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「認知症とともに生きるまち大賞」は、つながる思いとつなげる意志との交差点

コラム町永 俊雄

▲今年もNHK厚生文化事業団主催の「認知症とともに生きるまち大賞」の募集が始まった。今、地域がゆっくりと息吹き返すようにして目覚めている、そんな感覚を持つ人が多くないだろうか。今年の「まち大賞」には、そんな想いを寄せて欲しい。認知症の人とともに、「認知症とともにある」社会のために。

今年も「認知症とともに生きるまち大賞」の募集が始まった。
去年に続き新型コロナウイルスの日々の中の募集である。緊急事態が解除されたとはいえ、不要不急の自粛や密の回避の中で、どうしてまちづくりなどができようか、そんな声も聞こえてくる。

その通りだと思う。去年のまち大賞の募集でも、その応募数は例年に比べ、いたましいほどに減少した。
地域のつながりが途絶えてしまったという嘆きも、繰り返しすぎて擦り切れてしまったのか聞こえなくなった気もする。解消したのではなく、諦めてしまったのだろうか。だとしたらその方がもっといたましい。
しかし、そんな中でも私たちの暮らしは続いている。認知症とともに生きるまちは、もう不可能なのだろうか。

この「認知症とともに生きるまち大賞」には前史がある。

今から17年前の2004年にすでに第一回のまちづくりの大会が開かれている。その名称が「痴呆の人とともに暮らす町づくり」だった。どうだろう、すでにここに「痴呆の人とともに」と掲げられているのに、ほとんど驚愕の思いがする。

この大会の後のこの年、2004年に痴呆は認知症と呼称変更される。まさに痴呆から認知症への時代の変わり目に「まちづくり」は始まり、そしてここから「認知症を知り地域をつくる10カ年」構想がスタートし、「認知症サポーター100万人キャラバン」などが全国に展開されていく。現在多くの人が手首につけるオレンジリングの誕生だ。

この「痴呆の人とともに暮らす町づくり」の実行委員長が、介護研究・研修センター長の長谷川和夫氏、選考委員長が、さわやか福祉財団の堀田力氏だった。社会のツートップが清新な思いでこの社会を前に進めようとし、関わるだれもにそんな機運がみなぎっていた大会だった。

そして、そこにあるまちづくり実施要綱にはこううたわれていた。

1)痴呆の人の輝く姿がいきいきと描かれているか。 
2)それぞれの役割を持った人たちの協力が見られるか。 

改めて繰り返すが、これは17年前の「まちづくり」の要項である。
痴呆(認知症)の人の輝く姿はあるか、地域の協力はあるかと、すでにここに当事者性も「痴呆(認知症)とともにある社会」の共生理念も、しっかりと「まちづくり」に込められていた。

それまで家や病院に閉じ込められ、世間からは見えない存在だった痴呆の人とともにまちづくりを、と呼びかけた当時の人々の思いの熱量はいかほどだったか。
その思いは途切れてしまったのだろうか。
確かに新型コロナウイルスによって、地域の活動は途切れた。
が、途切れたが、つながっている。この語法はおかしいのか。地域で活動をする人たちは、この語法に異を唱えることはないと信じている。地域のつながりはそんなにヤワなものではない。

17年の歳月を越えて、私たちはしっかりと受け継いでいる。
ただし、途切れたけれどつながっているまちづくりのためには、まちづくりそのものを捉え直す必要がある。

以前のまちづくりキャンペーンでの2006年度の受賞に、福岡県大牟田市の認知症の徘徊模擬訓練、SOSネットワークが選ばれている。
地域全体で認知症の人を支えようというもので、全国で注目され視察も相次いだ。認知症のまちづくりとしては画期的な成功事例だった。
が、この徘徊模擬訓練もやがて試練を受ける。それは主に地域の認知症の人からの違和感が生まれてきたことだった。
「支え合いの地域」というものが、本人の側からすれば、自分は常に「支えられるべき存在」であり、認知症の人は常に「SOSを求めている人」という偏見につながってしまうのではないか、という問い直しが地域に生れたのである。

