▲東京の国際フォーラムで「認知症とともに生きるまち大賞」の表彰式とフォーラムが開催された。「ともに生きるまち」、この取り組みは時代から生まれ、時代を拓いていく。
1月28日、有楽町の壮大な会議施設、国際フォーラムで、NHKとNHK厚生文化事業団主催の「認知症とともに生きるまち大賞」の表彰式とフォーラムが開かれた。
コロナの日々の空白を挟んで4年ぶりに全国から受賞団体が集まってのリアルな表彰式だ。
誰もが晴れやかでにぎやかで、表彰状の授与には壇上に受賞団体の参加メンバーのほとんど全員がワイワイと上がり、そしてその表彰状を受け取るほとんどは、認知症の本人だったり、本人と家族が一緒に受け取ったりで、それからその表彰状を会場に高々と掲げ、壇上の仲間とハイタッチして喜び合う。
確か4年前も同じ会場でこの表彰式が開かれたのだが、その時の雰囲気がコロナの空白を飛び越えて、そのまま受け継がれていた。4年ぶりということもあって、こんなふうに全国から集まったのが余計新鮮で嬉しかったということもあったのだろう。
もちろん今各地で、認知症の人や家族が様々な場に登場している。でもこんなふうにヤッホーと叫ぶようにして無条件に晴れやかになれるハレの舞台はそう多くはない。
これは、あれだな、いつかはNHKホールで開きたいものだなあ。
ハレの舞台はいっときの幻想ではない。いま、この社会は、知らず深いところで変わろうとしているその潮目を迎えているのかもしれない。
ここに現れたのは、共生社会という概念が凝縮された生き生きとした風景なのではないか。
この「まち大賞」は、認知症の人だけでなく家族や仲間、その誰もの人生に、つらさや困難の向こうにそれぞれのハレの舞台があることを壇上に浮き上がらせたのだった。
奇しくも今年1月1日から認知症基本法が施行された。その旅立ちを祝福するかのように開かれたのがこの「認知症とともに生きるまち大賞」なのである。いうまでもなく、認知症基本法の正式名は「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」である。
若干の無理筋を承知で読み替えるなら、これは、「認知症は共生社会の実現を推進する」のであり、そのための法律としてもいいのかもしれない。
これまではどうしても、「認知症の人のための」やさしい社会が「認知症とともに生きる」ことと受け止められがちだったのが、この法律では「認知症」の限定を外して、キッパリと「共生社会の実現」と提示されたのである。誰もの社会としての「共生社会の実現」を宣言したのである。
ただ、誰もの社会としての共生社会と打ち出すのはいいとしても、どこか呆然となってしまうのは、次に続くその実現をどのように推進するかのとっかかりが見えてこないことだろう。まるで大海に浮かぶ巨艦の周りを手漕ぎボートでウロウロと漂っている気分である。
では、どう取り組めばいいのか。ひとつのヒントがある。
この大賞の選考委員の丹野智文さんはいつも選考の過程では、こんなふうに語る。
「この大賞は成果や規模を競うものではない。まだ歩み出しの小さな取り組みであっても、肝心なのはそこに認知症の本人の声を聴いているかどうか、だ。そこから取り組んでほしい。そしてその本人の声がどこに反映しているのか、これまでの取り組みや関わる人をどう変えたのかを教えてほしい。それが「認知症とともに生きるまち」の姿だと思う」
かつて、こうした認知症とともに生きるまちづくりに取り組もうとしても、自治体の担当者からは「この地域に認知症の人はいません」と言われることが多かった。私たちのかつてのまちは、「認知症の人がいないまち」であったのである。それが今、壇上では多くの認知症の人と家族が笑顔で手を振っている。何かが大きく変わりつつある。
では、認知症の人の声を聴く、とはどう言うことだろう。
もちろん、実際に認知症の人から話を聴くことと解してもいい。がそれは取調室の聴取ではない。日常の暮らしの場の仲間としての対話することだ。朝の挨拶、街角の会話。地域に認知症の人があたりまえに暮らしていることが、実は「聴く」ことであるといってもいい。
その人の話を聴くと言うことは小さな変化があなたやまちに起きてくる。それは言い換えれば、これまでの「認知症を見る」とした認知症の対象化や課題設定ではなく、「認知症から見る」とする視点への変換である。
認知症のまなざしから改めてこの社会を見渡せば、私たちの生きづらさや不安がどこからきているのかが見えてくる。認知症の人々の声を聴くことで、私たちのものの見方や行為はいかに社会構造に規定されているのか、そのことの気づきになっていく。
