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「認知症」が地域を創る・仙台リポート

コラム町永 俊雄

▲ 仙台での公開講演会。写真上段、パートナーたちとのパネルディスカッション。下段左、山崎医師のプレゼン資料から。当事者の声を聴きながら、地域の実践に往復運動のように反映させている。下段右、丹野智文氏、藤田和子氏の対談。仙台が手本ということでなく、こうした熱気が、地域への潜在的な熱量となって時代を変える力となるか。

7月7日、仙台の会場の急患センターに続々と人が集まってくる。新幹線で乗り合わせた研究者も受付にいた。地元だけでなく全国から集まってくる。
「宮城の認知症をともに考える会」の公開講演会、「認知症の本人とあなたが拓く新時代 〜権利への気づきとパートナーシップ〜」である。

| 「認知症社会」の舳先に立つ

会場はたちまち満員になった。「あふれたらどうしよう」、主催の一人、石原哲郎医師が心配する。今年で19回になるというのに、毎回心配しているようである。
「いやね、タイトル自体、エッジが効いているでしょう。果たして、このタイトルでどれだけ聴衆が集まるものか、わからないのです」
確かに認知症のテーマで「権利への気づきとパートナーシップ」のタイトルは、世に挑むように、とんがっている。

が、だからこそ、全国から集まってくるのではないか。
この社会の認知症状況へ分け入る航海を、船の舳先に立つようにして風向きと潮流を感じ取りたいのではないか。
「宮城の認知症をともに考える会」の講演会は19回を重ね、今やそんな位置にある。

| 「認知症でもできること」から「認知症だからこそできること」へ

初めに開会の挨拶を兼ねて、いずみの杜診療所の山崎英樹医師の報告があった。
この短い報告にいまの「認知症」状況を端的に俯瞰する視点が網羅されている。
私自身は、この山崎報告がこのイベントを成り立たせている重要な要素だろうと思う。イベントの後方にひっそりと控えているこの確かな知見が、当事者たちの軽やかな発信と共振する。聴いたものが、かなり後になってその共通と普遍に気づく仕掛けでもある報告である。

山崎医師はこの認知症社会にくっきりと二本の縦軸と横軸の交線を描き、横軸を「人々」から「一人ひとり」への方向とし、縦軸を「異なる」から、「あたりまえ」という動きに捉える。そこに権利に基づくアプローチを重ねると、それは横軸には、「一人ひとり」に重なるのが「主体として生きる自立」であり、縦軸の「あたりまえ」には「つながりながら生きる共生」の方向軸が浮かぶ。

それは私たちが漠然と受け入れている「認知症にやさしい社会」への確かな航海図、理論構築だろう。
認知症の本人発信が進む中、匿名的な「認知症の人々」の括りから、一人ひとりが主体的に自立する名前のある「認知症とともによく生きる個々人」へと踏み出し、そうした個とフラットに繋がる共生を描く。
ここでは支え合いや思いやりの「やさしさ」を、権利の枠組みで「あたりまえ」の社会モデルに接続している(そういえば、福澤諭吉は「権利」の訳語の模索の中で、その訳語を「あたりまえ」とつぶやいたという逸話が残る)。

思えば、「認知症でもできること」から「認知症だからこそできること」へ、というフレーズはすごい。平易な暮らしの言葉に、腕力ある「パラダイム転換」の覚悟が込められている。それは認知症の人を医療や介護の「対象」から解き放ち、認知症の人こそが、「経験による専門家」とする「認知症の人とあなたが拓く新時代」への転換だろう。

| 「偏見 自立 権利」当事者対談

ついで、JDWG代表の藤田和子さんとオレンジドア代表の丹野智文さんの対談。
鳥取の藤田さんと仙台の丹野さんの対談となると、「これは七夕にふさわしく、織女牽牛(しょくじょけんぎゅう)の巡り合いですねえ」と無駄口を叩いたら、石原医師は、「仙台では七夕は旧暦ですので八月です」と素っ気ない。郷土愛だな。

当事者同士が「偏見、自立、権利」を語り合うこと自体にある種の感慨を持つのだが、それでさえ「あたりまえ」なのであり、そう思うこと自体に私の内なるスティグマが潜んでいるのだろう。