模擬訓練は「誰のため、何のために」実施してきたのか。関わってきた人々の呆然とするような思いから、大牟田は再スタートする。
そこからの大牟田市の取り組みは、当事者の丹野智文氏を招聘したことをきっかけに転換する。本人の声を聴くこと、そこから本人ミーティングなどを起点とし、認知症の人の声とともに新たなまちづくりへと歩み出している。

これはコロナの時代のまちづくりの大きなヒントだ。
大牟田での新たな取り組みは、それ以前の否定ではない。むしろそれまでの取り組みを再検証することで生まれたイノベーションなのである。
これはもう立派な「まちづくり」だと私は思う。新たに作るよりも困難があったはずだが、それだけに確かな地域の再生だ。

こうした視点で見ればコロナの時代でも、いや、コロナの時代だからこそのまちづくりは各地に息づいている。

金沢での取り組みはとにかく「つながり続けること」。
認知症カフェをリアルからオンラインへ、そしてハイブリッドによる対面とオンラインの併用へと模索を続けている。
どの声もとりのこさないともがくようにして、地域のつながりを閉ざさない。
これもまちづくりだ。まちづくりはずっと育てるようにして続く。地域のサクラダ・ファミリアだ。

岩手県滝沢市のスローショッピングは、地域を変える広がりを見せた取り組みだが、その中でこんな気づきが出た。スローレジは喜ばれているが、しかし、本来は社会全体がスローレジであっていいのではないか、と。
もちろん、直ちにそうなるわけではないだろう。しかしそうした発想が生まれる地域のやわらかい強さを生むのは、認知症ならではの特性だ。

まちづくりは「建設」ではない。人が育て、かつ育ちながら成熟していく有機体だ。全部がスローレジのまちもありだよねと、地域に植えられたひと粒の種は、この社会の有り様を変える芽吹きをしている。やがて大樹になるか。

「認知症とともに生きるまち大賞」
では、ここにある「認知症とともに生きる」を改めて眺めてみよう。この言葉の始まりは、「認知症の人とともに」だった。それが今は「認知症とともに」になっているのはなぜだろう。

実はそこには大きな意識の転換がある。「認知症の人とともに」も大切な言葉だが、ともすれば「認知症の人」を切り出すようにして対象化してしまう。
対して、「認知症とともに」とすると、どうだろう。そこにある認知症は概念の広がりを持ち、社会全体であり、何よりあなたの中の「認知症」なのである。
あなたの中の「弱さ」とか「つらさ」、あるいは「老い」といったもの、もしくは「やりたいこと」「できること」そして「希望」であるかもしれない。

新たな発想で見つめ直せば、コロナの時代だって「まち大賞」への取り組みは至る所にある。失敗からの小さな一歩でも、私はまち大賞の候補になると思っている。想いだけを綴ってみるのもいいのかもしれない。何かを発信するのは思いがけない広がりを持つものだ。ひとりだけのまちづくり、なにか物語の誕生のようだ。
むしろ、既成の「まちづくり」から跳躍した発想を待つ。
このまち大賞の選考基準には、優劣ではなく規模でもないこともキチンと記されている。

今年の「まち大賞」は、新しい時代の扉を開くような斬新を求めている。
「認知症とともに生きるまち」、あなたのまちは誰もが「輝いている姿が生き生きと描かれているか」
17年前、まだ痴呆とされていた人々と熱い思いを交わしながら開催された第一回の大会での言葉を、今年のまち大賞はしっかりと受け継ぎたい。

詳細と申込はNHK厚生文化事業団
 



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第2回 認知症にやさしいまち大賞
第1回 認知症にやさしいまち大賞 〜発表と表彰式〜

|第180回 2021.6.23|