認知症の人の声を聴く、と言うことは実は、自分の声を聴くと言うことなのである。
自分の声を聴く。誰かの声で動くのではなく、自分の声に耳傾ける。そのような声の集合を編み上げるようにして私たちの共生のまちが歩み出す。国際フォーラムの、笑顔に満ちたハレの舞台はこのようにして造られた。
「認知症とともに生きるまち大賞」の表彰式に続いて、これに関連したNHKハートフォーラムでこうしたまちづくりの意味合いなどを語り合った。
選考委員の他に、以前の受賞団体の代表で新潟県で「まるごーと」という農業用ビニールハウスでのユニークな地域共生の取り組みを実践している岩崎典子さんにも参加してもらった。
その岩崎さんはこんなことを語ったのである。
「どうも、こうしたタイトルに認知症とあるのが気になる。認知症はいらないのではないか」
その時、ほかの選考委員からわずかに「えっ」という反応があった。認知症はいらないということはどういうことか。テーマが認知症である限り、それを外すわけにはいかないのではないか、と言ったさざなみのような反応である。
私も実は最近、こうしたテーマの時に「認知症の人」と連発したくない気分が濃厚になっている。具体的に言えば、今回も丹野智文さんも選考委員として参加しているのだが、おそらく私は丹野さんの紹介に一度も「認知症の丹野さん」とは言っていない。
これは丹野さんに知名度があるからという見方もあるが、基本的にはどの当事者についても、最低限の一回だけは「認知症のご本人の誰々さん」と紹介し、とあとはお名前で呼びかける。
どうも、「認知症の・・」とことわりを入れるような紹介は、健常とそうでない人との間に何か線を引くような感じがあって落ち着かない。ただどうしてもフォーラム進行上の便宜的技法として使わざるを得ない時も多い。
新潟の岩崎典子さんが実践する「まるごーと」は、認知症の人だけではなく、障がいのある人、精神疾患の人や引きこもりの人や大学生や子供など文字通り「まるごと」の集いの場だから、そうした発想を持っているのだろう。
「わざわざ認知症をつけなくてもいいのではないか」と、彼女は提起した。
となると、「認知症とともに生きるまち大賞」は、「ともに生きるまち大賞」となる。
ふーむ。
「ともに生きるまち大賞」、ふむ。すっきりとしていいかもしれない。そのまま包摂の共生社会を示している。
というよりすでに、このまち大賞イベントの実質は「ともに生きるまち大賞」なのである。どの受賞団体も、認知症の限定ではなく地域社会に拓かれており、固定した実践というより自律的な変容可能な特性を育んでいる。ここにあるのはまさに「共生社会の実現を推進するためのまち大賞」なのである。基本法を先取りした実践なのである。
「地域社会を語る時に、あえて認知症を言わなくてもいいのではないか」
あの国際フォーラムの議論の場で、地域のまちづくり実践者であるひとりの女性から、こうした問いかけがあったのは、私たちの認知症観の成熟を示している。
この社会の深いところの変化の潮目が現れたのかもしれない。
それはひとりひとりの生活実感から立ち上がった実感なのである。上からの発想ではない。日々、懸命に暮らしを営んでいる人々の、あたりまえの発想なのである。街角で「オヤ、そこを行くのは、認知症の誰々さん」とは誰も言わない。「認知症の誰々さん」と言われるのは決まって福祉関係の会議やフォーラムなのである。
まちづくりに関わる人々の生活実感はすでにどこかで確かな共生感覚を育んでいる。
「だって、そんなのあたりまえじゃん」といったふうに。
私が今、時代の変化の潮目ではないか、というのはこのことである。
誰かに言われた共生社会ではなく、誰かが押し付けた認知症基本法ではなく、いつも福祉の恩恵の受益者でもなく、そうではなく生活者であることで、その実感が地域を創り、基本法を育て、自分たち自身が実は福祉の発信者であることをまちづくりという形で表現する。
あたりまえに子供がいてお年寄りがいて、あたりまえに障がいのある人や認知症を生きる人がいるのが、私たちのまち。そのような素朴で確かな想いが、「ともに生きるまち」なのである。
かつて明治の時代、rights(権利)という言葉が西欧から入ってきた時、これをどう日本語に置き換えるか明治の知性は悩み、福沢諭吉はそれを「あたりまえ」と周囲に語ったという。
今、共生社会の実現を推進するための認知症基本法の基本理念には、「基本的人権を享有する個人」として認知症の人をあたりまえの社会の成員と位置付けている。
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NHK厚生文化事業団 第7回認知症とともに生きるまち大賞