印象に残るのは、丹野さんが「権利については教科書の中で接しただけで、考えたことはなかった」と言えば、藤田さんは「私は診断を受ける以前から地域の人権活動に関わっていた」と、早くから権利意識を持っていたはずなのに、認知症になった自分と重ねて考えることはなかったと言う。

入り口、立ち位置を異にしながらも二人の対談は自在縦横に進み(これは要約不能だろう。臨場するしか体験化しないかも)、やがて共通する地点にたどり着く。
それは当事者自身も自分の「偏見」に気づき、そこから「自立」に向かい、それは「支援」を問い直し、自立のための本来の支援を求めるとき、「権利」に気づく。
そして当事者が権利として求める中で、地域社会にそれに応える責任が生まれ、相互の理解と確認の深まりを活動とし、認知症とともにある地域社会を拓く現在を見出していく。その地平にパートナーの存在がある。

| 「失敗談」が語るパートナー

当事者対談に続いてはパートナーたち3人が登壇してのパネルディスカッションである。ディスカッションと言っても、「失敗談から始めましょう」、コーディネーターの東北福祉大学の高橋誠一さんが呼びかける。
これはなかなか優れたコーディネート手腕である。「パートナーとは」と切り出せば、コトは理屈と抽象の空中戦になる。
「失敗談とは」と切り出せば、そこに動くのは生活感覚と相互の関係性の披瀝なのである。
果たして失敗談は会場を笑いに包んで楽しく軽やかに弾んだ。

「楽しくやりたい」「楽しいですよ」聞いているうち、このパートナーシップの実践をどう全国に展開すればいいのだろう。たまたまこの人たちが優れた人たちだから、ですませるわけにはいかない。

| 「いたみ」の分かち合い

ここにあるのは「いたみ」の共有なのではないか。当然のことながら誰もがつらい体験をくぐり抜けて現在を歩んでいる。
働く丹野さんが勤務の縮小を言われプライドがズタズタにされた時、溢れる涙で真っ先に相談したのはパートナーの若生栄子さんだった。
保健師であり、オレンジドア実行委員の今田愛子さんは役所の窓口での認知症の人への対応に、今も深い悔いと傷ついた心を抱いている。
認知症になって当初、人づきあいを避けてきたという藤田さんに寄り添ったのは、旅の添乗員の経験を持つ渡辺紀子さんだった。移動のお手伝いを、ととても具体的な申し出からパートナーシップの絆をつないでいった。
「楽しくやりましょう」というあの賑やかなパートナーの振る舞いは、その言葉の表面だけを模倣移植してもうまくいかない。

そこにあるのは、互いの存在の深くに感じ取った「いたみ」の分かち合いだ。
それは認知症当事者の「いたみ」であると同時に、パートナーも暮らしの現実の中での「いたみ」を経験している。
あなたの「いたみ」と私の「いたみ」、相互の立場交換と共感が、パートナーの基盤となったはずだ。

この人と「いたみ」を分かち合えた安心感と信頼感。
そんな感情を奥深くに抱きながら、失敗談に笑い、楽しくなくちゃと頷きあい、時に涙ぐみながら、あたりまえのヒトとしてのパートナーシップが繋がった。
それはこの社会誰もの振る舞いとしての「あたりまえ」、権利なのだ。
ここに至って、仙台でのタイトル、「権利への気づきとパートナーシップ」の連関が鮮やかに浮かび上がる。
あの話し合いはそんなメッセージを発信していたのだろうと思う。

|  当事者発信と地域発信

前回コラム「金沢リポート」に続いて、仙台の取り組みをリポートした。
当事者が発信したことで認知症環境が転換したように、実はこれからは地方の発信が、この日本の閉塞を拓いて行くだろう。

確かに地域に課題は山積みする。人材、財政、偏見などなど、数えればきりがない。しかし「できないこと」にたたずむのではなく、「できること」を持ち寄って地域を動かすことは可能だろう。地域には歴史や風土に育まれた計測不能な大きな力が潜在しており、また地域には、ともに顔の見える関係性が息づいている。

地域に、進んでいるとか遅れているという感覚や優劣を持ち込むのではなく、誰もの暮らしの「あたりまえ」と言う権利をつなげて行く時、「認知症とともに生きる」新時代が拓かれる。

|第75回 2018.7.23|

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