたら、失敗がなくなった」と本に書いてあったのを思い出して、その通りにしたら迷わなくなりました。

意外な発見も

娘がお見舞いに贈ってくれた花束を目につくテレビの横にいけて置いたら、毎日眺めて「綺麗な花だなあ!」と呟いていました。いつも気にかけない事にも気が付くんだと意外な発見もありました。
このようにして12日間の自宅療養生活を終えました。デイサービスのありがたさをつくづく実感しました。解放されて2週間、トイレの始末は時々わからなくなりますが、私に従順になってきて、手はかかりますが介護がしやすくなりました。
皆様、新型コロナウイルスの感染はまだ続きそうです。くれぐれもご用心ください。

※ 会員様からのお便りを原文のまま掲載しております。